山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

日が落ちかかるその山は祖母山

2009-09-15 23:57:56 | 文化・芸術
Dc090707112

Information-四方館 DANCE CAFF-「出遊-上弦月彷徨篇」

―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、11月5日の稿に
11月5日、曇、三番町行乞、宿は同前

昨夜は蒲団長く長くだつた、これからは何よりもカンタン-蒲団の隠語-がよい宿でなければかなはない、此宿は主婦が酌婦上りらしいので多少、いやらしいところがないわけでもないが、悪い方ではない。
山の町の朝はおくれる、9時から2時まで行乞、去年の行乞よりもお賽銭は少なかったが、それでも食べて飲んで寝るだけは十分に戴いた、袈裟の功徳、人心の信愛をありがたく感じる。-略-

豪家らしい家で、御免と慳貧にいふ、或はちよんびり米を下さる-与へる方よりも受ける方が恥づかしいほど-、そして貧しい裏長屋でわざわざよびとめて、分不相応の物資を下さる、-何といふ矛盾だらう、今日もある大店で嫌々与へられた一銭は受けなかつたが、通りがかりにわざわざさしだされた茶碗一杯の米はほんたうにありがたく頂戴した。

入浴3銭、酒20銭、-これで私は極楽の人となつた。
今日は一句もない、句の出来ないのは気持の最もいい時か或は反対に気持の最もよくない時かである。-略-

いつ頃からか、また小さい蜘蛛が網代笠に巣喰うてゐる、何と可愛い生き物だらう、行乞の時、ぶらさがつたりまひあがっつりする、何かおいしいものをやりたいが、さて何をやつたものだらう。

※表題句は、11月4日付の句から

祖母山というその山の名に、山頭火は、「業やれ業やれ」といつも口癖のように呟いていた老祖母ツルが憶い出され、大種田落魄から流転の日々の追憶を重ねては、ひとしきり涙にくれたのではなかったろうか。

-日々余話- Soulful Days-28- 再.Drive Recorder解析

「ドライブレコーダーにみる事故状況及び原因に関する所見」

一、乙-T車の無灯火運転について

資料-1のドライブレコーダー分析表<19>時点の映像には、事故直後、対向車線上で信号待ちする車両が映っている。この車両の前照灯はロービーム状態にあると見られるが、その灯りが交差点路面を照射している状態が画面上においても充分に視認できる。
また、分析表<9>から<13>における、対向車線から交差点を西へ直進している軽自動車においても、その前照灯が路面を照射している状態が画面から視認できる。

しかるに、衝突事故直前の2秒間程、即ち分析表<14>から衝突の瞬間である<18>までの間、画面上において、甲-M車の前照灯が照射している灯り以外に、路面の変化は見られない。この時、乙-T車は時速70km/hで対向車線を走行してきた、と科捜班による現場検証において推定されているのだから、2秒前なら衝突地点の約39m手前にあり、前照灯が灯火されていたなら、画面上に逐次的に灯りの変化が見られる筈であるが、その変化はまったく覗えない。
よって、乙-T車は無灯火運転であったと推定される。

二、乙-T車の脇見運転について

T.Kの主張によれば、乙-T車の進路上において、右折しようとしている甲-M車が、突然急停止したため、急遽制動動作に入るも間に合わず衝突した、とのことである。

また、甲-M車が右折行為からほぼ直進状態になったのは、分析表<15>あたりと推定されるが、この時の時速は16.9km/h、さらに分析表<16>において僅かにアクセルを踏んで時速21.1km/hを表示しているが、この間、0.510秒と0.490秒、合わせて1.000秒であり、その移動距離は2.394mと2.872m、合わせて5.266mであるから、この間に、対向車線の右側端右折車線を通過し、ほぼ第一走行車線上で停止したと見られる。但しブレーキが踏まれたとはいえ速度は5.6km/hを表示しており、完全な停止ではない。分析表<17>から衝突時点の<18>までの0.510秒の間に0.794mと僅かに移動している。

さて、甲-M車が、ゆっくりとだが右折直進行為に入りながら、なぜ急に停止しようとしたかであるが、M.K自身、事故当時を振り返りながら、何か気配のようなものを感じて、咄嗟に制動したというしかない、と語っている。
この時のM.Kの、咄嗟の制動動作に仮に0.6秒要したとすれば、分析表<17>と<18>のごとく、甲-M車停止から衝突の瞬間まで0.510秒だから、計1.11.秒となるが、この時点、乙-T車は、時速70km/hで、手前21.583mにまで迫っていることになる。瞬時のこととはいえ、真横からかなりのスピードで迫り来るものに、気配のようなものを感じて、というのは然もあらんと思われる。
もし、乙-T車が前照灯を灯火していたなら、直進してくる車両を、もっと手前で、しかもはっきりと視認できたろうが、一で推定されたように無灯火であったゆえ視認しえず、甲-M車においては事故を避け得なかったものと推量できる。

