山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

タドンあたゝたかく待つてゐてくれた

2009-12-09 17:59:44 | 文化・芸術
Dancecafe081226058

―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、12月27日の稿に
12月27日、晴、もつたいないほどの安息所だ、この部屋は。

ハガキ40枚、封書6つ、それを書くだけで、昨日と今日とが過ぎてしまつた、それでよいのか、許していただきませう。
‥ようやく、おかげで。自分自身の寝床をこしらへることができました、行乞はウソ、ルンペンはだめ、‥などとも書いた。
前後植木畠、葉ぼたんがうつくしい、この部屋には私の外に誰だかゐるやうな気がする、ゐてもらひたいのではありませんかよ。
数日来、あんまり歩いたので-草鞋を穿いて歩くのには屈託しないが、下駄、殊に足駄穿きには降参降参-、足が腫れて、足袋のコハゼがはまらないやうになつた、しかし、それもぢきよくなるだらう。-略-

※表題句の外、3句を記す

―日々余話― 鬼の撹乱?

日曜-6日-の夜から、ある作業に没頭して徹夜のまま翌日の夕刻までかかずらってしまった挙げ句、なんとか夕食を済ませ、倒れ込むようにして眠り込んだまではよかったが、朝起きてみると、身体は怠いし、頭は重い‥。昼近くには、なんだか熱っぽくなって、ゾクゾク寒気がするようにまでなってしまった。連れ合い殿が帰ってきてから熱を計ってみたら8度3分。大事をとって昨夜は早々に蒲団にもぐり込んだのだった。
今朝、起きてみると、ちょっぴり寒気が残るものの、ほゞ熱は下がったらしく、どうやら新型インフルの心配はないようで、まずは一安心。
まあ、この歳になって無理をすれば、こんな仕儀にもなろうかというもの。鬼ならぬ身であれば、とかく心身の酷使は一過性の撹乱を引き起こすものと思い知るべし。

―四方のたより― 今は昔の‥

今は懐かしの往年の舞台から「鎮魂と飛翔-大津皇子」を紹介しよう。
‘83年の春、当時大阪音大の北野徹氏との共演を得て、パーカッションと現代舞踊の出会いと副題、大阪府芸術劇場の一演目として、府立労働会館Lシアターホールにて上演したもの。
磐余の章、二上山の章の、2章8場からなるが、参考までに、当時のパンフに掲載した「磐余と二上山」の一文を引いておく。

「現在の奈良県桜井市中西部から橿原市東南部にかけての地と考えられる磐余は由緒深い土地柄であった。
それは飛鳥以前の大和の中心的地点であったかもしれない。宮跡は影もかたちもない。もちろん礎石もころがっていない。昔は水都をかたちづくっていた磐余の池も干拓されていまはただの田畑である。飛鳥を古代の陽の部分とすれば、磐余は陰の部分だ。寥々とした悲しさがある。万葉びとの瞑い悲しさがある。

日本書紀によると、朱鳥元年-686-9月9日天武天皇崩御、持統天皇称制、つづいて10月2日大津皇子の謀反発覚、逮捕、3日大津皇子、訳語田-おさだ-の舎にて死を賜う。時に二十四、とある。当時、皇子大津は磐余の一隅、訳語田に生き、死んだのである。

飛鳥から西の方、信貴山から山が切れて亀瀬の峡谷となり、それから南へ低い丘がつづいてふたたび二の峰をもった二上山が高く立ちあがる。さらに南へと大和盆地と河内平野をさえぎっている葛城・金剛の山脈がつづき遠く紀州へと連なっていく。

二の峰のうち高くてまるいほうが雄岳、低いとがったほうが雌岳と呼ばれ、この雄岳の頂きちかく、非業の死を遂げた大津の墓がある。大和盆地から仰げばふたつの馬の背のように見え、雄岳と雌岳のあいだに沈む夕陽は荘厳であり、西方浄土を思わせる。報われずさまよう魂こそこの西方浄土に導かれていくべきだったのか。

中将姫の当麻曼荼羅で知られる当麻寺は、二上山東麓まるく盛りあがる麻呂子山の下にある。横佩の右大臣藤原豊成の娘と伝えられる中将姫は、天平年間に当麻寺へ入山し、生身の如来を拝することを誓願し、一夜にして蓮糸で曼荼羅を織りあげた、という。

折口信夫の想像力はこの二者を結びつけ架橋した。「死者の書」である。
作者の霊妙な招魂のわざによって、物語のなかに現実的な、あるいは夢幻の姿を現し登場する大津や中将姫の遊魂が、鎮められ昇華され、森厳なレクィエムとなって、古代びとの面貌を現前させ、古代を呼吸する稀有の一書を成している。」

林田鉄、往年の仕事-「鎮魂と飛翔-大津皇子-」磐余の章-Scene-1


林田鉄、往年の仕事-「鎮魂と飛翔-大津皇子」磐余の章より
「刑死」-大津皇子、謀反発覚として死を賜う、時に二十四。

なにもない
なにもない磐余の地
空のなかで鳥が死んだ
黒い獰猛な空から
黙って、残酷に
彼の人は墜ちた


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やつと見つけた寝床の夢も

2009-12-06 22:28:13 | 文化・芸術
080209151

―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、12月26日の稿に
12月26日、晴、しづかな時間が流れる、独居自炊、いいね。

