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「碧鈴」 第16号 「出されなかった手紙」 その2

2013年01月24日 01時04分19秒 | マイ・エッセイ&碧鈴
「碧鈴」 第16号 (昭和44年)「出されなかった手紙」 風来 武(かざき たけし)

 「出されなかった手紙」 その2

 僕が酒を飲むようになったこと、あなたは信じることができるだろうか。
僕はあなたも知っているように、宮沢賢治を最高の人間像とする理想主義者だった。

 あなたも賢治が好きだった。
二人で童話を読みあったあの頃がなつかしい。

 しかし、僕は坂口安吾を知ってから、一挙転じて堕落主義者になったのです。
僕の言葉に以前の僕から想像できないような言葉があったなら、それはこの故です。

 僕は白より黒になろうとしたのです。
僕は堕落の道をひたすら走り続けました。

 そして、今、僕は堕落地獄にいます。
怖しい世界です。(贅言はやめます。)

 僕は転機にたったのです。
このまま堕落を続けるか、以前の僕に戻るか。
このまま堕落を続けたら、僕は必ず死ぬでしょう。
それも近いうちに。

 僕は堕落しながら、いつも以前の僕に郷愁を感じていました。
僕は自暴自棄になっていたのです。
馬鹿のように、「堕落しなければいけない。」
と、自分で無理やり言い聞かせて生きてきたのです。
苦しい毎日でした。

 「汚れた心を悲しみ、せめて身体だけでも清くしようと毎日銭湯に行って、一心不乱に
「清くなれ!」と祈りながら、身体を洗っていたあの頃。

 酔いすぎたようだ。
僕は愚痴を言うのを極度に嫌う。
その戒律が破られている。
もっと冷静にならなければ。

 それはこの手紙を書くにあたって、もっとも注意したことなのだ。
酒を飲んだのはよどみなく書けるようにです。

 恥ずかしい告白をしなければなりません。
あなたに絶交状を書いた夜、酒に酔った僕はあなたを自瀆の対象にしてしまったのです。
僕はそれ以前、アダムとイブの最初の性行為を夢見て、自瀆した。
イブがその対象だった。

 僕はあなたに肉体があると信じられなかった。
あなたに肉体がなければと何度願ったことか。
あなたの肉体の妄念にとりつかれ、眠れなかった夜が何日も続いた。

 陳腐な、あまりに陳腐なことなのだ。
僕はあなたを汚さなければならないと決心した。
そうしなければ、僕は今の僕から脱皮することができないのだ。
それは僕の無垢への憧れを完全に断つことになるのだ。

 だが、すぐ僕にはできなかった。
その焦燥が、絶交の手紙を書かせ、その夜、激情に狂った僕はあなたを犯してしまった。
僕はこの時ほど、自分が堕落したことを痛感したことはなかった。
そして、堕落を悲しんだことも。

 僕は罪意識に責められた。
僕は僕にまだ罪意識があったことを喜んでいいのか、悲しんでいいのか、わからなかった。

 だが、僕はこれを契機に新しい自分を確立するのだという野心に燃えていた。
無垢の化身としてのあなたを葬ったことで、それは可能になったのだと信じて疑わなかった。

 しかし、ああ、しかし、あなたは決して汚れはしなかったのだ。
変わらずあなたは無垢の化身として僕の心の中にいる。
僕は敗北した。
堕落主義に敗北したのだ。
僕はどうしようもないほど、甘ったるい理想主義者だったのだ。

 僕は今、根無し草のような自分を反省し、早くしっかりとした大地に根を下ろそうと、
努力しながら生きている。
この先、自分がどうなっていくのか、自分の眼で見ていけるのだと思うと、生きていくのが楽しい。

 もう書くのやめます。
この手紙は無意味なのではないかという不安が、最初から離れなかったが、
僕はこれ以上その不安に耐えられなくなった。

 でも、この手紙出すつもりです。
僕はこれほど真剣に手紙を書いたことはないし、書くべきことも大体かけたように思うからです。

無礼があったらお許しください。
決して酒の故ではありません。

 幸福になってください。

 終わり