さらに、乙-T車だが、運転するT.Kは、前照灯を投下し、ゆっくりと右折しようとしている甲-M車の存在には、信号手前はるか後方から一旦は視認し、気づいていたと見られる。そしてその折の判断は、速度を落とすことなくこのまま直進走行しても、甲-M車は、右折直進を完了するものと予断したとも見られる。それから1~2秒の間、甲-M車から注意を逸らし、何か別事に気を取られたまま走行を続けた後、前方を注視した時には甲-M車が停止しているのを認め、瞬時に制動動作に入るも、まったく間に合わず衝突した。即ち脇見運転であった。

事故状況をこのように推量せぬかぎり、この項の初めに記したような主張はなし得ぬ、というものであり、またこの推量はドライブレコーダーに即して合理的なものである。

一と二を総合するに、当該事故の原因は、乙-T車にこそ無灯火にして脇見という重大な過失が存し、甲-M車においては細心の注意をはらいながら右折行為をしていたたにもかかわらず遭遇した、いわば不可抗力にも近く、その過失は乙-T車に比しきわめて小なるものであった、と推定するのが合理的である。


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暮れてなほ耕す人の影の濃く

2009-09-14 23:56:17 | 文化・芸術
Dc09070731

Information-四方館 DANCE CAFF-「出遊-上弦月彷徨篇」

―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、11月4日の稿に
11月4日、晴、行程10里と8里、三重町、梅木屋

早く起きる、茶を飲んでゐるところへ朝日が射し込む、十分に秋の気分である、8時の汽車で重岡まで10里、そこから小野まで3里、1時間ばかり行乞、そして三重町まで8里の山路を急ぐ、三国峠は此地方では峠らしい峠で、また山路らしい山路だつた、久振に汗が出た、急いだので暮れきらぬうちに宿へ着くことが出来た。-略-

どちらを見ても山ばかり、紅葉にはまだ早いけれど、どこからともなく聞こえてくる水の音、小鳥の声、木の葉のそよぎ、路傍の雑草、無縁墓、吹く風も快かつた。-略-

行乞してゐると、人間の一言一行が、どんなに人間の心を動かすものであるかを痛感する、うれしい事でも、おもしろくない事でも。-略-

さすがに山村だ、だいぶ冷える、だらけた身心がひきしまるやうである、山のうつくしさ水のうまさはこれからである。
「空に遊ぶ」といふことを考へる、私は東洋的な仏教的な空の世界におちつく外はない。
台湾毒婦の自殺記事は私の腸を抉つた、何といふ強さだ。

※表題句の外、16句を記す

―日々余話― Soulful Days-27- 一年を経て‥

一周忌法要は無事恙なく終えた。無事恙なくとわざわざ記さねばならないのは、昨年の満中陰法要の席でのなんとも言い難い苦い出来事がいまだ脳裡から離れないでいるためだ。

あれは長兄の発言からはじまった。
RYOUKOが事故で逝って、いずれは慰謝料等損害賠償金の問題が起こる。暮し向きは母親と同居していたにもかかわらず、とうとう結婚する機縁を得ず、独り身のまま逝ってしまった彼女は、私の戸籍のうちにあるままだったのが問題をこじらせた。遺族としての相続権は私と妻双方に互角にあることになってしまう。一言でいうなら、自身の道楽な生きざまで身勝手に妻や子を捨て去った男、彼らにしてみれば、そんな像で括られるのが私だったろう。そんな輩が苦労してきた母親と同様に遺族として対等の権利を有するのは不合理きわまるではないか。そんな想いが満中陰に寄った多くの親族の心に痼りのようにさまざま張り付いていたのだろう。

いや、ほんとうのところを有り体に云えば、この不合理に対する心の痼りは妻の方にすでに起こっていた。突然降って湧いたようなこの相続権を、私がどう考え、どうしようとしているか、私への妻の疑心暗鬼が、すでに親族たちに漏らされ、伝播していたのだった。

離れた席で口火を切った長兄に、私は大声を張り上げて怒鳴り返した。法要の会席は一気に変じてどんでもない醜態を曝した無惨な宴となってしまった。
身から出た錆とはまさにこのことだが‥、それにしても救い難く情けない一席であった。

