なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

[壁」物語?

2008-12-15 17:55:46 | Weblog
 私の。義理の兄は家が「スサ」を扱っていたので・・・スサと言うのはマニラ麻などの植物性繊維で、これを細かく刻んで壁土の中に練りこむのです・・・そういう関係でうちの長姉との結婚を機に建材屋をはじめました。
 これが概ね景気の良い時期に当たっていたので商売は上手く行きました・・・建材でも主に壁の材料が中心・・・仕事熱心で真面目に働く人でしたが、健康を壊して早くに亡くなるなんて大誤算だったでしょう。
 私も高校時代にアルバイトと言う事で配達など手伝いましたが、当時のセメント袋は1俵50kmで重かったです。
 そんなわけで、今でも「壁」というキーワードは死んだ義理の兄を思い出す言葉ですが、そういう義兄を思い浮かべながら「囲碁の壁」の話。
  
 先日久しぶりに向こう2子局を打ちましたが、先月は私が3つ置いて教えていただいたりしていまして、「壁」のようなものを考える機会がありました。
 初めに、壁って進歩していくにつれて登っていく階段の幅がが高いと壁に感じる場合と、もう一つは乗り越える目標としての壁とい二つがあるようです。
 階段の方は・・・
   私の経験(囲碁以外の話ですが)では、ちょっとした障害が大きな流れを堰き止めているようなことがありました。
 私には中学一年の時の、数学で「合同」[相似」の定義がそれに当たります。
  他の人には何でも無いことのようでしたが、私には理解できなかったので、終いには何でこういうことを考える必要があるのかと言う疑問を抱いたりして、方程式のXやYの意味も分からなかったり・・・。
  そういうところを何かのはずみで越えると、流れがスムーズになるようで、苦手が得意科目に変身したりしました。

  囲碁の例では、始めたばかりは27級だとか・・・私もそういう時期があったはずなのですが、今は想像がつかないですね。
 例えば25級と15級ではどう違うのかなどわからないので一応その辺りの話はパスします。
 理解・想像できるのは5級くらいから
  この辺りになると碁が面白くなるようですね(自分の経験では)。
  何となく面白いと感じていたものが、はっきり面白い事に変わるような。
 そして5級、3級、1級と言うようにはっきりとはわかりませんが、かなり質的な変化があるように感じています。
 そして、1級から初段になる時も。
 面白いことに初段になった人は、比較的スムースに2段に成れるみたいです。
 ところが、そこから3段は少し高い壁があるのですが、3段に成れた人は4段になれそう・・・
 ところが5段が再び壁となる。
  ここまでに言って来た壁のところは「経験値」「経験量」だけでなく質的変化が要求されているようです。
 こういうレベルの変化は絶対値的なレベルアップの問題です。

 一方で相対的な問題に属する「壁」もあります。
 大雑把にいえば「ライバルの壁」とか「師匠の壁」です。
  私の場合K畑師匠を目標にしてきまして、一番大変だったのは最後の「2子」のところでしょうね。
 「追いつけそうで追いつけない」[越えられそうで越えられない」だからこそ壁なんでしょうが、後ろ姿が見えてからが大変。
 
 アマチュアでも強い人はプロに先くらいで打てる人もいるのですが、身近にはそこまで強い人はいません。
 一般にプロに2子で打てれば県代表クラスのような気がします・・・その人に先で打てればアマではかなり強い人でしょう。
 と言うことはプロに3子で打てれば相当強い方に属する・・・
  但し普通のアマがプロに3子はかなりきつい手合いです。
 同じ3子でもアマの強豪にはもしかしたら勝てるかも知れない手合いであるのに、プロ相手では絶対に勝てない手合い・・・まさに断崖絶壁。
  ともかく自分の中の壁を乗り越えて少しでもレベルが上がらないと、対碁敵の壁も乗り越えられないと言う事で、年をとると壁を前にため息状態です。
 
 「そんなに苦労せずに楽しめば好いのに」とは思うのですが、「楽しむ」の中に「単に打つ」だけで無く「壁を登る」ことも含まれてしまっているようなので回避できないですね。
  かなり古い歌でダークダックスの「銀色の道」=「苦しい坂も、止まれば下がる」という感じで、砂の壁上りです。
 ずり落ちるのが早いか、上るのが早いか。