山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

蝶はむぐらにとばかり鼻かむ

2008-02-10 11:45:24 | 文化・芸術
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Information「ALTI BUYOH FESTIVAL 2008」

―表象の森― 雪降るなかのALTI第一夜

本州の南海上を低気圧が通過した影響で近畿も東海も大雪に見舞われた昨日-9日-、大阪もこの冬初めての積雪で大坂城も雪化粧となったが、よりによってALTIの本番の日にとはネ。

10時頃から降り出した雪がますます勢いを増してきたので、名神が通行不可にでもなったら大変とばかり、12時半から出ようとのんびり構えていたのを急遽変更、慌てて出かける支度をして車を走らせたのが11時半過ぎだった。
吹田を過ぎたあたりから雪はいよいよ勢いを増してきて、京都南を降りれば古都の街並はもうすっかり雪景色だった。

雪の京都に降り立つとなんといってもまず想い出すのは、遠く40数年も昔の同志社受験の日、2月のやはりこの頃だったろう、その日も大雪に見舞われ電車の足はかなり乱れた筈だが、私の場合、たしか今熊野のあたりだったか、身分不相応にも前夜から京都に宿泊していたから、その影響はからくも免れたのだった。

夕刻近くなっても雪は降りつづき勢いは衰えそうもない。他の出演グループたちのゲネプロの進む合間を縫って、わざわざ京都まで観に来てくれるという知友たち数名に、ダイヤの乱れなどで開演の間に合わないではまずいと電話をかける。こういう時、出番がイの一番というのは気を揉ませられて叶わない。

われわれ四方館のゲネプロが始まったのはほぼ予定どおりの4持30分過ぎ。その始まる前に2、3のダメ出しをしておいたのが攻を奏したか、21分余りの踊りきりで、前半部分の即興はこれまでに見られぬよい出来だったが、已んぬるかな、後半の即興が相変わらずいただけない。それも大きな不満だが、もっといただけないのが照明の作り。一昨日のテクニカル・リハで初面識の照明スタッフと打合せをしたのだが、「この人、ウチの踊りが判るのかしらん」とよぎった不安がものの見事に的中、どうしてもゆるがせに出来ないポイントの4箇所だけに絞って注文をつけておいたが、肝腎の本番でも最後のアカリが決まらぬまま幕を降ろす仕儀となって、さすがの私もカッとばかり頭に血が昇った。四十路、五十路としだいに角が取れ円みを帯びて、六十路となってまあるくまあるくなった私でさえ、こんなに熱くさせる御仁は、そりゃとてもプロとはいえませぬ。

韓国の古典舞踊を最後に演目の6作品がすべて終えたあとは恒例のアフタートークだが、今年は模様替えして舞台と客席でそのまま引き続いて行われた。船阪義一氏を進行役に、コメンテーターは上念省三氏と初お目見得の古後奈緒子女史の三人が舞台に、客席には出演関係者以外にも居残り参加の観客がちらほら。観客にとっても分かり易く「ダンスの観方」といった視点から6つの作品にそれぞれ言及しあう-私の場合は出品作の構成について自身で解説させられる羽目になってしまったが-ことほぼ一時間を費やして9持40分頃終了。

急いで帰り支度をしてやっとALTIをあとにしたのはとっくに10時を過ぎていたが、雪はもうすっかり止んで心配された路面の凍結もなにほどのことはなくスムーズな走行で、午後11時半無事帰宅。

<連句の世界-安東次男「芭蕉連句評釈」より>

「狂句こがらしの巻」-17

  二の尼に近衛の花のさかりきく  
   蝶はむぐらにとばかり鼻かむ   芭蕉

次男曰く、「諸説明らかならず」-七部通旨-と既に錦江も云うとおり、読みようが有るようで無い句。つまり遣句である。はこびは初折の末ではあるが、芭蕉ともあろう俳諧師がと思いたくなる。

数句、というよりこの巻は発句以下、とりわけ作に作を設けた展開で運んできたから、ひとまず挙句-一巻成就の句-の体を以て、穏やかな折端-初折末の句-の詠み様としたらしいと気がつく。ならばこれは前句に寄り添う体の作りだろう。

先の二つの解の前をとれば、「鼻かむ」のは二の尼で、葎-むぐら-にとまる蝶は、「近衛の花のさかり」を尋ねた人つまり下衣の尼の現況である。さびれた御所の噂ではない。連句のはこびは間に只答えるだけでは進まぬが、話を摩り替えて、相手の身上を慰める、もらい泣きすると打返しに作れば輪廻は避けられる。下位の人の華やかなりし女官時代を思い出させて答えとする体に、芭蕉は作っている。この花の面影の遣いようは巧い。「蝶はむぐらに」と云いさして二の尼に絶句させたところも、転じの工夫である。むろん、慰める人自身の感慨もそこに映る。

遣句とは逃句ではなく、前句の作りに立ち向かう-向付-の心意気の一つもなければ遣句にもならぬ、という好例。
連句の要諦は、連想の範囲をむしろ限定したがる相手の用辞を見据えて、いかにしてその緊縛から上手に逃れるかに尽きる。芭蕉が晩年、「軽み」の提唱にたどり着いた意味はまさにそこにあるのだ、と。


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