ほぼ一年を経たこのたびの席は、さざ波さえ立つこともなく終始した。麻生和尚は私が持ち込んだ非母観音の掛軸を快く祭壇の横に掛けて、滞りなく仏事を進行してくれたし、おまけに私の想いの一片をまるで代弁するかのように座興に講じてもくれていた。

肝胆相照らすとは、互いに畏敬の念の裏付けがあってこそ成り立ちうるものだろうが、麻生和尚もまた有難く得難い友である。

一夜明けて午後、MKの社長とK氏を波除の仏前に迎えた。私は昨夜あらためて仔細に書き直した「ドライブレコーダーにみる事故状況及び原因に関する所見」を差し出して、私なりの事故原因の解釈を示した。現在、民事で係争中の名目上の当事者ではあるが、係争相手の実体はむしろ損保会社なのだから、彼らに私どもの考えを明瞭に伝え置くことは決してマイナスには働くまいと思ったからだ。


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ふる郷の言葉なつかしう話しつづける

2009-09-13 23:50:38 | 文化・芸術
Dc090707105

Information-四方館 DANCE CAFF-「出遊-上弦月彷徨篇」


―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、11月3日の稿に
11月3日、晴、梢寒、延岡町行乞、宿は同前

だいぶ寒くなつた、朝は曇つていたが、だんだん晴れわたつた、8時半から3時半まで行乞する、近来の励精である。

今日の行乞相はたしかに及第だ、乞食坊主としてのすなほさとほこりとを持ちつづけることが出来た、勿論、さういふものが残つてゐるほど第二義的であることは免れないけれど。

うるかを買はうと思つたがいいのがなかつた、松茸を食べたいと思ふが、もう季節も過ぎたし、だいたい此地方では見あたらない、此秋は松茸食べなかつただけぢやない、てんで見ることも出来なかつた、それにしても故郷の香り高い味はひを思ひ出さずにはゐられない。

新米のお客さん4人、みんな同行だ、話題は相変らず、宿の事、修行の事、そしてヨタ話。

※表題句の外、1句を記す

―四方のたより― Goodbye Arisa

アソカ学園は宗教法人浄光寺の経営する保育園である。今日は11:00から2階の本堂でRYOUKOの一周忌法要、そして12:00から3階の講堂兼運動室では稽古と、ダブルでお世話になる。

法要のあとの会席も終えて稽古場へと私が移動したのは、もう午後2時を過ぎていたか。まず、ありさの姿が眼に入った。かれこれ2ケ月ぶりに見る彼女だが、この日でお別れ、来週からは東京に移り住んで、SBA-Sofia Ballet Academy-に通うことになる。

稽古を終えた頃、ゆりママも、ヤングパパも、一緒に、お別れにやってきた。いつものように、いつもの店で。なにしろ二度の上京暮しで、やっとありさが踏み出すべき道を見出したのだから、話題はふんだん、容易に尽きそうにはない。

東京の向こうに見えるのは、サンクトペテルブルクのVaganova Ballet Academyか、それともモスクワのBolshoi Ballet Schoolか。2年後、3年後のありさは、どんな成長を見せてくれるのだろうか、正直なところ一抹の不安が脳裡をかすめないわけではないが、ここはポンと背中を押してやるべきところだと思う。

汝自身を知れ
おのが器は大器たりや、その器にいかに水を盛るか
それは一大難事にはちがいないが
悠然と羽ばたいて欲しい。


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跣足の子供らがお辞儀してくれた

2009-09-12 23:08:22 | 文化・芸術
Dc09070700

Information-四方館 DANCE CAFF-「出遊-上弦月彷徨篇」

―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、11月2日の稿に
11月2日、曇、后晴、延岡町行乞、宿は同前

9時から1時まで辛うじて行乞、昨夜殆ど寝つかれなかつたので焼酎をひつかける、それで辛うじて寝ついた-アルコールかカルチモンか、どちらにしても弱者の武器、いやな保護剤だ。
同宿の同郷の遍路さんとしみじみ語つた、彼は善良なだけそれだけ不幸な人間だつた、彼に幸あれ。

※表題句は、10月31日の稿に記載の句

―日々余話― 難行易行

毎日新聞朝刊の中折2面を使ったカラー版「農and食」の特集記事、先ず中央に配された、彼岸花の咲きほこる明日香村神奈備の里の大きな写真が、読者の眼を惹きつける。

記事は大小4つ、京田辺市で、農薬なし肥料もなし、玉露や煎茶の画期的な無施肥無農薬栽培を確立し、普及にも努めているのが小野さんという女性。この辺り、近くを流れる木津川の川霧が味を良くしてくれるという茶の名産地で知られる土地柄だが、それにしても、天然灌水、土と太陽光だけでの栽培は、全国的にも存在しないそうな。その普及活動を実践しているのが会員200名ほどを擁するNPO無施肥無農薬栽培研究会で、ご当人の小野さんも理事として活動を牽引している。

