まだ若かったミケランジェロは
しばらくのローマ滞在のあと、
ようやく政権が安定したフィレンツェに戻ってきて
「ダヴィデ」像の依頼を受けています。
この作品が完成した1504年に
次の大きな作品依頼が彼の元に舞い込んできます。
これが「Battaglia di Cascina」。
Palazzo Vecchio(ヴェッキオ宮殿)に
描かれる予定のフレスコ画。
しかも、この「カッシナの戦い」と一緒に描かれるのは
「アンギアーリの戦い」で
そちらは前年に
レオナルドに依頼が出されていたもの。
当時レオナルドは既に有名な一流画家であり、
それに比べてミケランジェロはまだまだ駆け出し。
この二人の間にも確執が生まれたようですが、
まぁ、とにかく、そんなわけで
ミケランジェロは大先輩と張り合うような
大きな仕事を手にしたのです。
残念ながら、どちらの作品も完成せずじまい。
レオナルドはこの作品で
新たなフレスコ画手法を試していたのだけれど
それがうまくいかなかったために断念。
(まぁ、彼の場合は
軍事機器とかの開発にも明け暮れていたので
ほとんど未完成の作品ばっかりですけど)
ミケランジェロはカルトン(下絵)を
完成させてはいるものの
1505年にユリウス二世に召喚されて
ローマに行ってしまうので、結局本作を描かずじまい。
この下絵を描くにあたり
レオナルドには先にサンタ・マリア・ノヴェッラ教会付属の
教皇の部屋(Sala di Papa')が与えられていました。
それに対して、作品を描くときには
常に外界との接触を絶って
広い空間で孤独に描きたがったミケランジェロには
人通りの少ない、街外れの
ある建物の部屋が貸し出されることに。
その部屋がまさに今回”発見”された文書にある、
Via Malcontentiにあった建物の一室。
「染物組合信心会教会付属病院内の大部屋」。
貸し出しの許可が下りているのは
1504年9月22日。
おそらくその日から
ミケランジェロはそこで作業をはじめているわけです。
ところで、毎年2月2日の重要なお祭の際には
信心会ではキャンドルの配布サービスを
この大部屋を使って行なっていたのだそう。
ただし、
「1505年2月にはこの部屋での
キャンドル配布をとりやめる」
という文書も確認されています。
つまりその時期には
まだミケランジェロがその部屋を使用していたのですね。
古文書って読み解いたら
面白い事実がいっぱい隠されているんでしょうね。
今年はミケランジェロついている年。
(なのでタイトルはMichelangelo in moda)。
ダヴィデ像の完成から500周年。
ミケランジェロ作と確定された木像キリスト磔刑の公開。
そして今回の古文書の発見。
500年という時の流れは
短くもあり、長くもあり。
この街では、まだまだ我々の知らない事実が
これからも発掘されるのでしょう。
フィレンツェってやっぱり面白い街だ。
しばらくのローマ滞在のあと、
ようやく政権が安定したフィレンツェに戻ってきて
「ダヴィデ」像の依頼を受けています。
この作品が完成した1504年に
次の大きな作品依頼が彼の元に舞い込んできます。
これが「Battaglia di Cascina」。
Palazzo Vecchio(ヴェッキオ宮殿)に
描かれる予定のフレスコ画。
しかも、この「カッシナの戦い」と一緒に描かれるのは
「アンギアーリの戦い」で
そちらは前年に
レオナルドに依頼が出されていたもの。
当時レオナルドは既に有名な一流画家であり、
それに比べてミケランジェロはまだまだ駆け出し。
この二人の間にも確執が生まれたようですが、
まぁ、とにかく、そんなわけで
ミケランジェロは大先輩と張り合うような
大きな仕事を手にしたのです。
残念ながら、どちらの作品も完成せずじまい。
レオナルドはこの作品で
新たなフレスコ画手法を試していたのだけれど
それがうまくいかなかったために断念。
(まぁ、彼の場合は
軍事機器とかの開発にも明け暮れていたので
ほとんど未完成の作品ばっかりですけど)
ミケランジェロはカルトン(下絵)を
完成させてはいるものの
1505年にユリウス二世に召喚されて
ローマに行ってしまうので、結局本作を描かずじまい。
この下絵を描くにあたり
レオナルドには先にサンタ・マリア・ノヴェッラ教会付属の
教皇の部屋(Sala di Papa')が与えられていました。
それに対して、作品を描くときには
常に外界との接触を絶って
広い空間で孤独に描きたがったミケランジェロには
人通りの少ない、街外れの
ある建物の部屋が貸し出されることに。
その部屋がまさに今回”発見”された文書にある、
Via Malcontentiにあった建物の一室。
「染物組合信心会教会付属病院内の大部屋」。
貸し出しの許可が下りているのは
1504年9月22日。
おそらくその日から
ミケランジェロはそこで作業をはじめているわけです。
ところで、毎年2月2日の重要なお祭の際には
信心会ではキャンドルの配布サービスを
この大部屋を使って行なっていたのだそう。
ただし、
「1505年2月にはこの部屋での
キャンドル配布をとりやめる」
という文書も確認されています。
つまりその時期には
まだミケランジェロがその部屋を使用していたのですね。
古文書って読み解いたら
面白い事実がいっぱい隠されているんでしょうね。
今年はミケランジェロついている年。
(なのでタイトルはMichelangelo in moda)。
ダヴィデ像の完成から500周年。
ミケランジェロ作と確定された木像キリスト磔刑の公開。
そして今回の古文書の発見。
500年という時の流れは
短くもあり、長くもあり。
この街では、まだまだ我々の知らない事実が
これからも発掘されるのでしょう。
フィレンツェってやっぱり面白い街だ。