コラム(358):
コロナ禍で考えさせられた「食」の在り方
これまで不況には無縁と言われた外食産業がコロナ禍で苦境に立っています。集客が見込めなくなる上、家賃と人件費の負担が経営を圧迫しているからです。個人経営のみならず外食大手にも影響を与えており、閉店が続出しています。
その一方で、この難局を跳ね返し乗り越えていく企業や店もあります。様々なアイデアで集客を伸ばしたり、客から支援を受けている店もあります。
この明暗の差は一体どこにあるのでしょうか。
経営者が客へのサービスを常に意識して工夫や改善を図っているところは「お客においしいものを食べていただきたい」「お客さんの喜んでいる姿を見るのが嬉しい」という気持ちにあふれています。そうした客への心遣いが、様々な形でのお客からの支援につながり経営が安定します。
生活の手段や金儲けの道具としてだけ営業しているところは、経営環境が悪化するたびに社会や政治のせいにして文句をならべます。これではコロナ禍でなくともお客は寄り付きません。
両者は食材の取り扱いにも違いがあります。お客を大切にするところは食材に対しても感謝の気持ちがあり大切に扱います。一方、利益だけが目的のところは金にならなかった食材を平気で捨てる傾向があります。
コロナ禍で余った食材を活用して無償で提供した店が評判になった事例もあるのです。
食材の廃棄が発生するのは外食産業だけではありません。本当はまだ食べられるのに捨てられる食品のロスは、農林水産牧畜に関わる分野から食品産業全般、さらに消費者に至るまで大量にあります。
先進諸国では年間13億トンもの食品が廃棄されています。これは世界の飢餓人口10億人を十分に養えるほどの量に当たります。日本の年間の食品廃棄量は640万トンにも及び、世界全体の食料援助量約320万トンの約2倍に相当します。
また、食品ロスの要因として、サイズや形が規格に合わないという理由だけで捨てられてしまう食材が大量にあります。さらに「消費期限」「賞味期限」などの制約により実際には安全な食品が大量に捨てられています。
生産された食材が次々に廃棄されている現実は、食料資源の無駄遣いをしているだけでなく、満足に食べられない人への思いやりのなさを象徴する行為だと思います。
コロナ禍を通しあらためて「食」の在り方について考え直す機会としたいと思っています。
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