もう一つ、秋田県八郎潟の干拓地は米どころとして全国に知られるが、自由化の煽りで下がりつづける米価が、この大潟村の農家を軒並み襲っている。コメ価格の将来不安は、水稲単作から野菜栽培などの複合経営へと走らせる。そんななかで馴れないトマトのハウス栽培に将来を託して悪戦苦闘を続ける農家だが、ここでもこだわりは無農薬。虫に喰われ、形が揃わず、市場から出荷停止の苦い経験を味わいながら、失敗の蓄積が技術の蓄積へと変わっていく。販売店も独自に開拓をしてきた。サンプルを抱えて百貨店やスーパーへ営業を重ね、こつこつと販路もひろげてきた、と。

こういった話題に触れると、農-自然を相手に文字どおり耕すこと-のたゆまぬ工夫の積み重ね、その奥深さに、心衝かれ自ずと頭の垂れる想いにとらわれる。自身に振り返れば、大地相手の農の真似ごとなど思いもよらぬ不可能事だが、おのが日常とする、人事の内での耕の類など、なにほどもない易行の道なのだとも思えて、反省することしきりだ。


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光あまねく御飯しろく

2009-09-11 20:42:24 | 文化・芸術
Dancecafe090926hyr_2

―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、11月1日の稿に
11月1日、曇、少雨、延岡町行乞、宿は同前

また雨らしい、嫌々で9時から2時まで延岡銀座通を行乞、とうとう降り出した、大したことはないが。-略-
隣室の老遍路さんは同郷の人だった、故郷の言葉を聞くと、故郷がひとしほ懐かしくなつて困る。‥
女房に逃げられて睾丸を切り捨てた男-その男が自身の事を喋りつづけていた、多分、彼はその女房の事で逆上してゐるのだらう、何にしても特種たるを失はなかつた。
Gさんに、-我々は時々「空」になる必要がありますね、句は空なり、句不異空といつてはどうです、お互にあまり考へないで、もつと、愚になる、といふよりも本来の愚にかへる必要がありますね。-略-
※表題句の外に、1句を記す

―四方のたより― ’09. DANCE CAFE 第3弾

もう2週間ほどに迫ってしまったが、DANCE CAFEのお知らせ
このたびは土曜の昼下がり、この日は上弦の月にあたる
暦のページによれば、月の出が13:09、正中は18:00頃で、月没は22:53だと

昨年の夏から仲間になって、DANCE CAFEでも馴染みになったありさは、バレエ修業のため、いよいよ上京することになった。稽古場は少し寂しくなるが、まあ元々、彼女の精神的平衡を得るために通っていたようなものだから、機が熟して、飛び立つべき時が来れば、とりあえずお別れになるのは、お互い織り込み済みのこと、みんなで笑って送り出してやろう。

こんどのDANCE CAFEでは、山田いづみさんをGuestにお誘いした。
彼女は若い頃の数年を神澤師にも教えを請うていた。だから’80年頃からの知り合いだし、同門の後輩ともなるが、縁はそればかりではない、HANTOMO-劇団犯罪友の会-の主宰者武田一度君の細君でもあるし、デカルコ・マリィこと清水君とも仲間内のようなものだし、交友の図は二重三重に重なり合っている。
‘83年から自立、BRICKS DANCE COMPANYを主宰してきた舞踊の実績は申し分ない。国内だけじゃなくパリ公演など海外でもいくたびか重ねてきている。

さて、どんな競演模様が描かれることになるか、そいつは見てのおたのしみ
願わくは、お誘い合わせてお出でましを。

四方館 DANCE CAFE -’09 vol.3-
出 遊 -上弦月彷徨篇-
あそびいづらむ-じやうげんのつきさすらひへん

Date :9/26 –Sat- PM2:00
Space : 弁天町市民学習センター
Admission Fee : ¥1,500

白川静の曰く…
 南に喬木あり 休ふべからず
 漢に遊女あり 求むべからず –詩経・漢広-

喬木ありとは、女神出現の暗示である
遊女とは、出行する女神である
隠れたる神々の、出遊-
幽顕の世界に自在に往来することが、遊であり、逍遥である
それはまた、真と仮とのあいだ、である

Dance : 末永純子
      岡林 綾
      薫瑠子
     デカルコ・マリィ
     山田いづみ
Sound-viola : 大竹 徹
 percussion : 田中康之
Coordinate  : 林田 鉄


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