―表象の森― 承前:高槻ジャズでオツカレ
件の高槻ジャズに出かけて、昨日は家族一同おつかれさん。
実はデカルコ・マリィに呼応してうちのDancerの小嶺由貴が競演しようと、岡林綾も誘って二人して出演する筈だったのである。ところが前夜になって、先に痛めていた捻挫箇所を悪化、ドクター・ストップがかかってしまったと小嶺から電話が入った。此方も古い衣裳をひっくり返しては豪華な?打掛2枚を探し出すなど準備を整えてやっていたから拍子抜けもいいところ。それに綾も清水君とのPerformanceは初めてだし、おまけに独りじゃ可哀相だろう。準備した豪華な打掛とはその昔折につけ座興の芸などに私がよく使ったご愛用の一着だったのだが、冷やかし半分、清水君への餞半分と、足腰、体力にはまったく自信がないけれど、ここは一番、挨拶代わりに私が一差し舞ってみるかと、やおらその気になってしまったのであった。
その20分足らずのPerformanceはともかく、かさばる衣裳などを背負い込んでの往き帰りの移動に疲れ果ててしまったのが寄る年波の懐けなさで、今日は朝から身体が重く気怠いことこのうえない。
アー、ア、ク、タ、ビ、レ、タ‥。
<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>
「雁がねの巻」-11
ひとり世話やく寺の跡とり
此里に古き玄番の名をつたへ 芭蕉
「玄番」、正しい表記は「玄蕃」
次男曰く、其人の性別を設け、寺に縁のある名を寄せている。
玄蕃はもともと令制玄蕃寮の役人で、名のごとく-玄は僧、蕃は外蕃-仏寺・僧尼の名籍や外国使節の接待を司った。一読誤記のように見えるが、「番」は「跡とり」相応の面影をさぐらせるためのもじりかもしれない。芭蕉自筆の控にも「番」とある。
当節玄蕃など珍しくもない名だということを踏えて、代々「玄番」と書くと云えば、ひょっとしてこちらが古いのかもしれぬと迷わせる面白さにもなる。「理をはなれたる」一巻に相応しいだろう。
「番」を見咎めて判じ物の工夫と読んだ評釈はない、と。
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