冷蔵状態のシーラカンスの解剖は国立科学博物館で行なわれた。
解剖の手順などは私は知らされていないままだった。とりあえずフィルムは36枚撮りを200本(ネガとポジ)
モノクロを50本用意した。当時の報道スチールの流行?で電源から外付けストロボ2台へ電源を供給するので
その充電式バッテリーをひとつ新たに買って4個と充電器、ストロボはヘッドが交換できるタイプにした。
さらに、サブメインのストロボを2つとアルカリ単三電池100本などを用意して、解剖が行なわれる部屋とは
別のところに篠ノ井、小林(VTR担当)と待機していた。
で、フィルムケースだけにしてそのうえに番号をふってみたりしていた。
どこで解剖するのかを教えてもらい、そこにアルミケースのひとつをおいて、ストロボの充電器から電源を確保
ウエストポーチには、30本フィルムを入れておいて、あとはシンクロコードを改造しておいたので、
発火テストなどを行なった。
いろんな局から問い合わせが入ってきだしたので、緊張が高まるなか突然篠ノ井さんが不機嫌になった。
NHKだけが、公共放送であるから当然の如く取材の電話をよこしたそうだが、解剖が始ろうとしている時に
電話がきたらしくて、全く横柄だといって解剖の時ももちろん解剖後の独占インタビューの申し出も断ったと
いっていた(実際この時の解剖のVはNHKのアーカイブスにはないのである)
さすが仁侠映画の監督だぁなんて思う余裕もなく、渡された「シーラカンス学術調査隊」の腕章を腕につけて
いざ出陣とあいなった。
解剖台に乗せられたシーラカンスとご対面した第一印象は「発達した前ひれの太さが私の腕より太く
これならば、かつては海底を歩いているなどという説があったのがりかいできた」
解剖を実際に行なったのは上野輝彌氏(シーラカンスはるかなる古生代の証人 講談社学術文庫著者)で
これがまた結構手際よく解体していくのであった。
解剖代の周りは研究者達も大勢でかつ報道陣も各社からきていてごった返していた。
他局のビデオがいようがともかくその前で撮影をしていた。時には「邪魔だどけ」なんて怒鳴られたが
学術調査隊のオフィシャルである腕章をみて、黙ってくれた。
次にどういう手順で進むのかが読めない時が多々あり、フィルムの交換のタイミングがなかなかはかれない
なので10枚で巻き戻しをかけているあいだにもう一台でと切れ目がなるべくでないようにした。
F3Pにはモータードライブがあるのだが、8本の単三電池を使っているのに36EXを
巻き戻すのに、6秒位かかる。それとかなりの数のスチールが放つストロボ光がかぶりまくりだった。
そこは想定していたのでTTLという調光システムで切り抜けた。