またか。また、余のブログにのっけから、人様に対する敬意の糞も皆無な人間から自棄にネチネチな厭味たらしいコメントが届いたのである。
しかし、今回は、これまでと少し違う。どこが違うかと言うと、今回少し、長文のコメントである。
これまでは人を小馬鹿にしたような短文厭味コメントばかりであった。
この長文ハラスメントコメントの中に、余は余に対する、この人物の執拗な強い執着を見た。
余はとにかく、絶対に負けるわけには行かないので、これからも余に対するハラスメントに、真っ向から闘いを挑んでゆく所存である。
まず、この人物はそのハンドルネームからして、どこかアホっぽい人物である。
・コメントを書いた人
不動明王っ子
不動明王とは、梵名アチャラナータ(अचलनाथ [acalanātha])、仏教の信仰対象であり、密教特有の尊格である明王の一尊である。
この人物は、不動明王マニアであるのか、はたまた自分は不動明王の一人子であるという誇大妄想に取り憑かれた人間であるのだろうか。
どちらにしろ、どこか阿呆な自分を自分で馬鹿にしているかのような自虐的なハンドルネームである。
余は今日も、朝起きたときから落ち込んでいる。またも、6人もの尊き命が、国家によって惨殺されてしまったからである。
人間のすべてを愛する余は、ただただ悲しく、虚しい。
彼らの悲しみがどんなものであるのか、余は知りたかった。
それが知れないままに彼らが此の世を去ってしまったことに、深く虚しさを感じないではいられない。
そしてようやく酒を飲む為に夕方過ぎに起きてパソコンをONにしたら、このコメントだ。
さらに余は悲しくなり、ハートブレイクは、無礼キング♡に、なったのである。
なんと無礼なコメントであろう。
またも、「はじめまして」の挨拶すら言えない戯けた始まりで、敬意が微塵もない。
・コメント
たまに拝見させて貰ってますが
引きこもりの原因が
あまねさん自身の身勝手から生まれたんですね。
文章が幻想と理想像とビジュアルバンドが書いたような詩で美化し過ぎのような
気がしました。
仮にも本当だったとしたら
強烈な体験をされたと
思いますが
10年も引きずるのは
言い方が悪いようですが人生が
勿体ないような気がします。
ふざけてるなあ。ほんま。たまにしか覗きに来ないくせに、何を偉そうにネチネチと厭味を連ねているのか。
一人の人間の、死にかけるほどの苦しみを、この人物は「身勝手」としか解釈できないようだ。
例えば一人の人間が人を殺してしまったとき、あらゆる要因がそこには存在している。
たった一人の身勝手で、殺人が起こることはない。
そんなことは少し考えたらわかることである。
しかしほとんどの人間は、それすらも考えようとしない。
そこが人間が生きてゆく上で、一番に大事なことであるのに。
人の苦しみを想像すること。他者の悲しみを想像すること。
それが人間にとって、一番の大切なことである。
他者の苦しみ悲しみを共有、共鳴することこそ、人間の最も深い喜びである。
でもほとんどの人間はそれをしない。それができない。
他者の身勝手さを嫌悪し、責め、自分はそのような身勝手さはないと想って生きている。
自分はちゃんと生きてるのに、あいつは生きていない。ムカつく。
そして人が一生懸命に人と生きてゆく苦痛を共鳴したいと想って書いているブログに浅薄で厭味な感想をネチネチと連ねて送信する。
相手が傷つこうが、なんとも想わない。
何故なら「身勝手」な人間だから。
自らの身勝手さで破滅したような人間を傷つけても、どうだって良い。
敬意?そんなもの必要ないでしょう。身勝手な人間に。
「はじめまして」の挨拶?なんでそんなことを身勝手な人間に対して俺がしなくてはならないのか?
俺は不動明王っ子だぞ。ふざけとったらあかんどこらぁ。どらぁ。
まるで極道である。この自分は、自分がどれほど身勝手な解釈をして身勝手な言い分を言い連ねて来ているかも気付いていない。
言いたいことゆうて、ははは、すっきりしたわ。じゃあな。つって去ってゆく人間じゃねえのぉ?こいつもどうで。
こいつもどうで、人間を傷つけてもなんとも想わない人間なんじゃねえのぉ?
