北氏が敬愛した作家がトーマスマンであり中でも「魔の山」を愛読していたそうだ。
なので、「魔の山」を読んでみたが、なぜかちっとも面白くなくて途中で挫折してしまった。
氏が「ソウウツ」を患いつつも生涯現役を貫いたのには、氏がたいへん気に入って使っていた
「滑稽と悲惨」がひとつのキーワードになるのかもしれない。「滑稽と悲惨」は読んだそのままなのだが、
少しく説明すれば、例えば豚を運んでいるトラックが横転したとする。
豚は四方八方に逃げるに決まっているので運転手からすればとても「悲惨な」出来事である。
しかし、逃げまとう豚を必死に追いかけている姿は見ようによっては「滑稽」に感じるのである。
遁走する豚達とそれを追いかける人、対義的な事象も立場や見方が違えば、実は同じことなのだと
云う事で、よって喜劇が悲劇に、悲劇が喜劇になる事は十二分にありえるよいう解釈だと想う。
北氏は若かりし頃自身で「文学的素養のなきこと」と綴ったそうだが、それを聞くと私のまとまりの無い
冗長な文のようなものは、なんとも表現しようが無く恥じ入る限りである。
ところで、氏から頂いた手紙類は、これまで一切公にしていない。私だけが文通をしていたとも限らないのだが
たいへん貴重なものであることは、間違えないと想う。
本当に、本当のどちらかといえば斉藤宗吉氏として文を返していただいていると感じる部分が多々あるので
ご家族にお返しするのが筋なのかもしれないのだが・・・。
連絡しようと思えば連絡をする手段はある。なぜ、連絡をしないのか?迷う限りではある。
ただ、いずれ機会がきっと来ると想うので、その時に・・・・と思っている。
北氏の文字はとても小さくて、今では拡大鏡をもたないと・・というぐらいである。
また、夫という字の最後のところを伸ばす癖がある。そして文の終わりには「ではお元気で」と結ぶのが
これもずうっとかわらない習慣である。
そして時たま万年筆だったが、青いボールペン??を多用されていた。
ふと、北杜夫氏のことを書き始めたら、感傷的になった。、あの時代のじぶんがそこかしこを横切る
少なくとも今のようにあつかましいおっさんではなかったし、なによりも純真だったような?気がするだけです。