昨日のblogに、「愛の有る束縛」なんて、正しい愛じゃないよ…なんて、書いたので、
じゃ、正しい愛って、どんな愛?
愛に、正しいも正しくないも、もしかしたら無いのかもしれないけれど…(^_^;)
私が、“良いな”と思う愛の形を…、
内田樹さんの本から、引用して書いておきたいと思います。
『「親しみ」と「馴れ合い」を混同してはいけない。ほんとうの親しみというのは敬意のないところには成立しません。』
この言葉の通りだと思います。
良い言葉だと思います。
夫や妻、恋人に対して、“敬意”が有るか、どうか?
これが、先ず、“正しい愛”の基盤では…と思います。
そして、それ以外の人間関係においても…『ほんとうの親しみというのは敬意のないところには成立しにくい』…と思います。
『「温かい家庭を構成できる人間」とは「一人でいることに耐えられる人間」のことです。「自分のために家族は何をしてくれるのか」ではなく、「家族のために自分は何をしてあげられるのか」ということを優先的に配慮するような人間のことです。』
ここに書いておられる『一人でいられることに耐えられる人間』とは、「自立できる人間」(「孤立」ではなく「自立」です)、「孤独に耐えられる人間」(無駄に人と“つるまない”ような人)のこと。
自分のエゴをむき出しにして、やれ愛情が足りないとか、こうしてくれなかったなどと、我儘放題を言ったり、感情の赴くまま、思ったことの全てを口に出して、ケンカ腰になったり、不機嫌になったり…、
挙句の果てに暴力までふるってしまうようでは(まぁ、自分の感情のコントロールができるようにならないと…ってことですが…)、いくら“家族に…”とは言えども、それでは、温かい家庭を構成できませんよ…という事。
そして…、
『一人でいることができる人間だけが、他者がかたわらにあるときの温もりに、深い感謝と敬意を抱くことができる』…と書いておられた。
だからこそ、温かい家庭を構成することができるのだと。
要は、相手に対する感謝の気持ちを、どれだけ感じることができるか…なのでしょうね。
だから…、
正しい愛と言うか、温かな愛って、
私は、“敬意”と“感謝”が、両軸になっているような愛…だと思う。
そういう愛が良いですね…(*^^*)
そして、この“敬意”と“感謝”の気持ちって、何も、夫婦や恋人同士に限ったことではなくて、親子や友人同士の間でも、“絆”を繋ぐ“愛”の構築には、欠くことのできない感情…なような気がします。
それに対して、昨日の…、
相手に“無関心”になる「愛の無い自由」や、
相手への“依存”過多と、束縛しておかないとどこかに行っちゃうかもしれないと思う“不安”による「愛の有る束縛」は、
両方とも、あんまり心地良い愛だとは思えなかったので、そんなの嫌だ…って思ったんですよね…(~_~;)
…内田樹さんの本には、「そうそう、こういうことが言いたかったのよ(言いたいのよ)」とか「なるほど、言われてみれば、その通りだわ」と思えるような文章がたくさん出て来る。
現在の教育の現場のこと、問題点、大学の事情、学生さんや若者の意識…そういうことが知りたくて、ちょっと読んでみようと思った“内田先生”の本ですが…期待していた以上に、面白いです。
…と言う事で、本日のblogは、11月16日の『同意”です(^^)/…その1』から、随分、日にちが空きましたが…、
『“同意”です(^^)/…その2』でした…。
添付写真は、blogの内容にはそぐわないですが…(^_^;)
あと残り1枚となった、今年のカレンダーです。
じゃ、正しい愛って、どんな愛?
愛に、正しいも正しくないも、もしかしたら無いのかもしれないけれど…(^_^;)
私が、“良いな”と思う愛の形を…、
内田樹さんの本から、引用して書いておきたいと思います。
『「親しみ」と「馴れ合い」を混同してはいけない。ほんとうの親しみというのは敬意のないところには成立しません。』
この言葉の通りだと思います。
良い言葉だと思います。
夫や妻、恋人に対して、“敬意”が有るか、どうか?
これが、先ず、“正しい愛”の基盤では…と思います。
そして、それ以外の人間関係においても…『ほんとうの親しみというのは敬意のないところには成立しにくい』…と思います。
『「温かい家庭を構成できる人間」とは「一人でいることに耐えられる人間」のことです。「自分のために家族は何をしてくれるのか」ではなく、「家族のために自分は何をしてあげられるのか」ということを優先的に配慮するような人間のことです。』
ここに書いておられる『一人でいられることに耐えられる人間』とは、「自立できる人間」(「孤立」ではなく「自立」です)、「孤独に耐えられる人間」(無駄に人と“つるまない”ような人)のこと。
自分のエゴをむき出しにして、やれ愛情が足りないとか、こうしてくれなかったなどと、我儘放題を言ったり、感情の赴くまま、思ったことの全てを口に出して、ケンカ腰になったり、不機嫌になったり…、
挙句の果てに暴力までふるってしまうようでは(まぁ、自分の感情のコントロールができるようにならないと…ってことですが…)、いくら“家族に…”とは言えども、それでは、温かい家庭を構成できませんよ…という事。
そして…、
『一人でいることができる人間だけが、他者がかたわらにあるときの温もりに、深い感謝と敬意を抱くことができる』…と書いておられた。
だからこそ、温かい家庭を構成することができるのだと。
要は、相手に対する感謝の気持ちを、どれだけ感じることができるか…なのでしょうね。
だから…、
正しい愛と言うか、温かな愛って、
私は、“敬意”と“感謝”が、両軸になっているような愛…だと思う。
そういう愛が良いですね…(*^^*)
そして、この“敬意”と“感謝”の気持ちって、何も、夫婦や恋人同士に限ったことではなくて、親子や友人同士の間でも、“絆”を繋ぐ“愛”の構築には、欠くことのできない感情…なような気がします。
それに対して、昨日の…、
相手に“無関心”になる「愛の無い自由」や、
相手への“依存”過多と、束縛しておかないとどこかに行っちゃうかもしれないと思う“不安”による「愛の有る束縛」は、
両方とも、あんまり心地良い愛だとは思えなかったので、そんなの嫌だ…って思ったんですよね…(~_~;)
…内田樹さんの本には、「そうそう、こういうことが言いたかったのよ(言いたいのよ)」とか「なるほど、言われてみれば、その通りだわ」と思えるような文章がたくさん出て来る。
現在の教育の現場のこと、問題点、大学の事情、学生さんや若者の意識…そういうことが知りたくて、ちょっと読んでみようと思った“内田先生”の本ですが…期待していた以上に、面白いです。
…と言う事で、本日のblogは、11月16日の『同意”です(^^)/…その1』から、随分、日にちが空きましたが…、
『“同意”です(^^)/…その2』でした…。
添付写真は、blogの内容にはそぐわないですが…(^_^;)
あと残り1枚となった、今年のカレンダーです。