俺はブログで、本名も顔写真も大量に晒しているが、こいつは何一つ個人情報を晒していない。
安全圏から、何をゆうてけつかってこましてやがるんですかぁ?
しかもこの不動明王っ子なる人物、自分の年齢さえも書いておらない。
今時ビジュアルバンドを馬鹿にしたり、時代がおかしくないか?
何故ならこの世界は、美化しすぎているようなもので溢れ返っているではないか。
それに俺は詩を書いたわけじゃないからね。あ、俺っつっちゃったけどぉ。
余はその記事で、詩を書いてないからね。
しかも余は、本当のことを書くと言ったのに、「仮にも本当だったとしたら…」ってどうゆーことですかあ?
この人間はどこまで人を信用できないのか。
本当の体験やゆうてるやんけ。どこに耳憑いてますのぉ?
耳に憑いた目で、読んでましたん?
それならまあ、しょうがないですわなあ。
「10年も引きずるのは
言い方が悪いようですが人生が
勿体ないような気がします。」
って勿体無くないだろう?
あなたは、最も愛する恋人から腹や背中を何度と想い切り蹴られてボッコボコにされる経験をしても、十年は引き摺らないんですかね?
ははは、あなたはそうなら、それでいいじゃないですかあ。
なんでそれを余にも、当てはめてくるのですかあ?
あなたの人生じゃない。
余の人生は、余の人生だ。
なんであなたに人生勿体無いとか言われなくちゃならないんですかあ?
言い方が悪いんじゃない、言い方があなたは厭味すぎやしませんかあ?
言い方が、気色悪い。気持ち悪い。なんで人の人生、ちょっとブログ読んだだけで、人生勿体無いと、どの口がゆうてるんですかねえ?
わたしは絶対に、死ぬ迄引き摺りますよ。
本当に人間を愛しているからです。
愛しているのに、殺され掛けたんですからね。
あなたの感覚は、わたしは恐ろしいと感じます。
人が死に物狂いで苦しみ続けて生きてきたことに対して、「勿体無い」とか軽々しく平気で言えるんですからね。
あなたは相当捻くれてますよね。
虚無と良く似ています。
自分はこれこれこれだけの辛い経験を通して生きてきたが、自分はそれでも10年引き籠ることはなく頑張っている。
だのに貴女は何故頑張れないのですか?
貴女にも頑張れるはずじゃないですか。
そうあなたは言いたいわけです。
虚無の場合は、あからさまに働いていない人間に対する差別を向けてきましたが、あなたは「引き籠ることは人生の無駄である」と遠まわしにわたしに言ってるようなもんですよ。
なんでそんなことがあなたにわかるんですかね?
それは人の人生の価値を、浅はかな考えで決め付けてしまっているからです。
人はつらくとも、外に出て生きるべきだ。
多くの人はそれを遣ってるんだ。
あなたも遣るべきだ。
あなたはただの頭でっかちなんだと。
つまり他者を否定して、自分を肯定したいわけです。
そこが虚無と全く同じです。
自分を肯定して、わたしを否定する為にあなたはコメントを書き連ねて来たんです。
あなたの遣っていることが、本当に正しいと想っていますか?
わたしの苦しみが、あなたにも全く届いていないんだと想います。
ほんの幾つかの記事を読んだだけで、これほど偉そうに人にアドバイスしたり、人を馬鹿にするようなコメントを書いてくる人の言うことを、なんでわたしが聴かねばならないのでしょうか?
何故、人が一生懸命に生きていることを、「とにかく頑張れ。あなたの願う人生をがんばれ」と応援できないのでしょうか?
わたしは外に出たところで、何かが変わるわけではありません。
引き籠りを抜けたところで、何かが良くなるわけではありません。
何の根拠もないのに、そのほうが良いとあなたは決め付けています。
他者の人生を、自分の想う人生にしようと躍起になっています。
何故そうなってしまうのか、わかりますか?
