Information-四方館 DANCE CAFF-「出遊-上弦月彷徨篇」
―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、11月10日の稿に
11月10日、雨、晴、曇、行程3里、湯ノ平温泉、大分屋
夜が長い、そして年寄は眼が覚めやすい、暗いうちに起きる、そして「旅人芭蕉」-荻原井泉水著「旅人芭蕉抄」か-を読む、井師の見識に感じ苦味生さんの温情に感じる、ありがたい本だ-これで三度読む、6年前、2年前、そして今日-。-略
ここ湯ノ平といふところは気に入つた、いかにも山の湯の町らしい、石だたみ、宿屋、万屋、湯坪、料理屋、等々々、おもしろいね。-略-
人生の幸福は健康であるが、健康はよき食慾とよき睡眠との賜物である、私はよき-むしろ、よすぎるほどの食慾をめぐまれてゐるが、どうも睡眠はよくない、いつも不眠或は不安な睡眠に悩んでゐる、睡られないなどとはまことに横着だと思ふのだが。-略-
※表題句の外、5句を記す
―四方のたより― こんどはお題を
次のDance Cafeも3日後に迫ってきた。
このたびはいつもと趣向を変えて、それぞれのSceneに小見出しを、お題を付けてみようと思い立った。
踊る方にも、また観る側にも、ひとつの手がかりにはなるだろう。もちろん、充てられた言葉が、却って阻害のタネとなる懼れもある。あるが、ものは試し、である。
以下は、その構成的メモ
A-「日蝕-にっしょく-」
46年ぶりの皆既日食だった7月22日、多くの人々が訪れたトカラ列島の悪石島では、時ならぬ荒れ模様の天候で観測不能、嘆きと恨みの6分25秒となった。
天岩戸神話は皆既日蝕の物語化であると唱えたのは荻生徂徠にはじまるという、また、邪馬台国の卑弥呼が死んだとされる248年、日蝕が起こっていたとする説もある。
日蝕の残してゆきぬ蟇-ひきがえる- -石母田星人
B-「月暈-つきかさ-」
月暈も沼の光も白き夜はみそかに開く睡蓮の花 -横瀬虎壽
母逝くと電報うちて立もどる霜夜の月のつきがさくらし -岡麓
梅が香のたちのぼりてや月の暈 -一茶
C-「地震-なゐ・ぢなり-」
なゐ-古名-、古来<な>は地を、<ゐ>は場所を表し、地震が起こることを<なゐふる>-大地震える-と云った。
国一つたたきつぶして寒のなゐ -安東次男
D-「人外-にんがい-」
古語としては、人以外のもの、動物や妖怪を指す、転じて、道を外れた人、人でなし。
昨今のSubcultureでは人外何某と夥しくも盛んなこと。
E-「水鏡-みずかがみ-」
水鏡乱れし髪に手をやりて想い捨て去る夏待てぬ蝶 -menesia
田に水が入り千枚の水鏡とは -鈴木石男
水鏡してあぢさゐのけふの色 -上田五千石
F-「火車-かしゃ-」
悪事を犯した亡者をのせて地獄に運ぶ、火の燃えさかっている車をいう仏語。
烏山石燕-江戸中期の画人-が描く「図画百鬼夜行」などには妖怪としても登場する。
G-「風神雷神-ふうじんらいじん-」
中国古来には、雷公・雷鼓・風伯あり、密教では、波羅門の神を取り込んだ風天・帝釈天がある。
奈良生駒の竜田社の風祭に代表される風神祭は全国津々浦々にひろがって今にのこる。雷神は水神・火神の二面を備えた最高神格ともみられ、古来天神として畏敬信仰されてきた。悲運のうちに太宰府で死んだ菅公が天神さんへと化したように、御霊の猛威が雷神に象徴されることも多かった。
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