約2年ぶりの宮城の旅。
今日のブログは、ちょっと長くなりそうです。
石巻の道の駅で車中泊をし、雨が落ちてきそうな空の中、
思い出の地、牡鹿半島を目指しました。
石巻市街地は、多少道路がデコボコしている以外は交通量も多く、
今までの街のように感じました。
たまたま曲がった道に突然現れた仮設住宅
震災の爪跡との遭遇は、突然訪れたのです。
その向かいで、白い布で目隠しされたスペースに
大量の被災した車
中の撮影は断られてしまいました。市の許可が居るそうです。
国道398号線、街中を出て、海岸線が近づくと一気に建物が減りました。
瓦礫もあります。
牡鹿半島を目指したのは、震災の半年前に家族で訪れていたからです。
キャンプや釣り、そこで生活している人達との会話が忘れられずにいたのですが、牡鹿半島の被災状況は報道される機会も少なく、自分で見に行きたかったのです。
半島に入り、山道を下ると海岸線が見えてきます。
なにもありません。
主要な道路を外れて、小さな集落がある方へ向かいました。
海は、とってもきれいです。
牡鹿町役場のある鮎川浜の手目に、子供たちと海水浴した海岸があります。
暑い日差しを遮る木陰を作ってくれた松も流されたり折れてしまっています。
石垣も崩れてしまったようです。
元々、何もなかった駐車場ですが、その周りにあったシャワー室も更衣室も、もちろん多くの住宅も全て流されてしまいました。鳥居の色が印象的すぎて淋しさが増していきます。
目的地の鮎川浜は、岸壁が崩れ海に沈みこんでいました。
長い防波堤も、流されていました。
真ん中にある小さな島の様なモノと手前の堤防は繋がっていたのです。
ホエールランドにある船の舳先位まで津波の高さがあったそうです。
いっぱいあった お土産屋さんや食堂は一軒もありません。
ホテルだったのでしょうか?
5階のすぐ下の壁までデコボコしているので、そこまで津波が来たのでしょうか?信じられない高さです。
旅館の壁も当時のまま
高台への看板だけは、なぜかきれいでした。
反対側の堤防も先端が崩れていました。
この後、この堤防で一時間だけ釣りをしました。
不謹慎かもしれませんが、ここで釣りをする為に来たのです。
赤い屋根が町役場
この役場の一階も津波で埋まったそうです。
手前のアパートにも爪跡がしっかりと残っています。
町役場の横で昨年11月に、お土産屋さんや食堂が集まって
「牡鹿のれん街」として再開していました。
ぜひ訪れてほしいです。
次の目的地を目指し、半島の中央を走る道路「牡鹿半島公園線」を通ろうと思いましたが、未だに通行止めでした。
何とか高台へ出ると、見渡せる新緑の半島。
ここだけ見ていると以前と変わらない様に感じます。
地元の人たちの生活道路を走っていきますが、
山側が崩れていたり、舗装も崩れたままです。
数か所は、完全に崩れたままで、未だ修復の予定もなさそうでした。
しばらく走ると見えてきた泊浜集落。
集落の海側の21軒が、津波で流されたそうです。
2年前は、この道を下って漁港まで出たのですが、
車幅がギリギリだったので、今回は少し大回りをして漁港へ
泊浜地区の共同作業場です。
海側から見ると
中は片付けられていましたが、建物は当時のままに感じました。