民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

語り手のわたしと聞き手のあなたが
一緒の時間、空間を過ごす。まさに一期一会。

「碧鈴」 第15号 「断片」

2013年01月20日 00時02分25秒 | マイ・エッセイ&碧鈴
  「碧鈴」 第15号 「断片」 風来 武(かざき たけし)

「碧鈴」とはオレが学生時代、入っていた同人雑誌の名前。
そこでオレが書いたモノ。(読みやすいように改行した)
風来 武はオレのペンネーム。

「断片」

 「彼の信じられるものは逆説だけだった。
だが、そもそも逆説というものは信じられるものではない。
彼の悲劇はここにあった。」

 俺は太陽の子、風来坊だ。

 十三の少女と恋がしたい。
僕が十五か十六の頃、先生からフランスの作家(誰だか忘れてしまった)が四十前後になって、
十三の少女と恋をしたという話を聞いた。
その時、僕はある種の感動に胸を打たれながらも、現実にそんな恋をしようとは思わなかった。
いわゆる老いらくの恋というものだろうかということを後で知ったが、
当時の僕にはそんなことはわからなかった。
十五か十六の僕は当然、同年代の女の子を求めた。
だが、その後ずっと、僕は十三の少女との恋を憧れていたのだろうか。
その憧れが十三の少女と恋することの意味を知った今、僕の心の中によみがえった。
 十三の少女と恋がしたい。

 僕は完全主義者(絶対主義者)
 僕は精神主義者
 僕は原始主義者

 以下は四、五年前に知った詩であるが、不思議に忘れられない詩である。
僕が完全に覚えている唯一の詩である。

 子供が噴き出した
この原始の感情を君はどうして偽っているのか
言いたいことは言え
叫びたいことは叫べ
泣きたい時は泣け
笑いたい時は笑え
君はほんとうに今でも
腹の底からこみあげてくるものはないのか

「気狂いになりたい。」
「どうしてだ?」
「あらゆる束縛から解放されるためにだ。」
「気狂いになる以外に道はないのか?」
「ない。少なくとも今の俺には。」
「しかし、気狂いになったら、貴様は人間でなくなるのだぞ。」
「違う。俺は気狂いになることによって、ほんとうの人間らしさを取り戻したいんだ。」

 だが、気狂いになるためにも才能がいるという絶望的な真理。

 そよ風のように生きたい。
野原を歩いている。
名も知らぬ可憐な花の傍らを通り過ぎる。
ほどなく、優しい香りが身を包む。
人間の交流もかくありたいと思う。

「風は己が好むところに吹く。
汝、その声を聞けども、何処より来たり。
何処へ往くを知らず。
すべて霊によりて、生きる者もかくの如し。」(聖書)

 彼は毎日のように国電の駅の改札口にたたずみ、そこを通る人々をぼんやりと見ていた。
彼は待っていた。
誰を?
彼に聞いてみるがいい。
彼は、はにかみながら、こう答えるだろう。
「イブを待っているのです。」
彼はしばらくして、彼と同じように改札口を凝視めている女性を見つけた。
彼は彼女が自分と同種の人間であることを直感した。
はたして、終電車が過ぎると、彼女は淋しそうに去っていった。
 三ヶ月後、(その間、二人は相変わらず同じことをくり返していた。)
彼は思い切って彼女に尋ねた。
「誰を待っているのですか?」
「・・・・・」
「一体、誰を待っているのですか?」
彼女はしばし彼を凝視め、俯いてささやいた。
「アダムを。」
「あなたは?」
「イブ」
二人は静かに抱擁した。
その眼には涙が浮かび、消えなかった。

 人類誕生以来、もっとも厳粛な瞬間。
アダムとイブがお互いの裸身を初めて見た時。

 今村昌平監督の映画「神々の深き欲望」に出てきたトリ子という女。
俺が過去に見たもっとも魅力ある女だった。

 性衝動。
不気味な奴。
ボッキした性器の先端に真っ赤に燃えている煙草の火をおっつけたい。

 「生命の不安と遊ぶことだけが毎日の生き甲斐だった。」(安吾の言葉なり。)

