「うつのみや民話の集い」 場所 旧篠原家住宅 2013.1.5
第一と第三の土曜日に定期的に行われている民話の集いで語った。
新しい試みとして、聞き手のみなさんに三つのお願いをした。
一つは小学生の頃の自分に戻って聞いてほしい。
二つ目は囲炉裏端での語りをイメージして聞いてほしい。
三つ目は相槌を打ってほしい。
一つ、民話というものは子供を相手に語るものじゃないか、と思うようになった。
大人を相手に語るもんだろうか、と いう疑問。
(民話の集いでは語り手も聞き手もみんな大人という現実)
寄合、直会(なおらい)などの席での語りは、また別物。
二つ、語りの原点は囲炉裏端での語りじゃないか、と思うようになった。
訥々(とつとつ)とした、アドリブにあふれた世界じゃないか、と いう疑問。
ステージの語りは、また別物。
三つ、民話の語りに相槌(あいづち)は欠(か)かせないものじゃないか、と思うようになった。
民話の集いの語りではみんな静かに聞いていることが多い。
民話って、聞き手(子供)とコミュニケーションをとりながら語るもんじゃないか、と いう疑問。
聞き手がいなければ語りは成立しないのだから、聞き手を大事にする語りをしたい。
そんな思いを、みんなにぶつけてみたかった。
結果は?
キャリアの浅さを痛感させられた。
語りの背後に活字が見える語りから抜け出していない。
もっともっと、場数を踏まなきゃなんない。
追記(囲炉裏端での語りとステージの語りと違うところ)
<民話の習熟度>
実際の語りでは、子供たちは何度も同じ話を聞いた(聞かされた)んだと思う。
子供たちは、次はどういうことになるかわかって聞いていただろう。
今は一回限りの一発勝負に近い。
初めて聞く話と何度も聞いている話ではずいぶんと違いがあるだろう。
<語り手と聞き手の構成>
民話は家族の単位で語られてきた。
ばあちゃんが孫たちに語って聞かせた。
4、5人を相手の語りと、20人以上の人を相手の語りでは、当然、違ってくるだろう。
<民話の語られた背景>
民話が語られていた時代はテレビもラジオもなかった。
テレビもゲームもある今、子供を飽きさせない語りをするのはどんなに大変なことか。
第一と第三の土曜日に定期的に行われている民話の集いで語った。
新しい試みとして、聞き手のみなさんに三つのお願いをした。
一つは小学生の頃の自分に戻って聞いてほしい。
二つ目は囲炉裏端での語りをイメージして聞いてほしい。
三つ目は相槌を打ってほしい。
一つ、民話というものは子供を相手に語るものじゃないか、と思うようになった。
大人を相手に語るもんだろうか、と いう疑問。
(民話の集いでは語り手も聞き手もみんな大人という現実)
寄合、直会(なおらい)などの席での語りは、また別物。
二つ、語りの原点は囲炉裏端での語りじゃないか、と思うようになった。
訥々(とつとつ)とした、アドリブにあふれた世界じゃないか、と いう疑問。
ステージの語りは、また別物。
三つ、民話の語りに相槌(あいづち)は欠(か)かせないものじゃないか、と思うようになった。
民話の集いの語りではみんな静かに聞いていることが多い。
民話って、聞き手(子供)とコミュニケーションをとりながら語るもんじゃないか、と いう疑問。
聞き手がいなければ語りは成立しないのだから、聞き手を大事にする語りをしたい。
そんな思いを、みんなにぶつけてみたかった。
結果は?
キャリアの浅さを痛感させられた。
語りの背後に活字が見える語りから抜け出していない。
もっともっと、場数を踏まなきゃなんない。
追記(囲炉裏端での語りとステージの語りと違うところ)
<民話の習熟度>
実際の語りでは、子供たちは何度も同じ話を聞いた(聞かされた)んだと思う。
子供たちは、次はどういうことになるかわかって聞いていただろう。
今は一回限りの一発勝負に近い。
初めて聞く話と何度も聞いている話ではずいぶんと違いがあるだろう。
<語り手と聞き手の構成>
民話は家族の単位で語られてきた。
ばあちゃんが孫たちに語って聞かせた。
4、5人を相手の語りと、20人以上の人を相手の語りでは、当然、違ってくるだろう。
<民話の語られた背景>
民話が語られていた時代はテレビもラジオもなかった。
テレビもゲームもある今、子供を飽きさせない語りをするのはどんなに大変なことか。