―表象の森― 高槻ジャズストリート
今朝の紙面にも紹介されていたが、「高槻ジャズストリート」なるイベントがある。
明3日と4日の両日、その名の通りジャズをメインに全国からミュージシャンが集結、99年から開催され10回目を迎えた今年は、参加のミュージシャンら、なんとその数610組の5100人に及ぶという一大イベントにまで膨れあがっている。
JR高槻駅や阪急高槻駅周辺の大小ホール、公園や学校、公共施設、民間の各ショップからカフェやライブハウス、神社に到るまで会場は47ヶ所ですべて無料、出演はみな1ステージのみというから、盛り沢山このうえない。
訪れる人たちも例年10万人を越えるといわれ、ボランティアたちによる手作りの街おこしイベントとしては、そのスケールといい充実ぶりといい稀にみる成功例なのだろうが、10年目という今年、そろそろ飽和の極に達するかともみえる。
その47会場の一つ、高槻城跡公園の野外特設会場に、四方館にも縁のあるKontrabassの森定道広氏らのメロンオールスターズが出演することになっているが、このグループ、ミュージシャンばかりでなくDancerや役者などいろんなパフォーマーが集まったエンターテイメント集団で、デカルコ・マリィこと清水君もパフォーマーたちの中軸を占める。
彼らの出演は、3日(金)の12:00~12:45
<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>
「雁がねの巻」-10
いそがしと師走の空に立出て
ひとり世話やく寺の跡とり 越人
次男曰く、三句を
医のおほきこそ目ぐるほしけれ -他
いそがしと師走の空に立出て -自他
ひとり世話やく寺の跡とり -自
と読めば、自他を分って人物の取替とした工夫が肯ける。
「おほき」に対して「ひとり」と遣ったところが作で、打越と結んだ「いそがし」が虚なら、寺の後生を決めるために頼まれもせぬ世話を焼く「いそがし」は実らしい、と読取らせる。
「-前- いそがしいそがしと年の暮の空に立出たる人の、或は陸尺に駕籠かかせて見識を見せ、或は供人に薬箱持たせて反り返り歩く医者共に、往来忙しき大路なれば不思議は無けれども、幾度も行逢ひて、目ぐるほしと打つぶやくなり。-後- 前句を逆に扱へり。師走の空にいそがしと立出たるは、何の用かと思へば寺の後住を定むる世話を焼くなり。其の老人の出たる後の、人もかまはぬことを酔興千万なとの噂するさま、賭-み-るが如し」-露伴-
「-前- 前の繁激の気勢に応じた寄せ。前の医者と直ちに取る必要はない。‥無論掛取などではなく、何かのっぴきならぬ急用のためである。「空に」が例の巧みに置かれてあり、この押詰った時季にの意、近からぬ旅である趣、足も心も空にの気をこの一語におのづから感ぜしめている。-後- 師走であるのに家の事は措いて出歩くなどは、寺の跡取りの事でも世話焼くが相応しいとしての寄せ。‥多少有閑な人であろう」-樋口功-
ことばの自他や虚実を弁ぜずに人情三句のわたりを解くことはできない。いずれも連句とは無縁の評語である、と。
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