 俺には放浪の血が流れているのかも知れない。
「五両持って旅に出るんだ!」
これは小さい頃の俺の口癖だった。
天涯流浪の民、匹如身。

 人生は戯れに過ぎない。
いや、戯れが人生なのだ。
言葉の遊びではない。
戯れに与えられた生命。
徹頭徹尾、戯れに使い果たすべし。

 たったひとつの行為でその人間を判断しようというだいそれた、
無茶なことはしてはならないと思う。
今日の行為と正反対の行動を明日するかも知れない。
君はその矛盾を非難するだろうか。
だが、彼がその二つの行為のどちらをとるかは、まったく戯れなのだ。
戯れの行為が真実であるかどうか、今は問わない。
しかし、これだけは言っておきたい。
たとえ、二つの行為が矛盾していようとも、どちらも真実の行為なのだ。

 彼は人生の勝負師。
絶えず今という時に生命を賭けて生きている。
付言するならば、彼は賭ける時、必ず自分に不利な方へ賭けるという。

「君は僕に裏切られたことある?」
「うん。」
「僕は君の前から永久に姿を消す。」

 俺はキリスト者がキリストの十字架を背負っているように、俺自身の十字架を背負っている。

 限界判断。
これは至極、重要なことなり。
熟慮に熟慮を重ねて、限界を極めるべし。
限界以内の行為だったら、どんな行為でも許される。
だが、一度、限界を超えたら、人に謗られ、人間世界から追放の憂き目にあうだろう。
 この限界を極めることは僕の長年の念願だった。
そのための修行をずいぶん積んだつもりだ。
その間、どれほど苦しい思いをしただろう。
でも、僕は耐えてきた。
僕が悟道に達すれば、すべて解決がつくだろうと思っていた。
だが、拙い修行の結果、それは僕には不可能なことだと知らされた。
人間の微妙な心理の動き。
神以外の誰が知り得るだろう。

 俺がそれこそ死をもって守っている一線を貴様は無残に踏み越えてしまう。

 人里遠い山奥の泉のほとりで、鷹が翼を休めていた。
そこに無数の小鳥たちが飛んできた。
小鳥たちは渇していた。
しかし、鷹が恐ろしくて近づけなかった。
 鷹は小鳥たちが渇していることを、また自分を恐れていることを察した。
そして、鷹は従容として、飛び去った。
小鳥たちは喜んでいっせいに泉に舞い降り、渇きを癒した。
 だが、無数の小鳥たちの中、誰が知ることができただろう。
鷹の孤独と苦悩を。

 酔生夢死の生涯に憧れる。
と共に、めくるめく幻想の中で生きたいとも願う。

 彼は医者も見放す重い病気にかかっていた。
死期がせまり、親族の者が呼び集められた。
かれは、「死んでたまるか。まだ俺にはやる仕事が残っているのだ。」
と必死に自戒していた。
だが、病には克てず、意識不明に陥った。
数日後、医者は静かに脈をとり、眼球を調べ、おごそかに言った。
「ご臨終です。」
親族の者がどっと泣きくずれた。
驚くべき異変は、その後、起こった
突如、彼はかっと目を開き、起き上がり医者を見やるや、不敵に笑い、
「馬鹿野郎!俺はまだ死にゃしねぇ!」と叫んだのだ。
そして、一同の驚きにもかまわず、一目散に往来に飛び出し、全力で走り、
「俺は死なんぞ!」と、絶叫して、どしんと倒れた。
今度はさすがの彼も絶命した。
壮絶な戦闘死。

 男というものはな、どんなに苦しくたって、苦しいと言っちゃならねぇんだ。
言ったが最後、男でなくなるんだ。

 僕は永遠のみの虫小僧、
いつも、ひとりぼっち。

 (後記)
 こういう形での発表はやはり卑怯だと思う。
だが、今の僕にはこういう方法しかとれなかった。
許しを乞う。
願わくは、これらの断片が、断片のための断片に終わっていないことを。

 僕は今、感覚だけで生きている。
思考することが面倒くさくてならない。
だが、僕はこれらの断片を書くのに極力感覚を抹殺するように努めたつもりだ。

 思考の足りないこれらの断片はみな未熟児たる運命をもっていただろう。
それ故に、苛立った読者に対しても許しを乞う。
そのお詫びにではないが、僕は今後、これらの断片のいとつひとつをもっと深く追求して、
それぞれ、ひとつの作品にしたいと思う。
これらの断片が、いつまで僕の心をとらえているか、保証はないが。

 終わり

「碧鈴」 第14号 「雪」

2013年01月18日 00時12分11秒 | マイ・エッセイ&碧鈴
 「碧鈴」 第14号 「雪」 風来 武(かざき たけし)

