標高330mのモノローグ

富士山の10分の1、東京23区最高峰の10倍の山間に暮らして20年。地域の自然や思いを綴ります。

頑張るミニトマト、日照不足を乗り切るか

2017-08-21 15:49:31 | 日記

陽ざしがないので朝は涼しく雑草取りには好適な天気だ。しかし、湿度が高く1時間ほどすると汗がぐっしょり。早々に作業を終了した。昨日も少し摘んだが、ミニトマトはたくさん収穫できた。ピーマンも二つ摘んだ。残念ながらカボチャは実は大きくなっていないし、葉も枯れている。だが、所々黄色い花も見える。天気予報では明日あたりから夏空が戻ってきそうだ。野菜たちが元気になってくれると良いが。

今日の外作業は終わりにして、外の植物でなく玄関や室内のプランターを中心に紹介しよう。植えてあるのは、多肉植物が多い。

 
れは子宝草といい、繁殖力旺盛な多肉植物の一種。葉の先に子株をたくさんつけている。


子株が落ちて芽が出たもの。


猫のプランター


靴をあしらったプランターに子犬のオブジェが載っている


古くなったポストをプランターにした。葉が出ている


数種の多肉植物の寄せ植え

これらの植物は妻が収集し育てている。買ったり株分けしてもらた時は、名前も分かっていた。時を経るとそれぞれの名前がよくわからなくなる。エケペリアが多いのかな。

今日はこれから外出なので、早めのアップです。
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世界は不完全です。だから芸術があるのです(題名のない音楽会より)

2017-08-20 19:56:34 | 日記
今日の題名のない音楽会は、世界を圧巻する4人のピアニストの演奏だった。日本人は辻井伸行氏だ。4人の演奏を聴いていて驚いた。グランドピアノが小さく見えた。曲想とは異なった意味での迫力があった。


このパソコンで家計簿の計算やブログを書いています。


量子コンピュータに関する新聞記事と本。

「世界は不完全です。だから芸術があるのです」は同番組の最後に偉人たちが残した言葉ということで字幕で流れた。今日の演奏者の一人ファジル・サイ氏の言葉だ。このことばを目にして、今私が読んでいる「量子コンピュータとは何か?」という本に注目した。芸術に限らず、歴史が語る側面は様々だ。物質的な豊かさから見ると、すごく発展してきている。宇宙にロケットを放ち、数年経て地球に帰還する。これには(古典)物理学の理論に添って軌道や日程を計算して、それに従っ制御している。地上に設置されたそしてロケットに搭載されたコンピュータが大いに活躍している。これらの業績は、不完全な人間が「完全」を確立したかのようだ。

しかし、これでも現在のコンピュータは完全ではない。コンピュータの世界も変化しようとしている。昨日の新聞に「量子コンピュータ 国が集中投資へ」と題して、文科省が量子コンピュータの研究開発へ来年度から予算を盛り込むとのこと。現在のコンピュータで囲碁のソフトがプロ棋士と対戦し勝利したとのニュースが話題になっている。人工知能もここまできかという評も流れている。ところが、桁数の多い数の因数分解などの難問は、今のコンピュータでは解決できないとのこと。しかし、量子コンピュータであれば難問にも挑戦できるという。

現在のコンピュータは、しくみの基本は「0」と「1」の異なった状態を切り替えるスイッチだ。この組み合わせで計算、文字、画像などを操作している。量子コンピュータは、原子、電子、光(粒でもあり波の性質を持つ)などを使う。量子力学の世界では、原子などは「0」と「1」のことなる状態が重なり合っている。一つの単位に2つの状態が重なっているので計算能力が速くなる。その単位が2つ、3つ・・・と増えると数個の原子だけでも、現在のコンピュータでは計算できない問題も解決できるという。

今読んでいる量子コンピュータに関する本に次のような文が紹介されている。
「人間の脳は量子の法則を直感的に理解するようにはできない」と。私も2進数がかろうじて分かる程度だ。本を読んでいても(異なる状態が)「重なり合っている」という概念は理解できない。

不完全な人間が完全を追い続けて発展している。そして、いよいよ人間は理解できない世界に突入しようとしている。量子コンピュータはどのような文明を与えてくれるのだろうか。完全に近づこうとすることは厭わないが、完全である必要はない。人間を含む地球にとって有益であってほしい。
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久しぶりの晴れ間。だが、日照不足でカボチャの葉が枯れてきた?

2017-08-19 18:13:57 | 日記

今日は久しぶりに晴れ間が見えた。でも、湿度が高く蒸し暑い。おまけに庭にヘビが出た。彼らも雨が止んで穴から出てきて少し日光を浴びたかったのだろう。8月に入ってからの日照不足で畑のカボチャやトマトの葉が黄色くなり、枯れ気味だ。回復するだろうか?


