山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

元日の捨犬が鳴きやめない

2009-12-17 22:46:56 | 文化・芸術
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Information – 四方館の DANCE CAFE –’09 Vol.4-
出遊-二上山夢験篇-

あそびいづらむ-ふたかみやまゆめのあらはれへん-
Date :12/27 –Sun- PM2:30
Space : 弁天町市民学習センター

―山頭火の一句― 「三八九-さんぱく-日記」より-05-
1月1日、雨、可なり寒い。

いつもより早く起きて、お雑煮、数の子で一本、めでたい気分になつて、Sのところへ行き、年始状を受取る、一年一度の年賀状といふものは無用ぢやない、断然有用だと思ふ。

年始郵便といふものをあまり好かない私は、元日に年始状を書く、今日も50枚ばかり書いた、単に賀正と書いたのでは気がすまないので、いろいろの事を書く、ずゐぶん労れた。

※表題句の外、3句を記す

-四方のたより- 語りを<地>にして

こんどのDance cafeは、いつもとは些か趣向が異なる。
演奏者と踊り手がそれぞれに即興で掛け合うのが習いなのだが、このたびは折口信夫の「死者の書」から採った語り世界が挿入される。「死者の書」という古代の俤を伝える複式夢幻能ともいうべき特異な語りの世界が、いわば全体を通しての<地>ともなる訳だ。

その語り世界に対し、<図>ともなる音や踊りの即興は、どうありうるか。
言葉の世界というものは、否応もなく、観る者の想像力を限定してやまないものだから、音や踊りの演奏者が、<地>の語りに、どんなに即こうとまたどれほど離れようと、その関わりにおいてしか表現は成り立たない。ならば、演奏者たちは、語りの世界に即くことを意図するよりも、むしろ如何に遠離るか、如何に裏切るか、奔放に、自在に演ってもらったほうが、<地>と<図>、語り世界と演奏世界の対比、Dynamismが生まれてこようかと思われるのだが‥。


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今年も今夜かぎりの雨となり

2009-12-16 23:12:32 | 文化・芸術
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Information – 四方館の DANCE CAFE –’09 Vol.4-
出遊-二上山夢験篇

あそびいづらむ-ふたかみやまゆめのあらはれへん-
Date :12/27 –Sun- PM2:30 Space : 弁天町市民学習センター

―山頭火の一句― 「三八九-さんぱく-日記」より-04-
12月31日、曇つて寒い、暮れてからは雨になつた、今年もおしまひだ。

懐中に4銭しかない、3銭で入浴、1銭でヒトモジ一把、文字通りの無一物だ、いかに私でも-師走がない正月がない私でも困るので、夕方、寥平さんを訪ね、事情を明かして少し借りる、いや大いに掠める、寥平さんのすぐれた魂にうたれる。‥

見切の白足袋1足10銭、水仙1本2銭、そして酒1升1円也、-これで私の正月支度は出来た、さあ正月よ、やつてこい! -略-

寥平さんのおかげで、炊事具少々、端書60枚、其他こまごましたものを買ふ、お歳暮を持つて千体仏へ行く、和尚さんもすぐれた魂で私を和げてださった。

あんまり気が沈むから二三杯ひつかける、そして人が懐かしうなつて、街をふらつき、最後にSのところで夜明け近くまで話した-今夜は商店はたいがい徹夜営業である-、酔うて饒舌つて、年忘れしたが、自分自身をも忘れてしまつた。‥

それでは昭和5年よ、1930年よ、たいへんお世話になつた、各地の知友福寿長久、十方の施主災障消除、諸縁吉祥ならんことを祈ります。

※表題句の外、1句を記す

-四方のたより- 磐余の章Scene.4
「死の相聞」その2


林田鉄、往年の仕事-「鎮魂と飛翔-大津皇子-」磐余の章-Scene-4


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あんな夢を見たけさのほがらか

2009-12-14 17:17:31 | 文化・芸術
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Information – 四方館の DANCE CAFE –’09 Vol.4-
出遊-二上山夢験篇-

あそびいづらむ-ふたかみやまゆめのあらはれへん-
Date :12/27 –Sun- PM2:30
Space : 弁天町市民学習センター

―山頭火の一句― 「三八九-さんぱく-日記」より-03-
12月30日、風は冷たいけれど上々吉のお天気、さすがに師走らしい。

私は刻々私らしくなりつつある、私の生活も日々私の生活らしくなりつつある、何にしてもうれしい事だ、私もこんどこそはルンペンの足を洗ふことが出来るのだ。-略-

師走の人ごみにまじつて、ぶらぶら歩く、買ふ銭もなければ、あまり買ひたいものもない、あんまりのんきな師走の私かな。-略-

午前は元寛さん来訪、夜は馬酔木居往訪、三人で餅を焼いて食べながら話した、元寛さんは元寛さんのやうに、馬酔木さんは馬酔木さんのやうに、どちらともすぐれた魂を持ってゐられる。‥
元寛さんから餅と数の子を貰つた、ありがたかつた。

