わたしたちは、前世では人間の恋人同士でした。
しかし結婚を反対した互いの親のはかりごとによって、わたしたちは離されてしまったのです。
彼女はその悲痛から、立ち直ることかできずに入水し、その人生を断ちました。
遺書には、こう記してありました。
わたしたちは次に生まれ変われるのならば、ぜひ鯨の双子として生まれましょう。
そうすれば、もうわたしとあなたは離れることはないはずです。
わたしたちは一人の母鯨の子宮から産まれるのですから。
もう二度と、あなたはわたしと離れてはなりますまい。
なににも拘束を受けない海のなかで、わたしとあなたは自由に泳ぐことができるはずです。
わたしはそのために、先に逝って、愛するあなたを待っています。
母鯨の子宮のなかで。
わたしは哀しい歓びのなかに、彼女のあとを追うため、だだっ広い海のなかへ入ってゆきました。
わたしは気づくと、小さな薄暗い部屋のなかにおり、目の前には彼女がすやすやと眠っておりました。
しかしその姿は、人間の姿をしておらず、胸びれで尾びれを抱えてまるく眠る鯨でした。
じぶんの姿を確かめてみますとはたしてわたしも鯨のようでした。
此処は、まぎれもなく一頭の母鯨の子宮のなかのようです。
彼女は目を覚まし、歓びの鳴き声をあげながらわたしの胸びれに触れました。
わたしと彼女の臍の緒は、互いの臍からでて交叉してこのわたしたちをやさしく包む膜に繋がっておりました。
何日間も、わたしたちの幸せな日々は続きました。
母鯨の鳴き声は愛おしく、わたしたちは母鯨と一緒に青い海のなかを泳ぎ回る夢を見ました。
一頭の大きな鯨はその日、人間の放った幾本の槍に突かれて捕鯨船へと打ちあげられた。
人間たちはその鯨の腹に巨大な刀を下ろすと、驚いたことにそこから尾びれを切断された二頭の子鯨たちが船の甲板の上に跳ねるようにして出てきた。
人間たちはその子鯨たちを見て哀れに思ったが、自分たちの子を養うためだと子鯨たちもまた母鯨と共に解体された。
時は経ち、一人の女は海を眺めて郷愁の物憂げな顔を浮かべている。
そして小舟に乗って捕鯨船のまえへたどり着いた。
別の小舟からも、一人の男が同じ捕鯨船へとたどり着いた。
わたしは何故此処にいるのか、わかっていないようでした。
またわたしの隣にいる女も、同じような想いでいるように見えました。
わかっているのは、わたしたちはこれから此処で婚儀を挙げるのだということです。
婚礼衣装を着させられたわたしたちは婚儀のあと、狭くて薄暗い部屋に二人きりにされました。
何故此処にいるのかわかりませんでしたが、この海も、この船も、隣にちょこんと静かに座っている彼女も妙に懐かしい気がするのは何故でしょう。
わたしは彼女とぴったりくっついていたい想いに駆られ、彼女の側へとそっと寄りました。
その時、船が大きく揺れ、わたしたちのいる部屋のなかに赤い水と白い油のようなものが流れ込んできました。
わたしたちはその瞬間に、なにもかもを想いだしてしまったのです。
この船は、わたしたちの母鯨であって、わたしたちは母の子宮のなかにいることに気づきました。
そしてこのままここにいては、わたしたちはまたもや人間たちの手にかかり解体されてゆくのではないかという不安と恐怖に襲われました。
わたしたちはそれがどうしても無念でなりませんでした。
一層のこと、人間たちの手にかかるくらいなら、わたしたちは互いに愛し合うこのみずからの手によって解体し、その肉を互いに食べて味わおうと想いました。
ひとつひとつ、わたしたちは無念の想いを籠めて鯨刀で互いの肉を切り捌き、母の血と羊水の海のなかで切断し解体してゆきました。
そしてわたしたちは互いの肉を味わい、ようやっと、すべての悲しく痛ましい無念から解き放たれたのです。
わたしたちは愛する母なる存在に別れを告げ、深いうみ底へと潜りこんでゆきました。
*いさな(勇魚)とは、鯨の古名。
マテリアル映画「拘束のドローイング9」もののあわれと悲痛の愛