夕方4時過ぎ。まだ青空が見えるが、積乱雲がでてきた。


小さなカボチャがなっている。葉が萎れて枯れてきた。3、4日前は萎れてはいなかったのに。残念ながら終わりなのかな。市中でも野菜不足で値上がりしてきている。


ミニトマトも葉が枯れてきた。黄色く見えるのが枯れた葉だ。せっかく赤い実もつけているのに。何とか持ち直してほしい。

野菜は雨が多くても腐ったり、カビが生えたりするし、日照不足でも衰えてしまう。天候不順は困ったものだ。影響を受けるのは野菜に限らない。自然現象なのだろうか?いや、文明が作り出した影響も少なからずある。大気、土壌や水の汚染、森林伐採など地球規模で手を加えてきた影響だろう。自然破壊に対して、これ以上手遅れにならないよう工夫しなければならない時期だと思う。

案の定夕方5時過ぎから、雷雨となっている。過去のことだが、家のすぐ近くの木に雷が落ちたことがある。ご近所は明かりがついているのに、我が家だけ停電した。家のブレーカーが落ちてくれたので、家電品には影響がなかった。また、それ以前にも落雷の影響で電話回線を通して過剰電流が流れたらしく、ルーターが故障したことがあった。それからは雷鳴が近づいてきたら手動でブレーカーを落とす、テレビのアンテナ端子や電話線を外すようにしている。本日のブログも停電でPCが使えなくならないうちに、この辺で終わりにし、早めにアップします。
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「ネコの幸せ、人も幸せ」・・・動物の幸せが人も幸せにする

2017-08-18 19:11:00 | 日記

昔、家に住みついていた雄ネコのチャッピー。ある日リビングのベランダに親猫(黒色だった)と一緒にやってきた。親猫は人懐っこく声をかけると寄ってきた。最初、子猫(後のチャッピー)は柱の陰に隠れていたが、しだいに慣れてきた。やがて親猫はいなくなり子猫だけが住みついた。三男が幼少時、仲間内で呼び合うのに、名前の後にピーをつけて呼び合っていた。妻がチャッピーと名づけた。毛並みもよくおとなしい猫だった。


今は亡き秋田犬とハスキーのミックスの雄。名はジロで、あくびをしている。人が大好きで散歩時に人に会うたびしっぽを振っては喜んでいた。チャッピーとは仲良しだった。私たちの子供たちはこの猫と犬が大好きで、愛と癒しをたくさんもらって育った。今は畑の片隅でチャッピーと共に眠っている。

NHK BSの7時15分から朝ドラを見るのが朝食とともに日課になっている。最初は過去に放送された朝ドラの再放送で「こころ」だ。7時30分からは現在の「ひよっこ」を放送している。8時からは地デジNHKで、本番の朝ドラ放送となる。7時45分から8時まで、通常は「日本縦断こころ旅」の朝版をみている。この間にコーヒーを入れる。今はこころ旅が休みなので「岩合光昭の世界ネコ歩き」を放映している。

今朝のネコ歩きは、タイの農家とリオのビーチのネコが主役であった。リオのネコは仰向けになり腹を天に向け、飼い主にからだを撫でられるまま、握手をしたりしていた。ネコと人が愛によって繋がっていた。番組の中で、岩合光昭さんが語っている「ネコの幸せ、人も幸せ」ということばが印象的だった。

ここ数日間、北朝鮮のミサイルやアメリカの人種差別問題が新聞、テレビ等のニュースで話題になっている。人種差別を戒めるオバマ元大統領のツイッターが多く読まれ評価されている。岩合さんのことばは、オバマ氏のツイッターと同等に、むしろそれ以上に親しみやすく端的で、含蓄が深く感銘に残った。

ご近所だが、前の飼い主により虐待されていたのだが保健所を経て、新しい飼い主に引き取られ、愛情を持って育てられている犬がいた。それでも、その犬は人をみると歯をむき出しにして威嚇の態度をとっていた。しばらくして病気になり犬の一生を閉じた。犬は一生恐怖感を抱いていた。これは犬が恐怖を生まれながら持っていたものではない。人が犬をそうさせた。最初の飼い主が愛情を持って育てていれば、犬は幸せに生き、人を幸せにできただろうに。

人は人種、民族、国などの違いにより差別、暴力、戦争をする。また、動物をも虐待するのも人間だ。しかし、憎しみや争いを乗り越えられるのも人間だ。岩合さんのことばが意味する、ネコ(動物)を幸せにできる人は、その人も周囲の人も幸せになる(できる)ということを実行できる人間社会でありたいものだ。
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「あの花」の舞台、旧秩父橋を渡ってきた。

2017-08-17 19:33:40 | 日記

旧秩父橋(二代目)のタイル張りの遊歩道と花壇(右岸:東側から見た風景)。

秩父へは我が家から近い。今日も秩父へ向かった。送り火が終わった翌日なので道は少しはすいていると思っていた。しかし、地元(熊谷)以外のナンバー車が多かった。まだ、夏休みをとっている人が多いのだろう。天気は曇りで雨とはいえないくらいの、ミストのような雨が時々ぱらつく程度であった。はじめて旧秩父橋に行ってみた。

旧秩父橋は国道299号線沿いにあり、荒川を渡っている二代目の橋だ。初代の橋は1885年に竣工したもので、二代目の上流側から2基の橋脚が眺めることができる。二代目は1930年に竣工したもので、現在は遊歩道となっている。三代目は1985年に竣工され国道299号線に架かる橋となっている。

すでに他のブログ等で多く紹介されていますが、私なりにとらえた、風景を紹介します。


ひらがなで書かれた東橋詰の標示。


秩父橋の説明案内板。


初代秩父橋の橋脚。130年間も水に浸かっている。


下流を見渡す。山は美の山。


左岸(西側)にある案内版。


国道を隔てて反対側にある記念碑など。


左岸からみた旧秩父橋。


上流を見渡す。晴れていれば正面に武甲山がみえる。三代目秩父橋を吊っているロープが見える。


右岸にある食堂。昔なつかしい細い麺のラーメンがおいしいです。



食堂の近くに橋を見守っているお地蔵様があった。

旧秩父橋は、いわゆる「あの花」の舞台として有名になり、ファンにとっては聖地巡礼地として人気があるとのこと。20~30歳台のカップルがカメラやスマホを手に数組歩いていた。おじさんは私だけだった。
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