
「青銅ランプの呪」はハヤカワからは出ていないんですね。
版権独占というわけでもないのに、なぜポケミスで出なかったのでしょうか。
ハヤカワでさえ二の足をふんだ駄作……、なのかなあ。
マイナスポイントとしては、
1 大仰でくどい文章(老人性饒舌体炸裂)、とくに前半。
2 雰囲気が前半と後半でまったく違う。
前半は「呪い」の不気味な雰囲気を作り出そうとしていますが、
後半は(マスターズ警部が出てきたあたり)はコメディ路線になって、
木に竹を接いだような雰囲気が大きなマイナス。どちらかに統一する気はなかったのか。
とはいえ、マスターズ警部が大勢の警官を投入する場面は、
宮崎翁描くところの銭形警部と埼玉5ナンバーのブルーバードパトカーに乗る警官隊を思わせて、
ちょっとだけ笑えました。
後半、HM卿が話のイニシアティブをとってからはわりとテンポよく進むので、
前半のモッタリ感が惜しいところです。
事件が1935年ごろに設定されているのは単にノスタルジーだけでなく、
トリックの成立に必要な「使用人は容疑者の外におく」という暗黙の了解のためでしょう。
しかし、書かれたのは1945年なので、戦後の社会主義も気を配っているという著者の釈明なのか、
社会主義者の配管工を登場させています。
「社会主義者で人間だ」というセリフは奇術でいうところの「改め」に近い感じですかね。
プロットに旧作からの焼き直しが見られるものの、カーの発想そのものはまだ衰えておらず、
「消失の奇蹟」と「殺人(未遂)」の黒幕は別に設定して、
殺人者のアリバイを成立させるミスディレクションを確実にしています。
冒頭にあるE・クイーンへの献辞は、事実そういうこともあったろうけれど、
じつは「消失の奇蹟」に読者の集中を誘導するミスディレクションではないか?と思えます。
版権独占というわけでもないのに、なぜポケミスで出なかったのでしょうか。
ハヤカワでさえ二の足をふんだ駄作……、なのかなあ。
マイナスポイントとしては、
1 大仰でくどい文章(老人性饒舌体炸裂)、とくに前半。
2 雰囲気が前半と後半でまったく違う。
前半は「呪い」の不気味な雰囲気を作り出そうとしていますが、
後半は(マスターズ警部が出てきたあたり)はコメディ路線になって、
木に竹を接いだような雰囲気が大きなマイナス。どちらかに統一する気はなかったのか。
とはいえ、マスターズ警部が大勢の警官を投入する場面は、
宮崎翁描くところの銭形警部と埼玉5ナンバーのブルーバードパトカーに乗る警官隊を思わせて、
ちょっとだけ笑えました。
後半、HM卿が話のイニシアティブをとってからはわりとテンポよく進むので、
前半のモッタリ感が惜しいところです。
事件が1935年ごろに設定されているのは単にノスタルジーだけでなく、
トリックの成立に必要な「使用人は容疑者の外におく」という暗黙の了解のためでしょう。
しかし、書かれたのは1945年なので、戦後の社会主義も気を配っているという著者の釈明なのか、
社会主義者の配管工を登場させています。
「社会主義者で人間だ」というセリフは奇術でいうところの「改め」に近い感じですかね。
プロットに旧作からの焼き直しが見られるものの、カーの発想そのものはまだ衰えておらず、
「消失の奇蹟」と「殺人(未遂)」の黒幕は別に設定して、
殺人者のアリバイを成立させるミスディレクションを確実にしています。
冒頭にあるE・クイーンへの献辞は、事実そういうこともあったろうけれど、
じつは「消失の奇蹟」に読者の集中を誘導するミスディレクションではないか?と思えます。
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