これも「投影」です。
すべて「投影」です。
あなたの歩みたくない人生を、わたしが歩み続けているから、あなたにはわたしの人生が許せないのです。
わたしは自分の人生を愛しています。
だからこの今を、元恋人が与えてくれたことに心から感謝していることを記事にも書きました。
あなたにはそれが理解できなかった。
そんなはずはない。とあなたは想っているからです。
わたしが引き籠り10年歴、部屋も片付けられない、掃除もできないほどの鬱状態であるこの今を、在り難い想いで生きていることが、あなたは納得できないからです。
しかしわたしは本当に感謝しています。
この人生の御陰で、自分は完全菜食を続けることができている。
すべてに感謝しよう(感謝したい)という想いで日々苦しくとも喜びを感じて生きていられている。
ただ外に出て真っ当に働いていたなら、引き籠りを抜けたなら、それができていたとは想えません。
わたしは自分の、このわたしだけの人生を、否定したくないのです。
すべてを肯定したいのです。
それはこの世界の、すべてを肯定してゆくことに繋がってゆくからです。
あなたの言っているすべてが、本当に大きなお世話です。
ビジュアルバンドの人たちだって、一生懸命に自分の好きな詩を書いているのです。
あなたに馬鹿にする資格はありません。
人が一生懸命に頑張ってることを馬鹿にするあなたは哀れであると想います。
あなたはあなただけしか歩めない道を生きてゆけばいいじゃないですか。
わたしはあなたの娘でもないのに、なんでそんなことを言われなくてはならないのかわかりません。
何故、人と、あなたと同じようにわたしが生きてゆかなくてはならないのですか?
あなたが自分の人生に本当に満足していたなら、こんなことをいちいちわたしに言う必要はあったのでしょうか?
自分の人生に満足していないから、人の人生が気になるのではないのですか?
あなたはわたしの人生についてとやかく言うより先に、自分のすべてを肯定することに頑張ってみられてはどうでしょうか。
あなたは気が向かないのに、散歩に出たり外に出たりしているからわたしにもそれが良いと想うのでしょうか?
言っておきますが、人のそんな言葉で引き籠りが外に出られるなら、苦労もありません。
あなたのすべての言葉が、厭味でしかありません。
もっと人を、一人の人間をどこまでも深く知ろうとしてください。
すればそんな軽々しい言葉は到底相手に言えるものではありません。
わたしを悲しませる為だけに言ったのであるなら、わたしは確かに深く悲しんでいますし、あなたもこの悲しみが届くようにと願っております。
さようなら。
がんばって生きていってください。
しかし、今回は、これまでと少し違う。どこが違うかと言うと、今回少し、長文のコメントである。
これまでは人を小馬鹿にしたような短文厭味コメントばかりであった。
この長文ハラスメントコメントの中に、余は余に対する、この人物の執拗な強い執着を見た。
余はとにかく、絶対に負けるわけには行かないので、これからも余に対するハラスメントに、真っ向から闘いを挑んでゆく所存である。
まず、この人物はそのハンドルネームからして、どこかアホっぽい人物である。
・コメントを書いた人
不動明王っ子
不動明王とは、梵名アチャラナータ(अचलनाथ [acalanātha])、仏教の信仰対象であり、密教特有の尊格である明王の一尊である。
この人物は、不動明王マニアであるのか、はたまた自分は不動明王の一人子であるという誇大妄想に取り憑かれた人間であるのだろうか。
どちらにしろ、どこか阿呆な自分を自分で馬鹿にしているかのような自虐的なハンドルネームである。
余は今日も、朝起きたときから落ち込んでいる。またも、6人もの尊き命が、国家によって惨殺されてしまったからである。
人間のすべてを愛する余は、ただただ悲しく、虚しい。
彼らの悲しみがどんなものであるのか、余は知りたかった。
それが知れないままに彼らが此の世を去ってしまったことに、深く虚しさを感じないではいられない。
そしてようやく酒を飲む為に夕方過ぎに起きてパソコンをONにしたら、このコメントだ。
さらに余は悲しくなり、ハートブレイクは、無礼キング♡に、なったのである。
なんと無礼なコメントであろう。
またも、「はじめまして」の挨拶すら言えない戯けた始まりで、敬意が微塵もない。
・コメント
たまに拝見させて貰ってますが
引きこもりの原因が
