―表象の森― 向こう側から見る-親鸞の還相
吉本隆明の「老いの流儀」-NHK出版-のなかに、親鸞の思想、とりわけ「還相」の捉え方を分かり易く説いてくれている一章がある。以下はその論旨に沿って要約してみたもの。
親鸞の場合、「本当の死」とは、肉体の死でもなく精神の死でもない。「ある場所」だという解釈をしている。それは実体化した死とも実体化した浄土とも異なる場所であり、これを親鸞は仏教用語で「正定聚の位」と云う。
比喩で云うなら、王や天皇になる前の皇太子のようなもので、王や天皇が退位-大概は死ぬことだが-すれば、これを継承することは約束されている。ある場所-正定聚の位とは、そういった約束された場所であり、そこへ行けば浄土へ行ける、それが「本当の死」だということで、「現世」と「来世」の間にある「ある場所」なのだ、と。
親鸞の師である法然は、ひたすら念仏を唱えれば、必ず浄土へ行ける、とした。ところが、親鸞の他力本願は、念仏を唱えれば浄土-来世-に行けるというのではなく、「ある場所」に行けると云っているのだと思う。さらに、その「正定聚の位」から「現世」の人にまみれて生きることができたときに、初めて衆生-民衆-の救済は可能になる、というのが親鸞の考え方だ。
念仏を唱え、「正定聚の位」に行って、そこから帰ってこなければならない。帰ってきたときに初めて救済の問題は出てくるのであって、そうでないかぎりは、どんな救済も不徹底なものでしかない。ひとたび「正定聚の位」まで行って、そこから帰ってきて人々の中にまみれたときに、初めて徹底的に人を助けおおせることができるのだ、と。
宗教者ではない立場から見れば、親鸞が云うこの「ある場所」とは、ある精神の場所というか観念の場所ではないか。現実のわれわれが物事にぶつかるとき、それはいつもこちら側から向こう側に、である。だがもし「向こう」から、あるいは「背後」から、また未来からその出会いを見られたら、その向こうからが「死」という場所だろう。向う側からの視点、それは、いわゆる生きている「生」でもなければ、息絶えた「死」でもない、「ある場所」であり、そこから見ることなのだ。そのある場所からなら、死や未来にあるべき姿を全体のイメージで見られるのではないか、生のこちら側から見ても、ある程度は見当もつくが、すべてが分かることはありえない。向こう側から見ること、向こう側の「ある場所」から見られるとすれば、完全に事柄の全体像が分かるはずだ、と。
※「正定聚-ショウジョウジュ-」とは、岩波仏教辞典に拠れば、
正性決定-ショウジョウケツジョウ-とも云い、まさしく悟りが決定している人またはその位を意味する。
親鸞は「信心定まるとき往生また定まるなり」-未灯鈔-と云い、無量寿経に「即ち往生を得、不退転に住す」とある「即得往生」とは此の世-現世-において正定聚に住することである、と現世正定聚ということを強調する。「信心の定まらぬ人は、正定聚に住したまはずして、うかれまひたる人なり」」-未灯鈔-、とある。
<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>
「雁がねの巻」-28
あやにくに煩ふ妹が夕ながめ
あの雲はたがなみだつゝむぞ 芭蕉
次男曰く、「夕ながめ」の内容を付けている。
他の作り-前句-のアシライと見るべき付で、次に自の答を誘うように問掛の体を以てしているが、打越に「露は-こぼれて」とあれば「なみだ-つゝむぞ」と寄添うたあたり、やはり上手のはこびである。-かくすぞ、染めるぞ、では連句にならぬ。
俤の選択の余地を残しながら、お目当てはむろん夕顔である。
「見しひとのけぶりを雲とながむれば夕の空もむつましきかな」
呆気なく頓死した薄幸の女を偲んで源氏が詠む歌で、右近と語り合う長月二十日ほどのくだりに出てくる。
「こもりくの泊瀬の山の山のまにいさよふ雲は妹にかあらむ」
-土形の娘子を泊瀬の山に火葬る時に、柿本朝臣人麻呂の作る歌。万葉集・巻三-
「ゆふぐれは雲のはたてに物ぞ思ふ天つ空なるひとを恋ふとて」 -古今集・恋-
原型はこのあたりだが、「源氏」より下って、「新古今」時代になると雲を物思いのたねにした歌は珍しくない。
露伴注釈は「恋する人の夕眺め、暮雲に涙を誘はるるなど有勝の事なるべければ、古歌など引くにも及ばぬことながら、特に家隆の歌-
「思ひいでよ誰がかねごとの末ならん昨日の雲のあとの山風」-千五百番歌合-
は新古今和歌集巻十四にも出でて、源氏物語の夕顔の君を悲み傷める源氏の歌を思ひて吟ずれば、あはれ深き歌なり。‥流石に芭蕉なれば、一転して俳諧に扱ひて、誰が涙つゝむぞとは作れるなり」、と。
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