アルノ川左岸、オルトラルノ地区に広がる
約7ヘクタールの広大な庭園が
Giardino Torrigiani(トッリジャーニ庭園)。
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城壁内市街地にある
個人所有の庭園としてはヨーロッパ最大です。
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入り口から庭園内を覗く。
1500年代には植物園として既に知られていましたが、
1800年代初めにPietro Torrigiani
(ピエトロ・トッリジャーニ侯爵)が
近隣の土地を購入して拡張し、
広大なイギリス庭園を作り上げたことで
再びその名を知られるようになります。
当時は10ヘクタールの敷地を有したといわれ、
その庭園改築には当時著名な庭園建築家であった
Luigi de Cambray Dignyがあたり
自然と人工のシンボルの調和の取れた庭園造りになっています。
彼を継いだGaetano Baccaniが
庭園内に聳えるネオゴシック様式の塔を手がけています。
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この塔自体は高さ20メートルですが、
コジモ1世が1544年に対シエナ防衛のために建設した
要塞壁の近くの小高い人工丘の上に立てられているため
実際よりも高く見えます。
当時この3層の塔の内部には図書館や
天文学の器具を保管する部屋などがあり、
塔の天頂には天空を観察するためのテラスも設けられていました。
第二次世界大戦中に占領軍に一部破壊されたあとは
内部の資料などは各地の美術館に保管され
現在は何もなく、また塔内には入場もできない状態になっています。
内部には石造りの階段のほかに
機械仕掛けで昇降する椅子も取り付けられていたそうです。
庭園内には
世界各地から取り寄せられた植物が植えられた広大な森のほかに
植物温室はもちろん、ジムナジウム、
鳥小屋、人工川、半円形劇場なども造られています。
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半円形劇場は
ここで何かの催し物が開催されるためではなく
庭歩きの休憩所としての機能がもっぱらだったようで。
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ジムナジウム。
庭園で狩りや、アーチェリー、球技などを行った際に
更衣室としても使われた建物。
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そのジムナジウムの建物についている
塔をかたどったトッリジャー二家の紋章。
その昔、1824年頃、
一般に公開されていた当時の庭園利用規則をささげ持つオシリデ像や、
ライオンに倒される牡牛の像や、
ヤヌスの像、アスクレピオス像のほか、
若きピエトロ・トッリジャーニとセネカの像も残っています。
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庭園利用規定。
入場料を払うこと。
開館時間は日の出30分後から日の入り1時間前まで。
犬、馬、馬車の入場禁止。
庭園内の植物・動物に触れないこと。
庭園は大きく分けると「昼」と「夜」の2ゾーンに分けられ、
「昼」の部分は広く開放的な草原で
その中央に
先述のピエトロ・トッリジャーニとセネカの巨大な像が立っています。
その裏手に広がる森が「夜」の部分で夜と死をテーマに作られています。
森の中には、蛇が彫りこまれた壺や納骨所、
先述の塔もこのゾーンにあり、
塔の下には火葬場をイメージした空間も残っています。
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蛇が彫り込まれた壷。
これとセットであったといわれるフクロウの壷は喪失。
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納骨所。
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塔自体も下界から天界への通り道としてのシンボルであり、
塔の下で火葬されるとされる灰が塔を介して
より高い知識の状態に到達し
それは復活を意味すると考えられていたようです。
この塔は実用的な意味合いのほかに
哲学的な意味合いも持ち合わせていたということになります。
ピエトロ・トッリジャーニが
フリーメーソンのメンバーだったことはよく知られており、
その思想が庭園のあちこちに反映されているとも言われています。
塔が3層からなっているのも
結社内部の階位制度にある
「徒弟」、「職人」、「親方」を示しているともいわれます。
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肉体の強さと精神の強さの比喩をこめたライオンに倒される牡牛像や
医療と薬学の神であるアスクレピオス像などにも
彼らの思想が反映されているといわれています。
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アスクレピオス像。
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ライオンに倒される牡牛像。
通常は一般公開されておらず、
年に何回か開催される庭園&宮殿オープンデーなどで訪問するほかは、
予約制でトッリジャーニ家の方々の案内つきで見学することも可能です。
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フィレンツェの街中とは思えない静けさと
哲学に満ちた庭園はなかなか興味深い場所のひとつです。