9月4日朝から、カイロ地域全体で大規模停電が発生した。4時間程度の停電と報道する向きもあるが、一部では5日まで停電が続いた。原因は、電力網に対する投資不足。即ち送電網・配電網・変電所に対する投資と保守不足である。発送電分離が主張される日本だが、本当に分離されれば、エジプトの停電は他人事ではなくなるだろう。送電会社は、保守費用を削減し、新たな研究開発投資は行わない。発電と送電を分離すればシステムとして機能しなくなるリスクが飛躍的に高まることが理解出来ない~電力は今は社会の重要インフラで、これをビジネスネタにするなど言語道断。これでは一般市民が不便を強いられるだろう。とは言うものの、電力会社の体質も問題だ・・・
さて2014年6月8日に就任したスィースィー大統領は、財政赤字の改善を全面に打ち出し、増税とエネルギー補助金を削減している。暫定政権から新政権への以降に伴い2014年度(2014年7月~翌年6月)の予算案が見直され、修正予算においては、財政赤字はGDP比10%に設定された。特に歳出は2.2%削られ、最大の削減をくらったのは、支出の約20%を占めていたエネルギー補助金だ。前年度予算と比較して約25%の大幅削減となっている。
財政収支を改善する政策として、スエズ運河拡張計画があるが、これ以外で巨額の費用が掛かるプロジェクトが、エジプト発の原子力発電プラント建設。暫定政権時の戦勝記念日(10/6)にも当時の大統領が原子力発電所建設に言及しているが、新政権発足後の7月21日、エジプトは2014年末までに、原子力発電所プラント建設の競争入札を実施する予定と発表。出力は100~200万kW。
問題は、イスラエル。原子力発電所の建設は核武装へ1歩踏み出すこととなる為、核武装国イスラエルはこれを許容しない。実際にエジプトの過去3回の原子力発電所建設プロジェクトは頓挫している。
エジプトの原子力における取り組みは、ナセルの革命直後の1955年にはスタート。当時のソビエトとの間で核平和利用協定が結ばれ、1956年には2メガワットの実験炉建設契約を締結。翌年の1957年にはエジプト原子力庁が正式に発足し、エジプトはIAEAに加盟。実験炉は1961年に稼働している。
その後、エジプト最初の商用原子力発電所(150MW)となる国際入札を1964年に発表し準備を進めていたが、1967年のヨムキプール戦争でイスラエルに敗退した事からプロジェクトは破棄。これが第一の挫折。
1974年に、エジプトと米国との間で600MW級の原子力発電所プラントの建設で合意したが、ニクソンから原子力に渋いカーター大統領に代わり、米国による原子炉査察要求が出てきて、エジプトは主権侵害としてプロジェクトを破棄。第二の頓挫。そして1975年から1980年にかけてエジプトの原子力開発に脅威を抱いたイスラエルにより、エジプト原子力科学者4名が暗殺されている。1名は米国で、2名はパリで暗殺され、暗殺者等は不明のまま。もう1名はベルギーで行方不明になっている。因みに核開発を進めたイランでも核物理学者が暗殺されるている。2010年には爆弾テロで、マスード・アリ=モハマディら2人が死亡、フェレイドゥーン・アッバースィーらも負傷。2011年には核物理を学ぶ大学生が射殺され、2012年1月11日、オートバイに乗った犯人グループ2人がアフマディ・ロシャンが乗っていた車の下に磁石式の爆弾を仕掛け、同乗していたボディーガードと共に爆殺されている。ロシャンは、ナタンツ・ウラン濃縮施設部長。暗殺はモサドとMI6が実施。
第三の頓挫は、1983年に発生したチェルノブイリ原子力発電所事故。900MWに達する巨大原子力発電プラント建設プロジェクトは、反原発の流れに消えてなくなった。
エジプト初の原子力発電所は、マルサマトルーフの近くのアル・ダバ(al dabah)に建設される計画。日本の情報機関「日本貿易振興機構」(JETRO)のエジプト・インフラマップ(2011年)ではNo.34にエル・ダバ原子力発電所との記載があるが、この地に建設される予定。
エジプトの4回目となる原発建設の試みは果たして成功するだろうか?