あまねのにっきずぶろぐ

1981年生
愛と悪 第九十九章からWes(Westley Allan Dodd)の物語へ

ギンヤンマ

2017-09-17 20:02:58 | 日記
今日、下のポストを見にマンションの階段を下りようとしたら、
安全の為に網戸は閉まって開けることの出来ないようになっている窓のところで
ものすごいバタバタッと羽根を羽ばたかせて往生(困っているの意)している大きなトンボを見つけた。
わあーまたまたトンボなんて、見るのは何年ぶりやろとわたしは感激し、
外へ逃がしてあげようと掴もうとしたのだが、トンボの掴み方というのは
だいたい、羽根を揃えてつまむものやろうというのはわかっていたのですが、トンボちゃんが
それはそれはもんのすっごく元気で羽根を高速にバタつかせているもんで、
掴むのが難しく、これはどうやって逃がしたろかいな、とわたしも困って
何遍も羽根が壊れぬようにと、そおっと両手で囲んで掴もうとするのだが
なかなか掴んで、指にしっかと掴まってもまた飛んでゆく、の繰り返しで
わたしは困惑しちゃいました。
しかしそのわたしの困惑が相手に伝わったのでしょうか、彼(彼女)は
わたしの指に両手両脚で掴まったまま、離れぬようになったので、
よっしゃあっと心内で歓喜し、わたしはそのまま自分の部屋のドアの前の
共用廊下の手摺りのところから放してやると、こんどは音もさせずに飛び立ってゆきました。
あの瞬間というのはほんま、こちらも爽快で切ない感動をいつも与えられます。

さきほど、あの大きなトンボはなんてゆうトンボだったのかな?と想って
調べてみると、オニヤンマのようにトラ柄ではなかったと想うし、眼が綺麗な黄緑色だったのを
憶えていたので、たぶんあれはギンヤンマではないかと想います。
大きさは7cmから8cm、それ以上あったかもしれません。
とても可愛らしくて、あの子はこれからどうやって生きてゆくのだろうと想いを馳せます。
この台風の暴風のなか、どこで避難をしているのでしょうか。
夜はあの大きな眼を瞑って眠るのでしょうか。

ギンヤンマといえば、わたしはキセルの「ギンヤンマ」という好きな曲を想いだしました。
キセルの音楽は亡き父と一緒に車のなかでよく一緒に聴いた想いで深い音楽です。
いま聴くと、哀しくもなりますが、キセルの独特な懐かしい優しさは久しぶりに聴いてみても
落ち着く穏やかさがありました。

2010年にわたしがアップした動画があるので、良かったら観てみてください。




ギンヤンマ.wmv





映っている写真は当時2008年頃に住んでいた群馬県の館林市というところとその付近と、
それからわたしの大切な映画である「リリィシュシュのすべて」という映画の舞台になった
その近くの栃木県の足利市の渡良瀬川の鉄塔が観える河川敷の風景です。
当時、世話になった男性の方がいまして、彼にわたしは大変助けられました。
その彼と一緒に彼が借りてくれたレオパレスで一緒にリリィシュシュのすべてを観た後、
その舞台の場所、中橋やCD店やラーメン屋さんや学校や田園などへもいくつもの場所を彼が連れてってくれたのです。
友人が一人も居ないという孤独で世話焼きな彼の存在は今想えば、母性が強かったなぁと最近も想いだしました。

今頃どうしているのでしょう。
このままでは甘えすぎてしまうからと言って、わたしから連絡を取らないようにと言ったのです。

でも結婚するなら、彼のような驚くほどに忍耐の強く、母性の強い世話焼きタイプでないとわたしは駄目なのかもしれません。

キセルのギンヤンマの歌詞では

とんでもないけど
でもやっぱりゆくよほかにないもんで


と歌われています。

どこへゆくのかとゆうと、そこはやはり、とんでもない場所なんですね。
とんでもない場所というのは、とんでもなく、暗い場所、苦しい試練の場所のようなところではないかとわたしはこの曲を聴いて想うのです。

自分のゆく場所も、たぶんそうゆう場所なんだろなとわたしは感じています。












Irma

2017-09-17 14:51:16 | 





イルマは、これから産まれようとしている。
彼女が、何をもって産まれようとしているのか、我々はまだ知らない。
イルマは、これからどんどん成長してゆく。
彼女は、まるで産まれられなかったすべての胎児の集合生命のように
この地上に何かをもたらす為に上陸しようとしている。
イルマは、望んでいる。
この地上を揺るがし、すべてを破壊し尽くさんとする威力で
彼女は、夢を見ている。
イルマよ、貴女の祈りはすべて叶えられる。
我々は、貴女を殺し過ぎた。
貴女の報復は、我々にとっても、酷く正しい。
我々は、貴女の分身を破壊し続け過ぎた。
イルマよ、貴女の報いは我々に、同じ方法をもって。
我々は、胎児を殺し過ぎた。
我々は、貴女を苦しめ過ぎた。
彼女の報復は、我々にとって、まさしく条理である。

















Christian Löffler - Undefined Season






















あのあほたれ

2017-09-17 08:22:46 | 
あのあほたれ、川に入るなてなんべんもゆうたのに、入りよったんですわ。
あのあほたれ、なんべんもなんべんも、ゆうたのに、川には入るなゆうて。
あのあほたれ、入りよったんですわ、川に、この台風の朝に。
あのあほたれ、なにを想ってか、こんな台風の朝に川にひとりで、入りよったんですわ。
あのあほたれ、なにを考えとったんやろ、なんでよりにもよって川が荒れとるこないな朝に入りよったんかさっぱりわからんのですわ。
あのあほたれ、ほんま、なんでなんべんも、口が酸っぱァなるまであれほど川には入るなてゆうたのになんで、なんで、入りよったんやろ。
あのあほたれ、なんで聴かへんかったんやろ。
あのあほたれ、ほんま、あほ、あほがほんま、あほなことしてまいよってに、なんで、川に、川なんかに入らなあかんかってんやろ。
あのあほたれ、川にさえ入らなんだら、死なんですんだのに、いまも生きとったのに。
あのあほたれ、ほんま、なんでゆうこと聴かへんかってんや、あれだけ、あれだけゆうてて、こんな最期、こないな結果になるやなんて、あほですわ、ほんま。
あのあほたれ、なにを、なにを想って川に入りよったんやろ、なんか、なんや想うことでもあったんやろか。
あのあほたれ、われからむざむざと死にに逝きよったんや、なにが哀しいて、そないなことをせなならんかったんや。
あのあほたれ、なんやおかしいことを、そういやつい二三日前からゆうとったんですわ、なんや「だれか呼んどるんや」とか、「だれかが助けを求めとる」とか、そないなわけわからんことをゆうとった。
あのあほたれ、だれがそないなとこから呼んどるんや、だれを助けに行ったんや。
あのあほたれ、あのあほたれ・・・・・・ほんま。

おじさん、さっきからずっとゆうとるけど、いったいあのあほたれて、だれのことなんですか。

だれて、おまえ、わしの、わしの、たった一人のせがれのことや。
あのあほたれ・・・・・・死んでまいよったんですわ。