 「碧鈴」とはオレが学生時代、入っていた同人雑誌の名前。
そこでオレが書いたモノ。(読みやすいように改行した)
風来 武はオレのペンネーム。
この「雪」は、前にアップした「雨」と連作。

 「雪」

 今日は一日中雪が降っていた。
朝、今日は馬鹿に寒いなと感じたが、まさか雪が降っているとは思わなかった。
昨日の徹夜の仕事の疲れで昼過ぎまで寝ていた。
雪が降っているのに気がついたのは、食事をしに外出しようとした時だった。
下駄をはいて玄関の戸を開けると、雪がきれいに降っていた。
雪は既に、大分積もっていた。
新鮮な驚きだった。
かすかな痛みさえあった。

 部屋にかさを取りに行き、かさをさして出掛けた。
途中、雪だるまを作ったり、雪合戦をしたりして元気に遊んでいる子供達を見て、
かさをさして陰鬱そうに歩き、雪はさぞかし冷たいだろうに、などとつぶやいている自分に、
一抹の寂しさをおぼえた。
それと自嘲を。
これは最近の俺の一種の癖になっていた。
何かする度に自嘲をおぼえずにはいられなかった。
悲しい諦め、心のかすかな疼き、自棄、罪の意識、そして寂しさ。

 食事をすましてすぐ家に帰り、窓から雪景色を眺めた。
別に雪景色など眺めたいわけでもなかった。
こたつにでも入って、寝転んでいた方がずっと俺の性に合っていた。
しかし、作家としての業がそれを許さなかった。
おざなりに雪景色を眺め、過去の作家の雪の描写を、雪への賛辞を思い起こし、
それらを理解し、共感しようとしていた。
作為以外の何物でもなかった。

 そんな自分にまたもや言い知れぬ自嘲をおぼえた。
もうこの類(たぐい)の自嘲には慣れっこになっていた。
俺は雪は美しい、とただそれだけ言えばよいと思った。
くどくどしい描写など必要ない。
それは感受性の鋭さを競いあっているという一種の衒いを感じさせた。
これは鈍感な人間の僻み根性だろうか。

 ふと去年のことを思い出した。
やはり今日と同じく雪が降った時のことを。
深夜の二時頃、ラジオで雪が降り出したというニュースを聞いて、嬉しくなってすぐ窓を開けたら、
勢いよく降っていて、もう数センチ積もっていた。
雪と遊ぼうと思って裸足で表に飛び出した。

 だけど、遊ぶと言っても、まだ誰も通っていない雪に足跡をつけて喜んでいるだけで、
その辺を歩き回っている時、公園で無心に、木に積もった雪を指先でチョコンとつついて落としたりして、楽しそうに遊んでいる女学生を見て、俺はもうあの娘のように無心に、
(それはほんとうに純真無垢な姿だった。)雪を戯れることはできないのだろうか、
と寂しい羨望が心に浮かんで消えた。
その羨望に自嘲は含まれていなかった。

 窓の下に溝(どぶ)があった。
かすかに流れているが、汚物がたまっていて悪臭を放ち、俺はかなり閉口していた。
そのため窓はほとんど締め切っていた。
それに北窓の故もあって、俺の部屋は昼間でも薄暗く、一日中電球を燈していた。
今は雪景色を眺めるために、(雪景色と言っても見えるのは道路と家だけだが。)電球を消していた。
消した瞬間、雪の白さが眼に焼きつき、積もった雪が動いたのを感じた。
その変化がおもしろくて、何度か電球を点滅させたが、やがてそれにも飽きて雪を眺め始めた。

 溝(どぶ)の汚臭が鼻につく。
恨めしそうに溝(どぶ)を見下げた。
ほとんど流れていないで真っ黒な姿をさらしていた。
その黒さは回りの真っ白い雪の中にあって、嫌悪、醜さを通り越して悲しさを感じさせた。
いくら雪をかぶってもすぐ溶かしてしまい、真っ黒な状態は変わらなかった。
汚臭に耐えながら、その溝(どぶ)を見ている中、一つの希望が俺の心をとらえた。

「この真っ黒な溝(どぶ)を雪の白さで清めてくれ!」そう真剣に願った。
それは俺を救うことでもあるのだ。
俺は食い入るように溝(どぶ)を凝視した。無数の雪の粒が溝(どぶ)の上に降りかかった。
だが、溝(どぶ)は変わらず、不気味な黒さが俺の前にあった。
俺は溝(どぶ)の黒さに不気味を感じるようになっていた。

