先日ネットで自分よりちょっと点数が下の人の対局を観戦していて、ふと思い出したことがあります。
こういう観戦の時いろんな事を感じて、考えながら見ているのは当然ですが・・・
例えば自分ならこの場面でどう打つのか、いやそれ以前にどういう考え方で手を考えるのかなどですね。
そしてもし対局者に訊かれたとして、自分の意見を話して同意してくれるだろうか?、あるいは「そんな手は考えられない」と反対されるか?、または「ありえない」と無視されないか?などなど自分でストーリーとかシナリオを描きながら観戦します・・・(退屈しなはずでしょう?)。
ネットですから直接話をするわけでないし、文章でメイルの交換をしませんから現実的ではありませんが、その分空想をたくましくするのです。
それではリアルで観戦する時にはそういうことが現実になるかと言うと、半分は現実になりますが、半分はなりません。
それがどういうことかと言うと、まれに対局者から意見を求められた時に、恥ずかしながら局面の説明とか、その場面での着手の評価などをはっきりとは言わないのです・・・いや、言えないのです。
つまり最大で、自分ならどうするかという意見なら言えますが、それは「解説」ではありません。
なぜそうかと言うと、かなり強烈な思い出があるのです。
(10年以上前の話)ある大会・日本棋院支部対抗戦県予選、これは3人でチームを作って戦う団体戦で、有力チームには全国的に名前の通った若手などの強豪がそろっています。
そういうところで指定席2つを争うのはかなり厳しくて、現実的に争っているのは4,5チームくらいでしょうか。
私はオリンピック精神のその他チーム。
当時私が通っていた碁会所からは2チームが参加していました。
年に一度か二度こういう大会に参加することで碁会所の風通しが良くなると言う目的、碁会所の常連だけの閉鎖的なムードを破るためですし、他の碁会所の常連さんたちとも交流ができたりして、日頃でもちょっと寄ってくれるようなこともあるのです。
それに碁会所の他の会員にしても、自分たちのところの高段者の大会での成績も気になります・・・相対的に自分たちのレベルも推し量れるようなところもあります。
まあ、そうは言っても団体戦で2勝1敗以上なら勝ち点1ですが、変則リーグ4回戦で代表になるからには最低でも勝ち点3以上が必要ですから、これは私らのチームには無理な話。
まあ2勝上げられれば上出来ですし、個人的に4戦で何勝できるかのチャレンジでもあります。
さてそういう大会で我が碁会所のAチーム(私はBチームの三将)の主将のNさんの相手は学生碁界で有名だった人が率いるチーム、もちろん相手はその強豪本人。
彼はインストラクター的な仕事をしていたらしく、そのチームも常に1勝2敗ペース(彼は勝つけれど、もう1勝が上げられない)。
Nさんは善戦及ばず敗れたのですが・・・局後の検討で、その強豪の彼は序盤の一区切りがついたところで、「この場面で勝敗はついている」と発言した。
彼としては率直な意見だったのだろうか、それともインストラクターとしての解説だったのか・・・
Nさんの重ねての質問に彼の答は「自明」みたいな応え・・・
Nさんの感想では「プロでもないのにあんなに断定的な発言・・・しかも”自明”みたいに説明をしないし・・・」
しかし、彼は”プロもアマも無い”感覚での発言、、、いや多分に気分はプロだったのではなかろうか。
プロ的な感覚とすれば「説明の必要もない」ことだったのでしょうが、それではコミュニケーションとしては成立しない・・・
確かに囲碁的な真理の前にはプロもアマも無いのだけれど、それでも受ける側にすれば、どんなに強い人でもアマはアマと言う考えはあるはず。
そういう光景を見ているので、「こちらから何かを発信するのなら、受けての立場で伝えなければ・・・」という思いがあります。
ところが、絶対的な真実と言うには自信がありませんから、断定的な言い方は出来ないのは当然として、自分の意見としても相手にうまく伝えられるかどうか不安があるわけで、「自分ならこう打ちたい」と言うのが精一杯。
考えてみると自分の仕事上でも私生活でも私は案外このあたりは(自分で言うのも変ですが)律儀な感じがある。
人に何かを伝える時に、数学の定理とか心理みたいな揺るがないものを伝える時は”だ”になりますが、それ以外は”と言うのを見たことがある””書いてあった”などの経験とか引用の形を取るか、”のように考える””と思っている”をかなり使い分ける癖があるようです。
マア、当たり前のことだろうが、拘りみたいなところもあります。
番外の話。
例の予選大会で、ある時の私の個人成績が2勝1敗1手あきだったことがあります。
団体戦でもあり個人の成績は関係ないのですが、私としては勝ち越したのですから嬉しかったのです。
ところが、大方の見方としては「三将同士の対局だから・・・」・・・つまり団体戦での出場のための員数合わせ的メンバーと言うわけです。
団体戦に出たい人が二人いた場合、三人目はそれほど重要ではない・・・
予選突破を狙うなら重要ですが、参加が目的ならその通り。
