
<日々余話>
<エッ! 江戸の昔ってそうだったの?>
あまり好きじゃないTV番組「トレビの泉」の「へぇー」ではないが、
或る本を読んでいたら、
今までその知識はあったのに、現実的にどうであったかということに、
まったく想像の及ばなかった事実を知って、吃驚した話。
迂闊といえばまったくもって迂闊な‥‥。
いわゆる暦法と時刻の話。
明治維新になって、一連の欧化政策の中で
太陽暦(グレゴリオ暦)を採用して、それまでの旧暦(太陰太陽暦)から変わったのは、
周知のことであり、
また、我が国の旧暦では、
日々の時刻を、明け六つとか、暮れ六つとか数え、
十二支になぞらえて、子の刻、丑の刻と呼んでいたのは、
誰しも承知のことだろうが、
これがなんと、不定時法という代物だそうで‥‥。
どういうことかというと、
1日24時間を12等分して、一刻とは2時間と固定したものとばかり思い込んでいたのが、まったくの誤解で、
日の出から日の入りの時間の長短によって、日々異なっていたということ。
要するに、春分の日や秋分の日なら、昼夜等分で一刻はきっかり2時間となるが、
日中時間が最も長くなる夏至ならば、昼間は一刻が2時間半ともなり、夜間は1時間半ともなる。
冬至ならば、その逆、ということだったのだ。
エ、エッー、そうだったの!
季節の移ろいの中で、日々、一刻と云う時間の単位が変化していたという事実に、
この年になるまで気づかなかった自分の想像力のなさにも情けなくも驚き入った次第だが、
はしなくも、吃驚仰天した。
かほどに、
身についてしまった常識の罠というのは恐ろしいものです。