山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

家なくて服裟につゝむ十寸鏡

2008-05-19 13:22:53 | 文化・芸術
Sankyoson080517

―世間虚仮― 赤い天地:砺波平野の散居村風景

写真は毎日新聞5/17付夕刊より拝借

一昨日の土曜日-17日-は、同じマンションに住む新一年生のお嬢さん母娘を誘ってまたまた蜻蛉池公園へと出かけた。いわば人見知りが強いひとりっ娘の友だちづくりにわざわざ親が手を差しのべているといった親バカの図である。

出かけたのが午後だったから、たっぷりと遊ばせて帰路につく頃はもう閉園間近の6時に近かった。黄昏の迫りくるドライブは湾岸線に沿って走ったから、西に落ちかかる夕陽を横に受けながらの走行となって、車内の子どもらは「わあ、見て見て、真っ赤だ、綺麗だネ」などと喧しいほどに歓声をあげていた。

夜、四川大地震の傷ましい被災報道が大半を占める夕刊のなかに眼に止まった一服の清涼剤の如き写真、「守りたい、天地の赤」と見出しされたそれは、富山県砺波平野一帯の夕陽に赤く染まった散居村の幻想的な風景だった。一面の田んぼに水が張られる5月の田植期だけ、天地がすべて茜色に染まる見事な夕映えの造型が見られる、と云った記事が付されていた。

Netをググって散居村の風景写真をさまざま眺めてみた。いろいろ楽しませて貰ったが、その中に「散居村フォトコンテスト」なる観光キャンペーンイベントでの入賞作品を網羅した頁があったので、これ-http://www.city.tonami.toyama.jp/kanko/photo/index.html-を紹介しておこう。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「雁がねの巻」-21

   みせはさびしき麦のひきわり  

  家なくて服裟につゝむ十寸鏡   越人

服裟-ふくさ-、十寸鏡-ますかがみ-

次男曰く、幽閉の俤は越人に思い浮かばなかったか。話を流離零落の身の上にもっていっている。

「家なくて」は鏡匣-かがみばこ-もいつしか無くなったこと云回しで、前句に店と遣っているからだが、落ちぶれた人の様子は自ずと現れる。十寸鏡は真澄の鏡である—万葉では真十見、真十-。何がさて鏡だけは大切にしていると云う以上、其の人は女だろう。

破れ戸に釘を「うち付ける」-「(麦の)ひきわり」の掛合いを受けて、「(家)なくて」-「(服裟に)つゝむ」と一句に有無を収めたところ、なかなか味なことをやる。打越以下よく呼吸の合った、快調なはこびである。

「鏡匣は即ち鏡の舎なれば、匣を家とは云へるなるべし、はこと云はずして家と云へるは、言葉も雅にして、且又別に意のかかるところあればなるべく、陳徐乱にあひて分散し、家を失へること-中国南北朝時代の故事、陣が隋に滅ぼされたとき、陣の徐徳元の妻が鏡を二分して夫に与え、流離分散の再会を誓ったことを唐の「本事誌」に伝えられてあり、この話謡曲「松山鏡」にも採り入れられている-を利かせたるなり」-露伴-、と。


⇒⇒⇒ この記事を読まれた方は此処をクリック。