※表題句の外、17句を記す

-四方のたより- 磐余の章Scene.3

「死の相聞」その1
-書紀に曰く、妃山辺皇女、髪をふり乱して、すあしにして参り赴きて、殉に死ぬ。

女がひとり、走りきた
裳裾をひるがえし
蒼白な面は美しく 昂ぶりは極限にあった
空の高みで雷鳴が轟く
悲しみと憤怒の狂気
彼の人の死に 死をもって相聞した


林田鉄、往年の仕事-「鎮魂と飛翔-大津皇子-」磐余の章-Scene-3


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月の葉ぼたんへ尿してゐる

2009-12-12 17:52:06 | 文化・芸術
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―山頭火の一句― 「三八九-さんぱく-日記」より-02-
12月29日、晴、紺屋町から春日駅へ、小春日和の温かさ。
或る人へのたよりに、「‥ここへ移つて来てから、ほんたうにしづかな時間が流れてゆきます、自分自身の寝床-たとへそれはどんなにみすぼらしいものであつても-を持つていることが、こんなにも身心をおちつかせるかと、自分ながら驚いてをります。ちょうど、一茶が長年待ち望んでゐた家庭を持つた時のよろこびもこんなだつたらうと、ひとりで微苦笑を禁じえませんでした。‥」 -略-
ルンペンは一夜の契約だが、今の私は来年の15日までは、ここにゐることが出来る、米と炭と数の子と水仙と白足袋とを買つたら、それこそおめでたいお正月だ!-餅はすでに貰つた。酒も貰へるかも知れない、乞食根性を出すなよ-
三八九の原稿を書くのに、日記8冊焼き捨ててしまつたので困つた、しかし困つても、焼き捨てたのはよかつたらう、-過去は一切焼き捨てなければ駄目だから、-放下了也。

―四方のたより― 今年も歳末にDance Cafe
師走も、もう月半ばになろうとしている。
今年も歳末にDance Cafeを行う、最後の日曜日だ。
どんな趣向にしようかとあれこれ思ったが、私自身の拘りの強いものに照準をあてることにした。
という訳で、以下のような次第。

Information – 四方館の DANCE CAFE –’09 Vol.4-
出遊-二上山夢験篇-
Date :12/27 –Sun- PM2:30
Space : 弁天町市民学習センター
Admission Fee : ¥1,500


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どしやぶり、正月の餅もらうてもどる

2009-12-11 13:04:09 | 文化・芸術
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―山頭火の一句― 「三八九-さんぱく-日記」より
昭和5年12月28日から昭和6年2月5日に至る間の日記は、自筆ノートの表紙に三八九日記と注記されている。

12月28日、曇、雨、どしや降り、春日へ、そして熊本へ
もう三八九日記としてもよいだらうと思ふ、水が一すぢに流れるやうに、私の生活もしづかにしめやかになつたから。――

途上、梅二枝を買ふ、3銭、一杯飲む、10銭、そして駅で新聞を読む、ロハだ。

夕方から、元坊を訪ねる、何といふ深切だらう、Y君の店に寄る、Y君もいい人だ、I書店の主人と話す、開業以来27年、最初の最深の不景気だといふ、さうだらう、さうだらうが、不景気不景気で誰もが生きてゐる、ただ生きてゐるのだ、死ねないのだらう!

Sがお正月餅を一袋くれた、餡餅、平餅、栗餅、どれもこれもありがたくいただいた。元坊のところでも搗きたてのホヤホヤ餅をおいしく食べた。‥‥

寝床の中でつくづく考へる、――わたしは幸福な不幸人だ、恵まれた邪宗徒だ、私はいつでも死ねる、もがかずに、従容として! 私にはもうアルコールもいらない、カルチモンもいらない、ゲルトもいらない、‥‥やつぱりウソはウソだけれど、気分は気分だ。

※表題句の外、7句を記す

―四方のたより― 「刑死」その2

やっと頼まれごとが一段落、次の手配も了えて、さしあたりは本来の私事に戻れるようになったものの、頭の切り換えがどうもうまくないのは、この歳ゆえの、ちょっぴり溜まった疲れの所為か。

林田鉄、往年の仕事-「鎮魂と飛翔-大津皇子」磐余の章 Scene.2


この「刑死」その2の場面では、今は懐かしの久本勝巳とともに、この4年後だったか、大阪市議となった奥野正美君が語り手として姿を見せている。彼にとっては「走れメロス」-‘78-以来の、久しぶりの舞台だった筈だ。


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