朱の徒然

変形性股関節症の76歳

定命とメダカ

2014年06月28日 | 日記

 十代のころから、ひとりぼっちでの楽しみに映画があります。
今、本当に観たい映画は洋画で「グランド・ブタペスト・ホテル」や「ブルージャスミン」といったおしゃれで夢見れる作品です。でも、これらの映画館は電車に乗って30分、それから私の今の歩みなら徒歩30分。口惜しいけれど映画館に着くまでに疲れて電池切れ。それを考えたら無理。観たい映画がまだ見れない!
 で、近くのイオンの映画館にしました。
「私のハワイの歩き方」にしようか、劇団ひとりの「青天の霹靂」にしようか迷って、笑いたいので「青天の霹靂」にしました。
結論は駄作。笑いもなし。

それに今のこの足では映画館の椅子に2時間座るのは、早すぎました。私とシルバーカップルだけでしたので、かなり自由に意識して足は動かしましたが、股関節付近の痛みが起こり、帰りは不自然に歩きました。でも、まあこれも一晩寝ると治りました。

 「青天の霹靂」は出産と引き換えに母親が死ぬと云う話でしたので少し考えました。
私のように命に別条のない病で傷つくのは僭越ではないか?もっと辛い病の方に申し訳ない。それなのに、少しの体の痛みを心の苦痛に変えようとしている自分がいる。まあ、こんな風に、少しでも他者を思えるようになったということが、元気になったということでしょうか?

 昔、母が「人間は生まれる前から、死ぬ時は決まってるらしいものね」と囁いた時「そんな恐ろしいことを」と思いましたが、それは仏教では「定命」だとか。母は無信仰でしたが誰に聞いたのでしょうか・・。故夏目雅子の夫だった伊集院静が「人間はたとえ事故や病気で死んだとしても実は寿命でこの世を去る。どうやって生きて、この世を去るのかも寿命が決める」と週刊誌に書いていました。愛する人を失った人だけが出しえる納得でしょうか?

 今、生まれたてのメダカ達を見ていて思います。
 卵で親に食べられてしまうもの、運よく孵化しても、何かの加減でパーッと大量死する事もあります。父がよく話していた芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を意識しながら、メダカの神の手となった私は、彼方此方に異動させます。それでも何故?こんなことがと思うことも起こります。
嘆く私に夫は云います。自然の摂理だと!   ああ!

(メダカは何年もの間、代々と命は受け継がれて私の心を癒してくれています。
 40年物のロッキングチェアの上にも
 リビングのテーブルの上にも
 台所でも  子どものメダカが泳ぎ、初夏を告げています)


コメント (1)
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