山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

初瀬に籠る堂の片隅

2008-05-22 15:45:03 | 文化・芸術
Yukisiyonoomokage

―表象の森― 逝きし世の面影

英国の商人クロー-Arthur H. Crow、生没年不詳-は、1881(M14)年に木曽御嶽に登って、「嘗て人の手によって乱されたことのない天外の美」に感銘を受ける‥ -略- クローは木曽の山中で忘れられぬ光景を見た。その須原という村はすでに暮れどきで、村人は「炎天下の労働を終え、子供連れで、ただ一本の通りで世間話にふけり、夕涼みを楽しんでいるところ」だった。道の真ん中を澄んだ小川が音をたてて流れ、しつらえられた洗い場へ娘たちが「あとからあとから木の桶を持って走って行く。その水を汲んで夕方の浴槽を満たすのである」。子どもたちは自分とおなじ位の大きさの子を背負った女の子を含めて、鬼ごっこに余念がない。「この小さな社会の、一見してわかる人づき合いのよさと幸せな様子」を見てクローは感動した。 -「逝きし世の面影」P12~13より-

日本中のどこを探してももう見られることのないこういった叙景に、戦後の食糧難で徳島県南部の海辺や山里の田舎で疎開暮しをしたこともある昭和19年生れの私などには、遠い記憶の片隅に残るきれぎれの風景に少し想像を働かせ重ねてみるならば、些か紗幕のかかったようなおぼろなものとはいえ、響き合うような風景を想い起こすことは辛うじて可能であるが、少し世代を下ればもうそんなことも適わぬ望みなのかもしれない。

4歳上の次兄など、長じては「よく子守をさせられた」と愚痴ていたものだが、一昨年訪れてみたすでに廃屋となって久しい母親の里の隣家、此処はプレハブに建て替えられていたのにどうしたわけか無人と化し荒れ放題であったが、その家には次兄と同じ年のスガちゃんというひとり娘が居て、この二人がきまって4歳下の私ども-双生児の兄と-の子守役だったとよく聞かされたもので、たしかな記憶などさっぱりないけれど、乳飲み子二人に幼な児二人と帳尻もぴったりなれば、さもありなんかと幼な心にも得心がいったりしたものであった。

とまれ、ヒトの脳は可塑性に満ちているという。さまざまな記憶の断片が潜む海馬はとりわけ可塑性に富むともいわれる。ならば記憶と想像力のネットワークには無限ともいえる可能性があるともいえようか。
本書を繙く読者は、知らず知らず深層に眠る記憶の数々が呼び覚まされ、豊穣な想像の世界が涌き立ち溢れるにちがいない。

―今月の購入本―
・R.P.ファインマン「ご冗談でしょう、ファインマンさん-上-」岩波現代文庫
量子電磁力学のくりこみ理論で1965年に朝永振一郎とともにノーベル賞を受賞した著者の、名著の誉れ高いユーモア満載の自伝的エッセイ。1986年刊行の文庫版、2000年初版よりすでに17刷を数える。

・宮坂宥勝監修「空海コレクション-2-」ちくま学芸文庫
空海の著作「即身成仏義」「声字実相義」「吽字義」「般若心経秘鍵」「請来目録」を収録、訳注・解説する。

・渡辺京二「逝きし世の面影」平凡社ライブラリー
滅んだ古い日本の文明の在りし日の姿を偲ぶには、私たちは異邦人の証言に頼らなければならない、という著者は夥しい幕末・明治の来日外国人の記録を博捜・精査することによって、失われしものたちの墓碑銘を刻んだ。目眩く桃源郷のごとき近代以前の庶民の姿。初版は1998年葦書房刊、ライブラリー版は05年初版で既に15刷。