しかし結婚を反対した互いの親のはかりごとによって、わたしたちは離されてしまったのです。
彼女はその悲痛から、立ち直ることかできずに入水し、その人生を断ちました。
遺書には、こう記してありました。
わたしたちは次に生まれ変われるのならば、ぜひ鯨の双子として生まれましょう。
そうすれば、もうわたしとあなたは離れることはないはずです。
わたしたちは一人の母鯨の子宮から産まれるのですから。
もう二度と、あなたはわたしと離れてはなりますまい。
なににも拘束を受けない海のなかで、わたしとあなたは自由に泳ぐことができるはずです。
わたしはそのために、先に逝って、愛するあなたを待っています。
母鯨の子宮のなかで。
わたしは哀しい歓びのなかに、彼女のあとを追うため、だだっ広い海のなかへ入ってゆきました。
わたしは気づくと、小さな薄暗い部屋のなかにおり、目の前には彼女がすやすやと眠っておりました。
しかしその姿は、人間の姿をしておらず、胸びれで尾びれを抱えてまるく眠る鯨でした。
じぶんの姿を確かめてみますとはたしてわたしも鯨のようでした。
此処は、まぎれもなく一頭の母鯨の子宮のなかのようです。
彼女は目を覚まし、歓びの鳴き声をあげながらわたしの胸びれに触れました。
わたしと彼女の臍の緒は、互いの臍からでて交叉してこのわたしたちをやさしく包む膜に繋がっておりました。
何日間も、わたしたちの幸せな日々は続きました。
母鯨の鳴き声は愛おしく、わたしたちは母鯨と一緒に青い海のなかを泳ぎ回る夢を見ました。
一頭の大きな鯨はその日、人間の放った幾本の槍に突かれて捕鯨船へと打ちあげられた。
人間たちはその鯨の腹に巨大な刀を下ろすと、驚いたことにそこから尾びれを切断された二頭の子鯨たちが船の甲板の上に跳ねるようにして出てきた。
人間たちはその子鯨たちを見て哀れに思ったが、自分たちの子を養うためだと子鯨たちもまた母鯨と共に解体された。
時は経ち、一人の女は海を眺めて郷愁の物憂げな顔を浮かべている。
そして小舟に乗って捕鯨船のまえへたどり着いた。
別の小舟からも、一人の男が同じ捕鯨船へとたどり着いた。
わたしは何故此処にいるのか、わかっていないようでした。
またわたしの隣にいる女も、同じような想いでいるように見えました。
わかっているのは、わたしたちはこれから此処で婚儀を挙げるのだということです。
婚礼衣装を着させられたわたしたちは婚儀のあと、狭くて薄暗い部屋に二人きりにされました。
何故此処にいるのかわかりませんでしたが、この海も、この船も、隣にちょこんと静かに座っている彼女も妙に懐かしい気がするのは何故でしょう。
わたしは彼女とぴったりくっついていたい想いに駆られ、彼女の側へとそっと寄りました。
その時、船が大きく揺れ、わたしたちのいる部屋のなかに赤い水と白い油のようなものが流れ込んできました。
わたしたちはその瞬間に、なにもかもを想いだしてしまったのです。
この船は、わたしたちの母鯨であって、わたしたちは母の子宮のなかにいることに気づきました。
そしてこのままここにいては、わたしたちはまたもや人間たちの手にかかり解体されてゆくのではないかという不安と恐怖に襲われました。
わたしたちはそれがどうしても無念でなりませんでした。
一層のこと、人間たちの手にかかるくらいなら、わたしたちは互いに愛し合うこのみずからの手によって解体し、その肉を互いに食べて味わおうと想いました。
ひとつひとつ、わたしたちは無念の想いを籠めて鯨刀で互いの肉を切り捌き、母の血と羊水の海のなかで切断し解体してゆきました。
そしてわたしたちは互いの肉を味わい、ようやっと、すべての悲しく痛ましい無念から解き放たれたのです。
わたしたちは愛する母なる存在に別れを告げ、深いうみ底へと潜りこんでゆきました。
*いさな(勇魚)とは、鯨の古名。
マテリアル映画「拘束のドローイング9」もののあわれと悲痛の愛