セカンドライフ 

歳を重ねるのも悪くはない

房総・南端に行こう。

2012-02-26 | 旅行 見学
余りスッキリとした天候ではなかったけれど、初めて行く洲崎灯台へ向かった。

  
 灯台守(トウダイモリ)は当然いないけど、意外に低いので驚いた。
                            両脇に水仙を見ながら坂を上る。


洲埼灯台について

名称 洲埼灯台 (スノサキトウダイ)所在地 千葉県館山市

光り方 単閃白赤互光 毎30秒に白1閃光赤1閃光

光の届く距離 赤、白共に 18.5海里  高さ(地上から構造物の頂点) 14.75m

初点灯 大正8年12月15日
 HPより 

視程が良ければはっきり富士山が見えるんですって。見えるチャンスが多い時季は
冬場。本当は富士山が見たかったけど、三浦半島だけしか見えなくて残念。
やっぱり1月がベストなんだね。

アクセスは バス  館山駅⇒30分⇒洲埼灯台口

    

  

己が罪』(オノガツミ) 菊池幽芳の家庭小説である。1899年(明治32年)大阪毎日新聞に発表。

のちに子爵夫人となる女性主人公・箕輪環の薄幸の人生を描く。新派劇としてしばしば
脚色、上演された。のべ20回も映画化されている。

私の知っている女優さんでは乙羽信子さん(1956年)が主役をされた。

随分昔から、母は「己が罪」の本が読みたいと何度も言っていたので、私も書店を探したが
今と違い見つからなかった(廃版だったり)。

今はネットで見つかる時代だけれど、以前に買って上げようと言ったが、既に読む体力も
興味も失せてしまっていた。

まさか、今回、碑まで見る事になるとは、何か意味がある様な気がした。
この碑については、館山市在住のブロ友sionecafeさんがアップして下さって知る所と
なった。

今回の房総巡りも、ブロ友の彼の情報を多く頂いた。件の碑は根本海岸に有ります、と。
姉に頼んでこの碑を見たいとリクエストして連れて行って貰った。胸に迫る物が有った。

この辺の波は荒いらしい。小説の舞台になったと言う遠い昔に思いを馳せた。
       

房総半島に行こう!

2012-02-25 | 旅行 見学
 館山駅 
昔の駅舎は既に無く南国の様なお洒落な駅舎に変わった。  県花は菜の花
←花かまくら   
東京から館山に行くには、電車よりJR高速バスが早くて安い(\ 2,300) 約2時間。

  
房総半島の千倉町(チクラ)は私が生まれ育った所。18歳までしか房総には居なかったのに
私の心の中は、いつも房総がある。

房総の良さは、自分が東京人と言える程、長い年月、生活して改めて故郷の良さが
胸に沁みる。

毎年、介護生活を過ごす姉にプレゼントする「感謝の旅」と言うのを企画している。
15年位経つだろうか??

婚家の姑、実家の父は一昨年夏、静かに旅立った。今は実家の母の介護に尽くして
呉れている。早朝、夕方と鴨川市から千倉へと。

冬は房総とは言え、寒く真っ暗な中、向かうのだそうだ。3.40分かかるかな?
本当に頭の下がる介護生活。

今回初めて、姉の希望で千倉の海岸近くに有る旅館を取った。
一回も欠かさず実家に行けるからだ。

 
房総は千葉県の線より下の部分
 「海の花」 

こんなに沢山食べられない、思っただけ  

   

  

串魚をコンロで焼くのも人気 

ゼザート/イチゴ味ゼリー  

 姉と会って直ぐにランチに行ったのがお寿司屋さん。予約客で満杯で
カウンターの席に寄せて頂いた。お洒落で可愛くて、お安くって美味しくて。幸せ!

人気は特製三段ドンブリの海鮮丼。上から「炙り海鮮」「刺身」「花ちらしずし」 \1,500安っ。

神の手&世界らん展日本大賞2012③完

2012-02-24 | セカンドライフ
** ** **

天皇陛下の心臓手術を無事終了した事で、一躍時の人として一般に知られる様になった
神の手を持つと言われるお医者様、天野篤先生。蘭展のブレイクタイムの時、大きな
話題になった。

前夜は、鴨川の篤(アツシ)と言うクラスメイトから電話が入った際にも「俺と同じ名前で
彼が鮮魚が好きで、時々飲んだりしたんだよ。今は離れてしまったけど嬉しい・・・」
と、一時間半も話をしてしまった。

ランチの最中は千葉・鴨川市に有る亀田病院で先生方の秘書をしていたと言う女性から
いろいろなエピソードを聞く事が出来た。
私が「6年も研修医って長いのね」と言うと脳外科医と心臓血管外科医は6年間も研修医
として学ぶのだそうだ。

彼女は先生方の、乗り物のチケットのお世話や、お食事のお世話までしていたと。
心臓の手術中でも、ランチの注文をしたり「エッ?まさか手術中にお食事するの?」と
驚く私に「そうよ、血だらけになっていて、心臓の動きが止まっている内に、お食事するのよ。慣れ慣れ!」と、平然と言う。

普段はブレザーを着ていても、内ポケットに、糸と針を持っていつでも練習できる様に
されているんですって。
大変な努力、研鑽を積んで、研修を修了をされたそうだ。ただ者ではない程に。

そして次に松戸に有る新東京病院に医師として行かれた時は、他の女性が「うちの娘は
手術室担当の看護師なのでご一緒したのよ」驚くばかり。
以前は心臓の動きを、止めてオペをしたらしいが、いつの頃からか、天野先生は心臓の
動きを止めないで、ストレスの少ない方法でオペをされているそうだ。

地方の街の事なので皆よく知っている。
誰の口からも、兎に角努力の人「日本一の医師」と口から出てくる言葉は同じ。

三度目の受験で、日大に入学をして、決してエリートのスタートでは無かったらしいが
心と持ち前の器用さ、卓越した技術で既に医師会ではトップの折り紙が付いていたんだ
と・・・
本当に素晴らしい先生のお話を聞かせて貰って、感激をするばかりだった。

千葉・鴨川でも有名な先生だったらしいが、その病院には300名の医師が勤務しているん
ですって。その中のお一人だったわけで。
偶然では無く素晴らしいお医者さんが神の手を持って立派なお仕事をされた事が嬉しい。




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世界らん展日本大賞2012①

2012-02-22 | セカンドライフ
写真の腕に自信有る方には、申し訳ないのですが、少しでも雰囲気が伝わればと
思い、ランダムにアップしますね。きれいだわ!との思いが伝わると嬉しいです。




  2000本も数えられないわ

まるで藤棚の様な歓迎


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デモンストレーション中の仮屋崎省吾さん 作品

      
 クリームカトレア