・安東次男「芭蕉百五十句-俳言の読み方」文春文庫
昭和61年「芭蕉発句新注」筑摩書房刊に14句を追補し、々64年文庫版として発刊。中古書。

・吉本隆明「情況への発言-3」洋泉社
個人誌「試行」の巻頭を飾った「情況への発言」全集成の完結版、1984年から終刊の1997年12月までを収録。

・池田万太郎「池田万太郎の楽画記」JDC出版
一コマ漫画のみに執着したアマチュア漫画家の著者は本名池田義徳、市岡高校の13期生である。その高校時代、彼は一度だけ、「太鼓」という劇で舞台に立ったことがある。その印象はかなり鮮烈なものとして私の記憶の裡にある。偶々、その彼が作品集をものしているのを知って買い求めた。中古書。

・広河隆一編集「DAYS JAPAN -第4回Photojournalism大賞-2008/05」

―図書館からの借本―
・蒲島郁夫「戦後政治の軌跡」岩波書店
この春、長崎県知事に転身した著者の「自民党システムの形成と変容」と副題された、80年代以降の詳細な選挙リサーチに基づいた日本の政党政治分析理論。

・安富歩「貨幣の複雑性」創文社
2000年11月初版。本書表紙裏に、複雑系の新しい手法と、開放系・知識・選択権・市場性・多様性・創発・自壊といった新たな概念を導入、経済理論の革新を試みる、とある。

・Y.シュミット「ピナ・バウシェ-怖がらずに踊ってごらん」フィルムアート社
ルドルフ・ラバン、クルト・ヨースに連なる現代舞踊の大御所ピナ・バウシェの作品世界の軌跡を同伴者的に解説した書。1999年初版。

・R.ホーゲ「ピナ・バウシェ-タンツテアターとともに」三元社
著者はピナ・バウシェの作品制作にも協働したフリージャーナリスト。1979年から86年にかけて、演劇批評雑誌や総合雑誌、また上演パンフなどに掲載されたものを収録。原書は86年刊、日本語訳は99年初版。

・「別冊日経サイエンス№159-脳から見た心の世界Part3」河出書房新社
・「別冊日経サイエンス№158-温暖化危機-地球大異変Part2」河出書房新社

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「雁がねの巻」-24

  人去ていまだ御坐の匂ひける  

   初瀬に籠る堂の片隅    芭蕉

次男曰く、ふさわしい場を見定めた付である。

大和桜井の長谷寺詣では平安中期には既に遊山行事と化していたから、とくに俤など探るまでもないが、この巻のはこびについて云えば、流浪の玉鬘が筑紫から上って、開運祈願のために詣でたのが、ほかならぬ初瀬だったということは見逃せない。たまたま其処で亡母の乳母子右近-今は紫上の侍女-とめぐり逢うことが、源氏の許に引き取られて養女となり、彼女に運をもたらすのだ。

芭蕉が越人の謎掛けを、夕顔の霊が引き合せる源氏の俤と読み取っていたことは間違いあるまいが、古来初瀬籠りに貴賎の別ないことを興として同工の発句を彼は先にも作っている。

  春の夜や籠り人ゆかし堂の隅

杜国を伴って行脚に出た、同5年3月下旬のことである。ただの籠り人-こもりど-も初瀬で会えば俤の添う尊い人に見える、ということを「ゆかし」と云い回したまでで、特別の含を持たせた句ではあるまいが、六ヶ月後、付句としてこれを栽ち入れたのは、その時の興に特定の俤を添わせてみたい気分が動いたからに違いない。

「旧解源氏物語玉鬘の巻のおもむきと為す。されど玉鬘の君初瀬に籠りて、亡き母夕顔の上の乳母にして今は源氏の六条院に仕へ居れる右近に邂逅することは有れども、前句に当るべきこと毫も無し。‥玉鬘の君は此時は筑紫より上りたるばかりにて、御坐の匂ふほど佳き香など身に薫染め居れるにもあらず、‥此句はただ前句を転じて、よき人の初瀬詣でしたる後に、参籠の者の、如何なる貴き方にや、去り給ひしあとの猶ほ香の匂ふと云ふまでのさまなるべし」-露伴-、亡母の霊の手引で開運するという簡単な趣向を見落とすと、こういう解釈になる、と。


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