ゴルフの空(GET Golf Academy 主宰 松村公美子のブログです)

ゴルフレッスンのこと、スイング理論(ゴルフスイング体操)のこと、日常でのこと、色々、時々、書いています

身体が動く幸せ

2010年12月13日 | ゴルフ理論…私の見解
さて、また、間が空いてしまいましたが…。
『響きあう脳と身体』の感想文。
今回でラストです…。

この本の中で、甲野さんは『たとえばお茶を入れたり、掃除をしたりするロボットを作るのってめちゃくちゃ大変でしょう?…そういうふうに自然に動く自分の身体のすごさ、ありがたさ、あるいはおもしろさをあらためて実感することが、現代人の不全感、閉塞感から抜け出すためには大事なんじゃないでしょうか。…究極の選択ではありませんが、脳波を読み取るロボットを作って、日常的なことを全部ロボットに任せて「楽だ楽だ」と言いながら生きることと、健康でよく動く身体を使って働きながら生きることとではどちらがいいのかということなんですよ。…精妙な動きができる身体というものの不思議さ、おもしろさ、ありがたさを感じることができるなら、十分、生きていることに満足できると思うんですよ。ところが、そのへんのことは当たり前にしか感じられない。だから、特に感謝する気もしない。』と、おしゃっていた。

皆さんは、この言葉を読んで、どのようにお感じになるでしょうか?

私は、以前のブログに、「自分は、なんて幸せなんだろう?自分は、なんてわがままで甘いんだろう?」と感じたのは、小脳がだんだんと小さくなって、運動機能が損なわれて行く不治の病にかかって、入院なさっていた人を見た時だった、と書いたことがある。
その人は、運動機能が損なわれて行くために、自分で立って歩くことも、口を動かせて話すことも、食事を摂ることも、排泄することも、徐々にできなくなって来られていた。
しかし、運動機能以外の脳は、しっかりと動いているので、意識は有る。
こちらが話していることも聞き取れる状態だったらしい。
車椅子に乗せてもらって、日光浴ができた日は、家族の人から、「お日さんに当たって、気持ち良かったでしょ?」と話しかけられると、お顔が、ほんのわずかに動いて、微笑んでおられた。

それらの様子を見ていて、私は、「なんて、悲しい病気が有るんだろう?」って思った。

そして、我が身を振り返り、自分の意思で自由に動ける身体を与えてもらえていることの有り難さを、身に沁みて、心に沁みて感じた。
それが、どれほど幸せで、有り難いことなのかが、よく分かったのである。

「こういうふうに生きれば幸せになれる」と言うマニュアルなんて、本当に無い。
心をどこに向けるかで、人間は、いとも簡単に幸せになれるんじゃないかと思える。

その運動機能が損なわれて行く不治の病にかかっていた人だって、家族が日光浴に連れて行ってくれることを幸せに感じられたら、その瞬間、幸せなんだろうと思える。

現在、毎日のように起きている殺人事件なども、ある対象に向けての不平や不満が、その人の心の中で大きくなり過ぎたから、そのような事件を起こしてしまったのではないかと思う。
私にも、不平や不満は無いとは言えない。
だけど、一応、大きな幸せが心の中にドンと存在してるから、その不平や不満は、自分の中で大きくなり過ぎない。
些細なことにでも感謝をし、幸せを感じることができれば、心は明るく保てるから、不平や不満が有ったとしても、自分の中で処理できるだろうし、まして、世の中とか誰かのせいとする陰湿な考えにも及ばないのではないかと思う。

ゴルフが上手くなりたい欲求は、生きる上での目標とかパワーとして活用すべきで、上手くなれなければ、不幸になるなんて有り得ない。
だから、「なかなか上手くなれない」と悲しそうなお顔をされたり、そういう不満を口になさったりする人に対しては、「ゴルフが出来るって、どれだけ幸せなことなのかを感じ取ってください」…と思う。
「上手くなれない」と暗い顔して、躍起になって練習してるよりは、その幸せを感じ取れた方が、よっぽど上手くなれるのではないかとさえ思うほどだ。

茂木さんの言葉を借りて言えば、「自分の身体の不思議に感動し、満足できる生き方」が、おそらくある種の「安らかな境地」に至る。

…と言うことで、4回に分けて書きましたが、甲野善紀さんと茂木健一郎さんの対談集『響きあう脳と身体』は、私の心にも、色んな”響き”を与えてくれた本なのでした。

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