<エコログのなかのある対話から-その2>
四方館
とうとうと云うべきか、やっとと云うべきか、
<アンネ・ラゥ>が登場しましたね。
あなたが、先日の記事で、精神病理学を研究してきて、
自分の師は木村敏氏であることや、列挙されていた人物に、
中井久夫やフランケンブルクの名があったので、
やがて<アンネ・ラゥ>について触れられる機会もあるかもしれないな、
との予感はあったけれど‥‥。
Amazonで確認してみると、
木村敏氏が「人と人の間-精神病理学的日本論」を出版したのが72年。
記憶違いかもしれないが、たしかこの文書は当時「創造の世界」という季刊誌だったかに連載されていたものではなかったか、
偶々私はそれを読んでいて、
日本でも精神医学の世界が現象学的なアプローチからなされていることに、新鮮な驚きをもって迎えた記憶がある。
<アンネ・ラゥ>が初めて紹介された、講談社現代新書「異常の構造」が73年。
そして、ブランケンブルクの「自明性の喪失-分裂病の現象学」を翻訳出版されたのが78年。
私はずつと劇と舞踊の二軸活動をしてきた者だ、と公開もしているが、
それは一言で云えば、ただただ、身体表現なるものがいかにありうるか、
を自分なりに考えてきた、試行錯誤してきた、愚直な輩だということ。
60年代後半から70年代、現象学が新しい知として受容され、浸透していく。
むろん、先行のフッサールや西田幾多郎の世界があったとはいえ、これらのやや観念的な現象学ではなく、
世界を読み解いてゆくための現実的な具象的な方法としての学、として装いも新たに登場してきた-現象学。
M.ポンティの「眼と精神」「行動の構造」「知覚の現象学」を読みついで、
少し後の、市川浩氏の「身体の現象学」「精神としての身体」までくれば、
「自明性の喪失」の世界はもうほとんど隣接した世界だと、受け止めた、そう思ったものです。
<アンネ・ラゥ>が発するこれらのパロールが、いったいどのような身体の状態で紡ぎだされていくのか、その瞬間々々の身体感覚は‥‥?
それらをたとえ擬似的ではあるとしても、自分たちの心-身関係のなかで、微細に、具体に、訊ね探っていくことは可能か?
可能だとしたらどのように‥‥?
稽古場で、若い女の子たちを相手に、
そんな一見訳のわからないことばかり繰り返していた。
そういえば、ある時、ひとりのスタッフが、
そんな稽古場の様子を見て、「ここはまるでイエスの方舟みたいだね」と評したことがあったっけ。
宗教じみたものはいっさいなかったが、そう映るのも無理はなかったとも云える場だったと、
振り返ってみればそう思える。
これが80年前後の私の姿。
ところで、Yさんについて、
あなた自身が<アンネ・ラゥ>なのだ、と云われたことに、
初め、実は驚いた。
あなたと彼女は一見もっとも遠い存在のように映るからだ。
けれど、ここまで綴ってきて、私のなかで腑に落ちる気がだんだんしてきた。
あなたは自分自身を過激な人とも云っているが、そう云うのも無理ないと思うけれど、
とにかく、すべからく<過剰>なんだね、
過剰な知、過剰な意志、過剰な情感、そして過剰な生‥‥。
外向きに、外向きに、溢れるようなエネルギーで頑張ってきたんだね、
だれもがやれそうもないテンポとリズムで。
それで、爆発、というか、破裂してしまったんだね。
人が、どこまで過剰になれるのか、その極限を私がわかるはずもないが、
また、人が極限になんて行ききることは出来るはずもないが、
だから、極限に近い一歩手前のところで、
あなたの心の中に<アンネ・ラゥ>を産み落としたんだよ、きっと。
自分の心の中で、彼女を育てながら、
あなたの、その過剰さを保持していこうと、抗っているんだよ、きっと。
私には、わからない、あなたの苦しみも、辛さも、悲しさも、
どんなに痛いか、どんなに激しいか。
ただ、処方は、たったひとつ、
あなたの、その<過剰>な生を、
