記憶が曖昧だけど、私とKとのやり取りを書いた中でkが
私にはなった言葉(私とは漱石の中の主人公としての私)ストイックなKは
挫折を味わった自分自身、つまり漱石なのかもしれない。
結局自分を追い詰めていった結果Kは自死してしまう。
概念だけでは人間を表せないし形而上学的にいえば自我を追い続けると
自我の開放は死という事がひとつと、ごく普通な私は当たりまえのように
生きているろいう漱石なりの皮肉が込められている。
でも 座右寢名にしていた、のは確かでこの言葉のおかげで困難にぶつかっとき
よくひそかに思い出していた