俺の人生って、まあゆうたらどん底ですよ。もうほんまもんの、どこぞんと言いますか。こんどぞと言いますか。どぞこんですよね、正味、言葉にしたらね。血が深いと言いますか、血が濃いなっていうのはわかりますね。関係性の在り方と言いますか。何を植えつづけてきたかっていうと灰の樹のようなもの。その苗は苗ですからちいさく、なえなえしたものなんです。石で頭打って、死んでもいいよ、とか言ってたりするわけですよね。苗がね、ひとつびとつのその苗が、締まらない顔をして、なんかこう、清水を浴びながら訴えかけてくるものがあるんです。海を蹴って、地雷を踏んで、電線を首に巻きつけて、雨の日こおろぎ拾おてきて、その美しい海や、その美しい空が、どこまでいっても美しく広がり続けていることって、それってそこになんもないことと同じだよ。でも人は、美しいものが在り続けてほしいと願う。悲しいから生きるけど、生きるから哀しいっていう、遣る瀬の為さ瀬で船を一人で唯待ち続ける俺という記憶と伝達と有機運動と未開の収縮活動でできている子の図に会る、大きくて小さい、堅くてやわらかい、冷たくてあたたかい、なにもないがなにかある、触れそうで触れない、愛おしいのに憎たらしい、憶えてないのに憶えてる、溺れてるのに泳いでる、愛しているのに死んで欲しい、中側にいたのに外側だった、美しくても反吐が出る、波打ち際が深海だった、森林の奥は霊園だった、またあの子に会える、あの子に、どの子かよく知らない、俺を宥めて、寝かし付けてくれる。湯田温泉に連れてってくれて、あたたかいお湯の中に、俺を沈めてくれる。俺はここでこうして待っていればよい。涙を浮かべながら、未来の夫に欲情していればよい。もうすぐ陽が沈む。もうすぐ、湯気が立つ。中間の、原風景のなかに。