ほんの少し、少しずつ、緩める、弱める、縮める、
しかないんだろうと思う。
(2004/11/26 15:47)
Y
とうとう、というか、やっと、というか、まさか、というべきでしょうね。
エコー!で、アンネ・ラウについて、アンネの主治医・精神病理学者W.ブランケンブルクについて、現象学的精神病理学について、私の結婚式の主賓・木村敏氏について、
全然別分野にみえる人生をたどってこられた方で、ずばり、それも、「身体」という最も中核的な観点から、お話くださる方が現れましたね。
私は3年半名乗ってきて、Sとの事で名乗るのをやめたハンドルネーム「ラウ」にとどまるどころか、最後の本格的な書き物=修士論文をブランケンブルクとハイデガーで書き、アンネ・ラウの病理について考察した、というどころか、私自身、アンネ・ラウの生まれ変わりであると自覚して、それを秘めて生きてきましたので‥‥。
私の恩師は日本・世界の精神病理学の歴史を背負ってきた木村敏氏である、というのは、実は公には成り立たない話で、木村先生も結婚式のスピーチでそう紹介されて否定されたんですよ。いわば、「それ以上」でして。
私は(京大)教育学部生で、木村敏氏は京大医学部名誉教授、本来なら師弟関係は結べないはずです。これは私の仕組んだことじゃありません。私の卒業論文を、「これはぜひ木村敏先生に送らなければならない、送ってあげよう」と、木村先生の元・部下だった教育学部の教授が、木村氏に郵送してくださって、木村敏先生からすぐに私に手紙が来て、
「・・御論文、一読して本当にびっくりしました。」ぜひお会いして忌憚なき意見を伺いたいということで、大学卒業時に出会ったのです。
ブランケンブルク『自明性の喪失-分裂病の現象学』(原書1971年)は翻訳書は最近、名著ということで復刊されましたが、大学院時、原書がもう手に入らず、木村敏先生が、古い先生お手持ちのドイツ語の原書を貸してくださいまして、私は全コピーしました。
ブランケンブルクは少し前に、確か去年あたり、亡くなりましたね。折りしも木村敏先生がドイツに行かれている時で、木村先生は思ってもみなかったことに頼まれて彼の葬儀で追悼文を書いて読むことになり、後に追悼論文も書かれて、私にも送ってくださいました。
あと、現象学的精神病理学の創始者ビンスヴァンガー、ミンコフスキー、それから木村先生が哲学者ハイデガーと会った時にどうだったか、木村氏の後輩である、統合失調症の名治療者中井久夫氏→彼がすべて翻訳を担当したアメリカの精神科医H.S.サリヴァン、
メルロ=ポンティを基盤としている、現象学→日本の哲学界の一番実力者である鷲田清一先生(私の大学院の指導教官です)と木村先生の関係・・・などと、人の関係だけでもどんどんつながっていきますが、
とにかく、あとで、四方館さんが書いてくださった「身体」と、それからより難しいテーマですが「過剰」を生きるということについて、レスさせてもらいますね。
晩年(まだ亡くなってないです! 臨床の診察もやっているし、世界を飛び回っておられます)の木村敏氏が、はっきり「身体」「からだ」という視点からものを言っておられますものね。
離人症論から出発した木村氏の最初の統合失調症の論文は、1965年に出ていて、これはもう、西田哲学の影響ばりばりなんですが、ここから彼の著作はほとんどすべて、2002年ぐらいまでは読んでおりますので。当たり前ですね、専門中の専門ですから。
私が精神病理学だけとってもオールマイティ(どの疾患・分野も得意)であったのは、木村敏氏がオールマイティな人だったからで、中井久夫さんは、統合失調症と強迫神経症のみの専門家で、躁鬱病の患者さんからはどうも信頼されなくて・・と言っておられますものね。
で、ラカン派精神分析の日本での第一人者の新宮一成先生は、私の元・主治医です。彼が私に何度も「研究者になりなさい」と勧めたわけで・・。