 雪はしんしんと降り続いた。

「汚れちまった悲しみに、今日も小雪の降りかかる。」中也は天才だと思った。

 もう何時間たっただろうか、小雪になった。
だが、溝(どぶ)は依然として黒い口をあけて遠慮なしに真っ白い雪を吸い込んでいた。
残酷だった。
「もっと降れ!もっと降れ!」俺は絶望的に叫んだ。
雪はやみそうになっていた。
「もっと降れ!もっと降れ!」だが雪は俺の期待を裏切って、終にやんだ。

 溝(どぶ)はもとのままだった。
雪の白さをもってしてもこの黒さを被い隠すことはできなかったのか。
俺は絶望を感じた。
だが、それとは裏腹に、心のどこか片隅で、緩やかな安堵を感じていた。

 こたつに戻って煙草を吸った。
虚無、心の空洞、悲惨、寂寥。
心の中がどっしりと重かった。
煙草を大きく吸い込んだ時、不意に嘔吐した。

 やりきれなく、いたたまれなくなって表に飛び出し、気が狂ったように回りの雪を掴んでは、
溝(どぶ)の中へ投げ入れた。
溝(どぶ)の上に雪が山のように重なって、溝(どぶ)の黒さが消えた時、
ぐっと肩を落として安心したように、真っ白な雪の山を見、勝利を叫んだ。

 だが、その声は気弱く、心の中は敗北感に打ち負かされていた。
そして、その敗北感は、雪の山に次第に黒さが染み出して来たのを見て、限界までに強まった。
無慈悲に、じわじわと浮かび出てくる無数の黒い斑点。
それを見ている中に、俺は不覚にも、いつのまにか涙を流していた。
 

 終わり

「碧鈴」 第14号 「雨」

2013年01月16日 02時01分23秒 | マイ・エッセイ&碧鈴
 「碧鈴」 第14号 「雨」 風来 武(かざき たけし)

 「碧鈴」とはオレが学生時代、入っていた同人雑誌の名前。
そこでオレが書いたモノ。(読みやすいように改行した)
風来 武はオレのペンネーム。

 「雨」

 昨日はほとんど一日中、雨が降っていた。
俺はぼんやりと、窓から外を眺めていた。
無意思に降る雨は、俺を無抵抗に受け入れてくれた。
俺にはそれが快かった。

 明るいような、暗いような、どっちともつかぬ空の色。
実際は明るいのかも知れない。
雨に恥じて暗くなっているのだろうか。
中途半端な空。
間断なく降る雨。

 俺は空虚な眼を雨の前に晒していた。
眼の前が雨だれでポツリポツリと刺激される。
それでも俺は何にも考えずに、空虚な眼をひらいて、外を眺めた。

 前の家の物干し竿に靴下が五、六足死んだようにぶら下がっていた。
まだ持ち主が起きていないのだろうか。
しかし昼はとっくに過ぎている。
たぶん起きているはずだ。
部屋にはかすかな明かりが見える。
あの明かりは電燈の明かりに違いない。

 朝早くから降り出した雨は、既に十分、靴下に水を含ませていた。
持ち主はもう取り込んでも仕方がないと諦めたのだろう。
その自暴自棄の犠牲になった靴下。
可哀想な靴下。

 だがそんな感傷を超えて、俺はその靴下を見るのが、今の自分を見るようで、
たまらなく嫌だった。

 が、俺は執拗にその靴下を凝視し続けた。
まるで自分に、今の俺の姿はあんな風なんだぞ、と思い知らせるように。

 終わり

 

「おじいさんとおばあさんの民話語り」 県立博物館

2013年01月14日 00時18分22秒 | 身辺雑記
 「おじいさんとおばあさんの民話語り」

 県立博物館で、毎年、1月から3月の間、毎週、土曜日、2時半から3時まで
「おじいさんとおばあさんの民話語り」をやっている。

 1月12日(土)、聞きに行ってきた。
よく知らないで行ったのだけれど、
その日は、私の所属している「下野民話の会」の当番だった。
(今回は10くらいの民話の会が持ち回りでやっている)

 昔の暮らしのコーナーということで、囲炉裏はある、昔の生活用品はある。
民話を語るにはぴったりの場所だ。

 お客として行ったのに、勉強だからというので、語らしてもらった。
お客さんは、みな、子供連れの親子。
(7、8組いただろうか)
こういうシチュエーションでやるのは初めて。

