民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

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「碧鈴」 第14号 「雪」

2013年01月18日 00時12分11秒 | マイ・エッセイ&碧鈴
 「碧鈴」 第14号 「雪」 風来 武(かざき たけし)

 「碧鈴」とはオレが学生時代、入っていた同人雑誌の名前。
そこでオレが書いたモノ。(読みやすいように改行した)
風来 武はオレのペンネーム。
この「雪」は、前にアップした「雨」と連作。

 「雪」

 今日は一日中雪が降っていた。
朝、今日は馬鹿に寒いなと感じたが、まさか雪が降っているとは思わなかった。
昨日の徹夜の仕事の疲れで昼過ぎまで寝ていた。
雪が降っているのに気がついたのは、食事をしに外出しようとした時だった。
下駄をはいて玄関の戸を開けると、雪がきれいに降っていた。
雪は既に、大分積もっていた。
新鮮な驚きだった。
かすかな痛みさえあった。

 部屋にかさを取りに行き、かさをさして出掛けた。
途中、雪だるまを作ったり、雪合戦をしたりして元気に遊んでいる子供達を見て、
かさをさして陰鬱そうに歩き、雪はさぞかし冷たいだろうに、などとつぶやいている自分に、
一抹の寂しさをおぼえた。
それと自嘲を。
これは最近の俺の一種の癖になっていた。
何かする度に自嘲をおぼえずにはいられなかった。
悲しい諦め、心のかすかな疼き、自棄、罪の意識、そして寂しさ。

 食事をすましてすぐ家に帰り、窓から雪景色を眺めた。
別に雪景色など眺めたいわけでもなかった。
こたつにでも入って、寝転んでいた方がずっと俺の性に合っていた。
しかし、作家としての業がそれを許さなかった。
おざなりに雪景色を眺め、過去の作家の雪の描写を、雪への賛辞を思い起こし、
それらを理解し、共感しようとしていた。
作為以外の何物でもなかった。

 そんな自分にまたもや言い知れぬ自嘲をおぼえた。
もうこの類(たぐい)の自嘲には慣れっこになっていた。
俺は雪は美しい、とただそれだけ言えばよいと思った。
くどくどしい描写など必要ない。
それは感受性の鋭さを競いあっているという一種の衒いを感じさせた。
これは鈍感な人間の僻み根性だろうか。

 ふと去年のことを思い出した。
やはり今日と同じく雪が降った時のことを。
深夜の二時頃、ラジオで雪が降り出したというニュースを聞いて、嬉しくなってすぐ窓を開けたら、
勢いよく降っていて、もう数センチ積もっていた。
雪と遊ぼうと思って裸足で表に飛び出した。

 だけど、遊ぶと言っても、まだ誰も通っていない雪に足跡をつけて喜んでいるだけで、
その辺を歩き回っている時、公園で無心に、木に積もった雪を指先でチョコンとつついて落としたりして、楽しそうに遊んでいる女学生を見て、俺はもうあの娘のように無心に、
(それはほんとうに純真無垢な姿だった。)雪を戯れることはできないのだろうか、
と寂しい羨望が心に浮かんで消えた。
その羨望に自嘲は含まれていなかった。

 窓の下に溝(どぶ)があった。
かすかに流れているが、汚物がたまっていて悪臭を放ち、俺はかなり閉口していた。
そのため窓はほとんど締め切っていた。
それに北窓の故もあって、俺の部屋は昼間でも薄暗く、一日中電球を燈していた。
今は雪景色を眺めるために、(雪景色と言っても見えるのは道路と家だけだが。)電球を消していた。
消した瞬間、雪の白さが眼に焼きつき、積もった雪が動いたのを感じた。
その変化がおもしろくて、何度か電球を点滅させたが、やがてそれにも飽きて雪を眺め始めた。

 溝(どぶ)の汚臭が鼻につく。
恨めしそうに溝(どぶ)を見下げた。
ほとんど流れていないで真っ黒な姿をさらしていた。
その黒さは回りの真っ白い雪の中にあって、嫌悪、醜さを通り越して悲しさを感じさせた。
いくら雪をかぶってもすぐ溶かしてしまい、真っ黒な状態は変わらなかった。
汚臭に耐えながら、その溝(どぶ)を見ている中、一つの希望が俺の心をとらえた。

「この真っ黒な溝(どぶ)を雪の白さで清めてくれ!」そう真剣に願った。
それは俺を救うことでもあるのだ。
俺は食い入るように溝(どぶ)を凝視した。無数の雪の粒が溝(どぶ)の上に降りかかった。
だが、溝(どぶ)は変わらず、不気味な黒さが俺の前にあった。
俺は溝(どぶ)の黒さに不気味を感じるようになっていた。

 雪はしんしんと降り続いた。

「汚れちまった悲しみに、今日も小雪の降りかかる。」中也は天才だと思った。

 もう何時間たっただろうか、小雪になった。
だが、溝(どぶ)は依然として黒い口をあけて遠慮なしに真っ白い雪を吸い込んでいた。
残酷だった。
「もっと降れ!もっと降れ!」俺は絶望的に叫んだ。
雪はやみそうになっていた。
「もっと降れ!もっと降れ!」だが雪は俺の期待を裏切って、終にやんだ。

 溝(どぶ)はもとのままだった。
雪の白さをもってしてもこの黒さを被い隠すことはできなかったのか。
俺は絶望を感じた。
だが、それとは裏腹に、心のどこか片隅で、緩やかな安堵を感じていた。

 こたつに戻って煙草を吸った。
虚無、心の空洞、悲惨、寂寥。
心の中がどっしりと重かった。
煙草を大きく吸い込んだ時、不意に嘔吐した。

 やりきれなく、いたたまれなくなって表に飛び出し、気が狂ったように回りの雪を掴んでは、
溝(どぶ)の中へ投げ入れた。
溝(どぶ)の上に雪が山のように重なって、溝(どぶ)の黒さが消えた時、
ぐっと肩を落として安心したように、真っ白な雪の山を見、勝利を叫んだ。

 だが、その声は気弱く、心の中は敗北感に打ち負かされていた。
そして、その敗北感は、雪の山に次第に黒さが染み出して来たのを見て、限界までに強まった。
無慈悲に、じわじわと浮かび出てくる無数の黒い斑点。
それを見ている中に、俺は不覚にも、いつのまにか涙を流していた。
 

 終わり