体調ぶっ壊れるかどうか、わかりませんが、頑張って四方館さんがお話くださった内容への、中核部分へのレスを書きます。
演劇・・・身体感覚を意識の中心にすえての外へ向けての身体表現→演出、ということの創出、の分野で活動してこられた方で、四方館さんのように、「身体」に 人間の「主体性」「主観性」を最も認める哲学である「現象学」をまともに読まれて、考え、演劇活動で実践を試みてこられた方がいらっしゃったとは、もちろん敬意を表しますし、私が演劇好きであるとはいえ、私とまったく他分野で生きてこられた四方館さんから、私という人間を見ていただいたこと、こういう出会いがあるとは、嬉しくて(同分野の人と話すより何倍嬉しいか)、だもので真正面からレスしないとな、と思うのです。いわば私個人の「生きてきた甲斐」にほかならないですからね、現実の人との出会いを大切にしなければ。
演劇と舞踊、身体表現、そこに一番近いところで語っておられるのは、四方館さんが手がかりにされた市川浩さん(『身体の現象学』『精神としての身体』)でしょうね。
症例アンネ・ラウが「日常の、人生の、『自然な当たり前のこと』が自分にはわからない、わかっているけど(体の歴史で)わかっていない、実践できない」というふうに精神科医ブランケンブルクに訴えた姿、それは、一見普通の人に比べてひどく「欠如態」にみえるかもしれません。
そして、私が「過剰すぎる生」を駆け抜けてきて、生育環境での過剰、生来の感性・知覚の過剰、知性(あんまりそう言いたくないんですが実は本当のこと)の過剰、はたまた「普通に当たり前であれ」の規範意識の過剰、生き方選択(意志の実行)の過剰さ(まとまらなさ)、・・・そういった「過剰だらけ」で生きてきて、精神疾患・精神障害として固定化した「苦しみ、弱み」に帰着した、今現在、そうであること。
しかし、アンネ・ラウも私も、間違いなく同根の人間なのです。アンネ・ラウは、ブランケンブルクも木村敏氏も述べてますが、「欠如態」ではなく「自明性の『否定』」であって、ひとつの、あたりまえさを「否定した」生き方を見せたのであって、
また、私も、一見「過剰だらけ」に見えるこの私の「本当の部分、問題」が何かと言えば、アンネ・ラウが訴えたとおりの「自然に当たり前のことがわからない、 わかっているけど体でわかってないから、実践できない」という弱点を(それこそ過剰なまでに)補おうとしただけでして、私のような生き方もまた、「自然な 自明性の『否定』」、つまり、普通に当たり前に生きる人たち、そういう生き方を否定した生き方だと言えるでしょう。
とことん欠如態にみえる教養もない、生きる力もなかった(自殺した)アンネ・ラウと、とことん過剰にみえる私(どんな死に方をするかわかりませんが)と、どちらがどれだけ、この「否定」(書名の訳は間違っていて、実は「喪失」と言うと誤解されます)を生ききったか、それで苦しんだか、比較もできないほど共通した人生だと思うの です。
他者や世界がある以上、自己というのはたえず、四方館さんが追究してこられた演劇活動で強調されるような、ひとつの「表現体」であ り、自己(自分)であることはたえず(見る人がいなくても)「自己表現」であり、「自己実現」はそれ以外にありえず、そして、表現体としての自分の場所を どこに求めるかといえば、それは「身体」「からだ」以外にあるはずもないですよね。四方館さん、そのあたりまで十分ご承知だと思います。また、そういった 身体感覚と分離不可能なものとして、本当に深い次元での「心」「精神」というものが理解できるのだと。
四方館さんが処方として提示してく ださっているように、私は、この「過剰」を少しずつ、緩める、弱める、縮める、ということができないといけないのでしょう。人に対する接し方や、物書きな どにおいて、私がまったく「過剰」ではなく、「過激な適切さ?」をわきまえていることは、今までのエコログのやりとりなどからだいたい判っていただけると 思います。