あまねさん自身の身勝手から生まれたんですね。
文章が幻想と理想像とビジュアルバンドが書いたような詩で美化し過ぎのような
気がしました。
仮にも本当だったとしたら
強烈な体験をされたと
思いますが
10年も引きずるのは
言い方が悪いようですが人生が
勿体ないような気がします。
ふざけてるなあ。ほんま。たまにしか覗きに来ないくせに、何を偉そうにネチネチと厭味を連ねているのか。
一人の人間の、死にかけるほどの苦しみを、この人物は「身勝手」としか解釈できないようだ。
例えば一人の人間が人を殺してしまったとき、あらゆる要因がそこには存在している。
たった一人の身勝手で、殺人が起こることはない。
そんなことは少し考えたらわかることである。
しかしほとんどの人間は、それすらも考えようとしない。
そこが人間が生きてゆく上で、一番に大事なことであるのに。
人の苦しみを想像すること。他者の悲しみを想像すること。
それが人間にとって、一番の大切なことである。
他者の苦しみ悲しみを共有、共鳴することこそ、人間の最も深い喜びである。
でもほとんどの人間はそれをしない。それができない。
他者の身勝手さを嫌悪し、責め、自分はそのような身勝手さはないと想って生きている。
自分はちゃんと生きてるのに、あいつは生きていない。ムカつく。
そして人が一生懸命に人と生きてゆく苦痛を共鳴したいと想って書いているブログに浅薄で厭味な感想をネチネチと連ねて送信する。
相手が傷つこうが、なんとも想わない。
何故なら「身勝手」な人間だから。
自らの身勝手さで破滅したような人間を傷つけても、どうだって良い。
敬意?そんなもの必要ないでしょう。身勝手な人間に。
「はじめまして」の挨拶?なんでそんなことを身勝手な人間に対して俺がしなくてはならないのか?
俺は不動明王っ子だぞ。ふざけとったらあかんどこらぁ。どらぁ。
まるで極道である。この自分は、自分がどれほど身勝手な解釈をして身勝手な言い分を言い連ねて来ているかも気付いていない。
言いたいことゆうて、ははは、すっきりしたわ。じゃあな。つって去ってゆく人間じゃねえのぉ?こいつもどうで。
こいつもどうで、人間を傷つけてもなんとも想わない人間なんじゃねえのぉ?
俺はブログで、本名も顔写真も大量に晒しているが、こいつは何一つ個人情報を晒していない。
安全圏から、何をゆうてけつかってこましてやがるんですかぁ?
しかもこの不動明王っ子なる人物、自分の年齢さえも書いておらない。
今時ビジュアルバンドを馬鹿にしたり、時代がおかしくないか?
何故ならこの世界は、美化しすぎているようなもので溢れ返っているではないか。
それに俺は詩を書いたわけじゃないからね。あ、俺っつっちゃったけどぉ。
余はその記事で、詩を書いてないからね。
しかも余は、本当のことを書くと言ったのに、「仮にも本当だったとしたら…」ってどうゆーことですかあ?
この人間はどこまで人を信用できないのか。
本当の体験やゆうてるやんけ。どこに耳憑いてますのぉ?
耳に憑いた目で、読んでましたん?
それならまあ、しょうがないですわなあ。
「10年も引きずるのは
言い方が悪いようですが人生が
勿体ないような気がします。」
って勿体無くないだろう?
あなたは、最も愛する恋人から腹や背中を何度と想い切り蹴られてボッコボコにされる経験をしても、十年は引き摺らないんですかね?
ははは、あなたはそうなら、それでいいじゃないですかあ。
なんでそれを余にも、当てはめてくるのですかあ?
あなたの人生じゃない。
余の人生は、余の人生だ。
なんであなたに人生勿体無いとか言われなくちゃならないんですかあ?
言い方が悪いんじゃない、言い方があなたは厭味すぎやしませんかあ?
言い方が、気色悪い。気持ち悪い。なんで人の人生、ちょっとブログ読んだだけで、人生勿体無いと、どの口がゆうてるんですかねえ?
わたしは絶対に、死ぬ迄引き摺りますよ。
本当に人間を愛しているからです。
愛しているのに、殺され掛けたんですからね。
あなたの感覚は、わたしは恐ろしいと感じます。
人が死に物狂いで苦しみ続けて生きてきたことに対して、「勿体無い」とか軽々しく平気で言えるんですからね。
あなたは相当捻くれてますよね。
虚無と良く似ています。
自分はこれこれこれだけの辛い経験を通して生きてきたが、自分はそれでも10年引き籠ることはなく頑張っている。
だのに貴女は何故頑張れないのですか?