でも対外試合で勝ち越したからまあいいか、、と思うしかない。
こういう観戦の時いろんな事を感じて、考えながら見ているのは当然ですが・・・
例えば自分ならこの場面でどう打つのか、いやそれ以前にどういう考え方で手を考えるのかなどですね。
そしてもし対局者に訊かれたとして、自分の意見を話して同意してくれるだろうか?、あるいは「そんな手は考えられない」と反対されるか?、または「ありえない」と無視されないか?などなど自分でストーリーとかシナリオを描きながら観戦します・・・(退屈しなはずでしょう?)。
ネットですから直接話をするわけでないし、文章でメイルの交換をしませんから現実的ではありませんが、その分空想をたくましくするのです。
それではリアルで観戦する時にはそういうことが現実になるかと言うと、半分は現実になりますが、半分はなりません。
それがどういうことかと言うと、まれに対局者から意見を求められた時に、恥ずかしながら局面の説明とか、その場面での着手の評価などをはっきりとは言わないのです・・・いや、言えないのです。
つまり最大で、自分ならどうするかという意見なら言えますが、それは「解説」ではありません。
なぜそうかと言うと、かなり強烈な思い出があるのです。
(10年以上前の話)ある大会・日本棋院支部対抗戦県予選、これは3人でチームを作って戦う団体戦で、有力チームには全国的に名前の通った若手などの強豪がそろっています。
そういうところで指定席2つを争うのはかなり厳しくて、現実的に争っているのは4,5チームくらいでしょうか。
私はオリンピック精神のその他チーム。
当時私が通っていた碁会所からは2チームが参加していました。
年に一度か二度こういう大会に参加することで碁会所の風通しが良くなると言う目的、碁会所の常連だけの閉鎖的なムードを破るためですし、他の碁会所の常連さんたちとも交流ができたりして、日頃でもちょっと寄ってくれるようなこともあるのです。
それに碁会所の他の会員にしても、自分たちのところの高段者の大会での成績も気になります・・・相対的に自分たちのレベルも推し量れるようなところもあります。
まあ、そうは言っても団体戦で2勝1敗以上なら勝ち点1ですが、変則リーグ4回戦で代表になるからには最低でも勝ち点3以上が必要ですから、これは私らのチームには無理な話。
まあ2勝上げられれば上出来ですし、個人的に4戦で何勝できるかのチャレンジでもあります。
さてそういう大会で我が碁会所のAチーム(私はBチームの三将)の主将のNさんの相手は学生碁界で有名だった人が率いるチーム、もちろん相手はその強豪本人。
彼はインストラクター的な仕事をしていたらしく、そのチームも常に1勝2敗ペース(彼は勝つけれど、もう1勝が上げられない)。
Nさんは善戦及ばず敗れたのですが・・・局後の検討で、その強豪の彼は序盤の一区切りがついたところで、「この場面で勝敗はついている」と発言した。
彼としては率直な意見だったのだろうか、それともインストラクターとしての解説だったのか・・・
Nさんの重ねての質問に彼の答は「自明」みたいな応え・・・
Nさんの感想では「プロでもないのにあんなに断定的な発言・・・しかも”自明”みたいに説明をしないし・・・」
しかし、彼は”プロもアマも無い”感覚での発言、、、いや多分に気分はプロだったのではなかろうか。
プロ的な感覚とすれば「説明の必要もない」ことだったのでしょうが、それではコミュニケーションとしては成立しない・・・
確かに囲碁的な真理の前にはプロもアマも無いのだけれど、それでも受ける側にすれば、どんなに強い人でもアマはアマと言う考えはあるはず。
そういう光景を見ているので、「こちらから何かを発信するのなら、受けての立場で伝えなければ・・・」という思いがあります。
ところが、絶対的な真実と言うには自信がありませんから、断定的な言い方は出来ないのは当然として、自分の意見としても相手にうまく伝えられるかどうか不安があるわけで、「自分ならこう打ちたい」と言うのが精一杯。
考えてみると自分の仕事上でも私生活でも私は案外このあたりは(自分で言うのも変ですが)律儀な感じがある。
人に何かを伝える時に、数学の定理とか心理みたいな揺るがないものを伝える時は”だ”になりますが、それ以外は”と言うのを見たことがある””書いてあった”などの経験とか引用の形を取るか、”のように考える””と思っている”をかなり使い分ける癖があるようです。
マア、当たり前のことだろうが、拘りみたいなところもあります。
番外の話。
例の予選大会で、ある時の私の個人成績が2勝1敗1手あきだったことがあります。
団体戦でもあり個人の成績は関係ないのですが、私としては勝ち越したのですから嬉しかったのです。
ところが、大方の見方としては「三将同士の対局だから・・・」・・・つまり団体戦での出場のための員数合わせ的メンバーと言うわけです。
団体戦に出たい人が二人いた場合、三人目はそれほど重要ではない・・・
予選突破を狙うなら重要ですが、参加が目的ならその通り。
でも対外試合で勝ち越したからまあいいか、、と思うしかない。