それでも取れない「過剰」の苦しみ・・・これが、私の病気の苦しみの根幹かもしれません。治療論的にも、(このような統合失調症患者に対して)「普通のペースで、普通に歩めるようになる」よう治療していくのが基本方針だと言われているのですが、
私の場合、ちょっとばかりの「ペース配分」「短期間休息」「ほどほどに」ぐらいの言葉で、私が楽になり、良くなるような道が示されるとは、自分でも思えません。
私は今まででさえ、14年の闘病で14回も主治医をかわらないといけなかったのですが、誰も根本的には治すことができませんでしたしね。
「本当の自分の心の力」で自己治癒をめざすことと、大切な人と(愛も含めて)大切な関係をもち、自己認知と同じ次元でその人からたえず「認めてもらうこと」 「ゆるしてもらうこと」。その二つが、大事な軸、というより、これから生きてゆくことができるほとんど唯一の道のような気がします。
(2004/11/26 19:44)
Y
ここまでの真剣中の真剣の話を、どなたがどこまで理解できるか、わかりませんが、話の幅(可能性)を広げるために、四方館さんに、とっておきの秘話(私ににいろんな教授たちが個人的にしてくださったこと、秘話は実にたくさんありますが)を、お話します。
『ラカンの精神分析』(講談社現代新書)に始まる、日本のラカン・ブームを背負っている新宮一成先生ですが、私はこの先生の講義から、初めて「精神病理学」なるものを知りました。
そして、主治医になってもらったわけですが、後に「日常性について-ブランケンブルクとハイデガーの論をふまえて」という修士論文を書いている、と報告した 時、新宮一成先生は、年賀状で、アンネ・ラウを分析・紹介したブランケンブルクのやったことは、「極めて政治的な」意味をもっていて、その意義が実は一番 大きい、とおっしゃっていました。
この言葉の意味、まず、精神医学界において、「政治的な」意義をもった著作であり、その後の彼の論文な どであると解釈できますが、それだけでしょうか。もちろんブランケンブルク、アンネ・ラウはいまだにあちこちの学問界で注目され、引用されています が・・・ブランケンブルクは非常に「政治的な人」だったと思います。元々哲学出身で、ハイデガーに師事していましたが、精神病理学者となってから、『自明性の喪失』のずっと後は、ダンス療法、働くということなど、いろんな幅広いテーマで論文を書いているのです。書き物だけでなく、社会精神医学の現場での実 践家でもあったということは、実はあまり知られていないことです。
木村敏先生は私に、まだ患者と見ていなかった時分、「ブランケンブルクに会ってきなさい」と言われ、それはもちろん叶いませんでしたが・・。
木村先生はご自分からすすんで、最後は私の主治医にまでなってくださいましたが、診察室では木村先生と私は喧嘩してばかり、だったような気がします。
そ して、私、学問には向いていましたが全然大学人じゃありませんし、福祉などの活動のほうでよっぽどいろいろ経験してきましたし、そういう方向に自分の志向を話すと、どの教授たちも「自分は所詮、大学育ちだから」「僕は学問の世界しか知らないから」と言われるのです。勝った! って感じかもしれませんが、今 病気でこれだけ弱っているので、どうしようもありませんが。
とにかく、どんな著名な精神科医も少しも治癒の方向に私を導けなかったのに対して、四方館さんはほとんど誰よりもおそらく、私を理解してくださって、適当な処方ではなく、処方の核心部分を示唆してくださってもいるわけですから、四方館さん、すごいのですよ。上記のお話は、その感謝の気持ちから書いているのですし、これからもどうかよろしくお願いします、とお願いしたいのが、私の何よりの今の気持ちです。
(2004/11/26 22:20)