「友達のとこのネズミ」をやろうと思っていたが、
時間がオーバーしていたので、なにか短いヤツをやろうとして、
思いついたのが、「おしまい」
着物を、お一枚と丁寧に数える定番のハナシ。
語るのは初めて。

 前にリメイクはしていたけど、
(着物をお皿に変えて)
もうだいぶ前のことなので、ざっとしてしか覚えていない。
「えい、なんとかなんべ」って、語り始めた。

 「活字」が頭にない語りをしたのは初めてだ。

 「むかし、あるところに、おじいさんとおばあさんがいたと。
ある日、おばあさんは川へ洗濯に行ったと。」
(おい、おじいさんは山へ芝刈りにを忘れているじゃないか)

 そんな感じで、後でこうすりゃよかった、というところが一杯あったけど、
いい勉強させてもらいました。

「民話の心」 群馬県での講演  持谷 靖子

2013年01月12日 00時57分29秒 | 民話(語り)について
 「民話の心」 群馬県での講演  持谷 靖子 ネットより 

 それから、民話。「昔々」で、始まりました。
で、最後に変なことを言ったでしょう。
いちが酒買って、まんがひん飲んだとかって。
こういうふうに民話は形式があるんですね。

 ばあさんがよく言っていました。
「みんなは俳句だ、短歌なんだとやっているけど、民話だってちやんと規則があるんだぞ。
いいか。初めの言葉、終わりの言葉」なんて、言ってね。
全国、全部違いますけどね。

 儀式もあるんですよ、
最初の「ほんとのこったか、うそのこったか、しんねえけど、ほんとのこととして聞かあさい」
なんて言葉が、それぞれの言葉で、ちゃんとお国自慢で。
「あったごんだか、なかったごんだか、しんねえが、ほんとのごんだと思って聞くばならねえぞよ」
なんていうところを聞いたことがあります。
うちのばあさんは、今言った言葉ですね。それで終わりと初めの言葉があったと。

 それから大切なのは、「私は相づちを打たねば、話はしねえ」
「ばあちゃん、話しろ」
「おまえ、相づち打てるんか」
「相づち打つから、昔話してくれ」。
「昔々って、子どもはよく言ったもんだ」って、そのばあさんが言っていました。

「ばあさん、民話を語って」なんて、言ったら、「民話って何だい」なんて言われたんですけど、
最初のころね。「昔」って言って。
「昔語るけど、相づち打てるか」と、「打つ、打つ」って、子どもは言ってね。

 それで、群馬の北のほうじゃあ、私の住んでいるみなかみ町では、
「昔々あったんだと」「ふーん」「ふんとこしょ」「ふーん」「ふんとこしょ」。両方ですね。
それで「ふんとこしょ」が消えると、「なんだ、相づち打てねえから、眠っちまったか」って、
ばあさまが民話はもうそれでおしまい。

 片品という尾瀬のふもとの、あそこの村へ聞きにいきましたら、
「ふんとこしょ、ふんとこしょ」って、こう言っているんですね。
相づち、必ず打った。素晴らしいって、私、そのとき思いました

 相づちを打たない人が非常に多くなって、「どうしたの」って言ったら、
「関係ないから」なんて言う人もいますしね、いろいろなんですけれども。
相づちを打たなければ、人間関係のコミュニケーションが取れない。
コミュニケーションがすごく取りづらくなった。

 昔は家の中でも家族が、子どもが「話しろ」と、「おまえ、相づち打てるんか」って、
家庭内教育していたんですけどね。無意図的なね。それでコミュニケーションの‥…・。
それで、ばあさんが「聞いてくれる人がいるから、語れるんだよ」
「おめえがえれえんだよ、相づちはえれえんだよ」って、こう言って育ったから、
子どもは「うん、ふんとこしょ、ふんとこしょ」って、言って、
それで、家の中できちっとごあいさつできることが教育されていたということが、
私、素晴らしいなと思いました。

 それから、まず何よりも、聞くから話せるのであって、聞く人が第一番なんだよって、
最初に私も言ったけれども、聞く人が偉いんだよって。
聞くから、相づちを打って聞くからね、聞く人が偉いんだよって、最初の話に戻るわけです。
聞くということは、相手の話を拾ってやって、相手の生命を助けてやることになる。