赤峰和彦の 『 日本と国際社会の真相 』

すでに生起して戻ることのできない変化、重大な影響力をもつ変化でありながら一般には認識されていない変化について分析します。

報道の自由は何に由来するのか コラム(147)

2016-02-14 00:00:00 | 政治見解



コラム(147):報道の自由は何に由来するのか

報道の自由は憲法に明記されていない

「マスコミには立法・行政・司法の三権を監視する使命がある」という報道機関の言動をよく耳にします。報道機関は第四権力と僭称していますが、「三権を監視する使命」とは、いつ、どこで、誰から付与されたものなのでしょうか? 

とりわけ、護憲勢力の代表のように振舞うマスコミは、報道の自由が伝家の宝刀となっていて、これを振りかざすことで誰にも文句を言わせない状況を作り出しています。しかし、日本国憲法にはどこにも報道の自由について「これを保障する」という文言は見当たりません。

強いてあげれば憲法第21条の「表現の自由」を援用するか、昭和44年の最高裁判決の「事実の報道の自由は、表現の自由を規定した憲法21条の保障のもとにある」を根拠にするしかありません。しかし、最高裁の判断は「事実の報道」であって「虚報や捏造報道」は含まれていません。

報道の自由が明確に保障されるためには憲法を改正し、条文の中に明文化することが必要です。しかしこれこそ、憲法改正を嫌うマスコミにとっては至難の技ではないでしょうか。


電波停止に怯えるテレビ局

最近ではテレビ報道に問題が多く発生しています。

2月9日の衆議院の予算委員会で、偏向報道番組に対する電波停止問題についての質疑が交わされました。民主党の玉木雄一郎議員は放送法第四条の「政治的に公平であること」の規定に反した場合でも罰則適用をすべきでないと迫ったのに対し、高市総務大臣は「将来にわたってまで、罰則規定を一切適用しないということまでは担保できない」と述べています。

テレビ朝日の報道ステーションでは「放送法第四条は報道機関の自主規制、報道倫理の問題で権力が介入すべきではない」と主張していました。

これは報道は公正中立であるという基本的な倫理観を否定したに等しいものです。公正で中立な報道をしているとの自負があれば放送法の規定や罰則を恐れる必要はないはずです。逆に自らの行為に放送法違反があることを証明していることになるのではないでしょうか。

国会で問題を重視するのであれば、テレビ朝日やTBSの社長を予算委員会に参考人招致して、放送事業者としての考えを国民に表明していただくことが望ましいのではないかと思います。


報道機関に蔓延する独善性

報道の自由問題は地方レベルでもさまざまな問題を引き起こしています。

滋賀県議会がNHK大津放送局に対して2月17日の全員協議会で釈明を求めることを予定しています。県が予算案を県政記者クラブに説明した際、NHKが報道日の要請を無視して報道したことに対する措置です。

県議会の議事の前にNHKが報道するという行為は、単に勇み足という次元ではありません。議会制民主主義のルールを逸脱する行為です。なぜなら、議会での説明審議を先にしなければ、議会は不用ということになります。共産党を含む全会派が遺憾と表明するのは当然のことです。

まさに報道機関全体に傲慢な精神が蔓延している証左だと思います。


自由には責任が伴う

実は、報道の自由を強く主張する報道機関ほど反体制で、国家や社会に対する破壊願望を強く持っています。また、報道被害に対しては責任を取ろうとしません。

国際問題にまで発展した捏造報道や虚報に対してさえも、報道の自由を盾に居直ります。朝日新聞の慰安婦報道はその典型です。

報道機関が、思想の自由や表現の自由を通して報道の自由を標榜するのであるなら、自由には責任が伴うことを改めて認識し、責任を取る覚悟を持っていただきたいと思います。責任の所在を明らかにしなければ公平性は担保できません。仮に、責任を取らずに報道し続けることは、言論の暴力です。

現在は、情報の選択肢が多いため、報道機関が情報を独占し操作することが出来ない時代になっています。各報道機関は時代を謙虚に認識し、公正中立な報道を心がけていただきたいと思います。

今後、マスコミは、「報道機関は、三権を監視する使命がある」などという傲慢な言葉を間違っても口にしてはなりません。



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