貴女にも頑張れるはずじゃないですか。
そうあなたは言いたいわけです。
虚無の場合は、あからさまに働いていない人間に対する差別を向けてきましたが、あなたは「引き籠ることは人生の無駄である」と遠まわしにわたしに言ってるようなもんですよ。
なんでそんなことがあなたにわかるんですかね?
それは人の人生の価値を、浅はかな考えで決め付けてしまっているからです。
人はつらくとも、外に出て生きるべきだ。
多くの人はそれを遣ってるんだ。
あなたも遣るべきだ。
あなたはただの頭でっかちなんだと。
つまり他者を否定して、自分を肯定したいわけです。
そこが虚無と全く同じです。
自分を肯定して、わたしを否定する為にあなたはコメントを書き連ねて来たんです。
あなたの遣っていることが、本当に正しいと想っていますか?
わたしの苦しみが、あなたにも全く届いていないんだと想います。
ほんの幾つかの記事を読んだだけで、これほど偉そうに人にアドバイスしたり、人を馬鹿にするようなコメントを書いてくる人の言うことを、なんでわたしが聴かねばならないのでしょうか?
何故、人が一生懸命に生きていることを、「とにかく頑張れ。あなたの願う人生をがんばれ」と応援できないのでしょうか?
わたしは外に出たところで、何かが変わるわけではありません。
引き籠りを抜けたところで、何かが良くなるわけではありません。
何の根拠もないのに、そのほうが良いとあなたは決め付けています。
他者の人生を、自分の想う人生にしようと躍起になっています。
何故そうなってしまうのか、わかりますか?
これも「投影」です。
すべて「投影」です。
あなたの歩みたくない人生を、わたしが歩み続けているから、あなたにはわたしの人生が許せないのです。
わたしは自分の人生を愛しています。
だからこの今を、元恋人が与えてくれたことに心から感謝していることを記事にも書きました。
あなたにはそれが理解できなかった。
そんなはずはない。とあなたは想っているからです。
わたしが引き籠り10年歴、部屋も片付けられない、掃除もできないほどの鬱状態であるこの今を、在り難い想いで生きていることが、あなたは納得できないからです。
しかしわたしは本当に感謝しています。
この人生の御陰で、自分は完全菜食を続けることができている。
すべてに感謝しよう(感謝したい)という想いで日々苦しくとも喜びを感じて生きていられている。
ただ外に出て真っ当に働いていたなら、引き籠りを抜けたなら、それができていたとは想えません。
わたしは自分の、このわたしだけの人生を、否定したくないのです。
すべてを肯定したいのです。
それはこの世界の、すべてを肯定してゆくことに繋がってゆくからです。
あなたの言っているすべてが、本当に大きなお世話です。
ビジュアルバンドの人たちだって、一生懸命に自分の好きな詩を書いているのです。
あなたに馬鹿にする資格はありません。
人が一生懸命に頑張ってることを馬鹿にするあなたは哀れであると想います。
あなたはあなただけしか歩めない道を生きてゆけばいいじゃないですか。
わたしはあなたの娘でもないのに、なんでそんなことを言われなくてはならないのかわかりません。
何故、人と、あなたと同じようにわたしが生きてゆかなくてはならないのですか?
あなたが自分の人生に本当に満足していたなら、こんなことをいちいちわたしに言う必要はあったのでしょうか?
自分の人生に満足していないから、人の人生が気になるのではないのですか?
あなたはわたしの人生についてとやかく言うより先に、自分のすべてを肯定することに頑張ってみられてはどうでしょうか。
あなたは気が向かないのに、散歩に出たり外に出たりしているからわたしにもそれが良いと想うのでしょうか?
言っておきますが、人のそんな言葉で引き籠りが外に出られるなら、苦労もありません。
あなたのすべての言葉が、厭味でしかありません。
もっと人を、一人の人間をどこまでも深く知ろうとしてください。
すればそんな軽々しい言葉は到底相手に言えるものではありません。
わたしを悲しませる為だけに言ったのであるなら、わたしは確かに深く悲しんでいますし、あなたもこの悲しみが届くようにと願っております。
さようなら。
がんばって生きていってください。
あなたは人間を苦しめるためだけにあのコメントを書いたのですか?