寒い、寒い、忙しい、忙しい-我不関焉!
これらの句は二三日来の偽らない実景だ、実景に価値なし、実情に価値あり、プロでもブルでも。

※表題句の外、7句を記す

―四方のたより― Sou Mon-相聞Ⅲ、その3-

今日のVideoは、2006年のAlti Buyoh Festival参加作品「Sou Mon-相聞Ⅲ-」のScene.3
小嶺由貴と末永純子によるImprovisation Duo、Piano演奏は杉谷昌彦。


Sou Mon-相聞?-Scene.3-by四方館-Alti Buyoh Festival 2006


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大地あたゝかに草枯れてゐる

2009-12-04 12:03:21 | 文化・芸術
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―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、12月25日の稿に
12月25日、晴、引越か家移か、とにかくここへ、春竹へ。

緑平さんの、元寛さんの好意によつて、Sのところからここへ移つて来ることが出来た。‥
だんだん私も私らしくなつた、私も私の生活らしく生活するやうになつた、人間のしたしさよさを感じないではゐられない、私はなぜこんなによい友達を持つてゐるのだらうか。

※表題句の外、2句を記す

-今月-11月-の購入本―
とうとう月を遅れての記載となってしまった。
読書の記録を「Book Diary」と題し、Excelに残すようになってちょうど5年、その間、490册を読んだことになるが、年平均に換算すれば100册に満たない。
買い置いたものの未だ読めぬまま積まれたものも、ずいぶんと嵩高くなったものだ。
そろそろ老い先を数えて生きる日々ならば、これから先、多きを求めても致し方あるまい。ゆったりと愉しむ三昧の境地になりたいものだ。

・西垣通「続 基礎情報学-「生命的組織」のために」NTT出版
情報-その本質は生命による「意味作用」であり、意味を表す記号同士の論理的関係や、メディアによる伝達作用はむしろ派生物にすぎない。言葉の意味はいかにして私の心から他者の心へ伝えられるか。意味内容が他者間をまるごとそっくり移動するなどほんとうに可能なのか。社会的コミュニケーションはいったいなぜ可能なのか。著者はHACS-階層的自律コミュニケーションシステム-に基づいて、「情報」そのものを根底から問い直すことから出発する。生命が、閉鎖的かつ自律的な「システム」であるとしてとらえ、その上で生命の「意味作用」を「情報」であると再認識した上で、生命/心/社会をめぐる情報現象を、統一的なシステム・モデルによって論じようとする。

・廣松渉「事的世界観への前哨-物象化論の認識論的=存在論的位相」ちくま学芸文庫
近代的世界像の抜本的な再検討とそれに代わるべき新しい世界観の構築が哲学の課題となってすでに久しい。本書はそれに応えるべく著された、近代的な世界了解の地平の、全面的な超克を目指した壮大な哲学的営為といえよう。まず、カント、マッハ、フッサール、ハイデッガーの哲学的核心部分を鋭く抉り出し、新しい世界観のための構図と枠組を示す。さらに近代科学的自然像がいかなる変貌を遂げてきたかを追認しつつ、相対性理論、量子力学の提起した認識論的=存在論的な問題次元を対自化し、「物的世界像から事的世界観」への推転を基礎づけた廣松哲学の代表的著作。勁草書房1975年刊を底本とした文庫版。

他に、広河隆一編集「DAYS JAPAN」2009/11月号、高橋悠治の「プレイズバッハ」とジムノペディの「サティ-ピアノ作品集」のCD2枚。

―図書館からの借本―
・大井玄「痴呆の哲学」弘文堂
副題に「ぼけるのが怖い人のために」とある。世界には老人の痴呆を当たり前のこととして受け入れる文化と、忌避する文化がある。人の「人格」は変化し続ける、人格の形成過程も完成期も崩壊過程-痴呆-もすべて「私」なのだ、他との関係性の中にのみ「私」は存在しているのだ。瞑想とは、意識から言葉を消す方法であり、座禅では、呼吸を意識し、空気と身体のつながりを感じ、自他の分離を消去すると、自己も消える。
著者は、「私はいのちを持つ」や「私は生きている」は間違っているとする。いのちが人格を選択するのだ、「いのちが私をする」あるいは「いのちがあなたとして現れている」が適切だという。生命が環境に適応するために生まれたのが精神なのだ、と。


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見すぎ世すぎの大地で踊る

2009-12-01 19:39:52 | 文化・芸術
080209149

―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、12月24日の稿に
12月24日、雨、彷徨何里、今後もSの厄介、不幸な幸福か。

また清水村へ出かけてA家を訪問する、森の家を借るために、-なかなか埒があかない、ブルヂョアぶりも気にくはない、パンフレツトを出すのに不便でもある、-すつかり嫌になつて方々を探しまはる、九品寺に一室あつたけれど、とてもおちつけさうにない、それからまた方々を探しまはつて、もう諦めて歩いてゐると、春竹の植木畠の横丁で、貸二階の貼札を見つけた、間も悪くないし、貸主も悪くないので、さつそく移つてくることにきめた、といつて一文もない、緑平さんの厚情にあまえる外ない。

※表題句は、12月15日記載の句から

―四方のたより― Sou Mon-相聞Ⅲ、その2-

今日のVideoは、2006年のAlti Buyoh Festival参加作品「Sou Mon-相聞Ⅲ-」のScene.2
小嶺由貴と末永純子によるImprovisation Duo、Pianoの即興は杉谷昌彦。


Sou Mon-相聞?-Scene.2-by四方館-Alti Buyoh Festival 2006


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