何のために嫌味を連ねたあとに、人にアドバイスを述べたのか。
誰が聴くのですか。嫌味を言ってくる人間のアドバイスを。
たまにblogを読みに来るだけで人間を知った気になっているからそんな浅ましいコメントが書けるんです。
恥を知ってください。
あなたは自分の不幸を述べて、自分の人生のほうが苦しいのだと言っているに過ぎません。
あなたはわたしに腹を立てたのです。
自分のほうがずっと苦しんでるのに何を甘えたことを言っているのだと。
ここが虚無の考えと全く同じです。
彼も自分と他者の苦しみを簡単に秤にかけ、それを量れるものだと見なしました。
だから腹を立ててくるのです。
この世界で働いている人間のほとんどは、心の底で働いていない人間を見下しています。
それも働いていない人間の苦しみと、働いている自分の苦しみを秤にかけ自分の苦しみのほうが深いと思い込んでいるからです。
これを愚かであると、あなたは感じませんか?
だから浅はかだと言ったのです。
あなたのコメントは、子供を駄目にする親の典型的な言い分のように感じます。
そのような親は、子供の良い部分を一切見ようとはしません。
とにかく悪い部分を見つけてそれを貶します。
何故、おまえはこれができないのかと言います。
こんな簡単なことを、何故、おまえは頑張れないのかと。
あの人を見てみろ。苦しいことがあっても頑張って働いているじゃないか。
何故、おまえは怠けているんだ。
下らない幻想の理想像の美化した詩ばかり書いて、一体そんなことが何になるんだ。
もっと現実を見詰めなさい。
現実はもっと厳しいんだよ。
おまえは何を遣っても駄目だ。
引きこもってないで外に出ろ。
殺人の夏を肌で感じろ。
殺人の夏の歩道を散歩してこい。
それが現実だ。
それが前進だ。
中学二年生のときの担任の先生がこういう感じのとにかく学校に来い。という先生で、本当に嫌でした。
わたしの苦しみを、ちっとも理解しようとせず、寄り添おうとしてくれないことが悲しかった。
突き放し、みんなが来てるのだからおまえも学校に来れると。
長い時間を掛けて、子供の苦しみをじっと見詰めようとすることなど、端から頭にないようでした。
わたしは余計に学校に行く気は失せました。
行きたくないのに、何故、行かなければならないのか、わからなかったからです。
わたしの救いは、あなたの想う生き方の中にはありません。
それをわかってもらいたいのです。
人間の苦しみは、一人一人が違うものです。
何故、人の苦しみを尊重してもらえないのでしょうか。
わたしを傷つけるコメントを書いたのはあなたの問題です。
あなたはわたしを傷つけて、清々した顔で生きて行くつもりですか?
それともわたしと共に地獄に堕ちたくてわたしを苦しめるコメントを書いたのでしょうか。
わたしはあなたのような母親に育てられなくて良かったと想います。
あなたも虚無と同じに、人に対する敬意が欠如し過ぎています。
初対面であるのに、あなたはわたしに嫌味から述べました。
あなたはわたしを傷つけたかったのです。
それはあなたの内に存在しているあなた自身ですから、自分自身を肯定して行く作業をしないなら、あなたもいつまで経っても人に嫌味を言う人間のまま年を取ってゆく。
わたしの苦しみはあなたにはわからないし、あなたの苦しみもわたしにはわからない。
だから人の苦しみに対して、敬意が必要なのです。
あなたにそれができなかったのは、自分のネガティブな面しか、わたしに映してくれなかったからだと想います。
わたしはポジティブだけの想いであの記事を書きました。
ですから本当に残念です。
投影と言う心理を、わかっていただきたい。
あなたはネガティブな自分をわたしに投影しているに過ぎません。
これがわかるなら、この世界に許せない人間は、ムカつく人間は、甘えた人間は、自分たった一人だけであることにようやく気付きます。
死ぬまで、この世界は自分だけとの闘いです。
わたしはあなたが苦しみの深い人生を送って生きてこられたことを心から祝福します。
諦めないで、最期まで生き抜いてください。
わたしからは以上です。
さようなら。
こんにちは。
どのように過ごされているでしょうか。
わたしは今朝起きたときからあなたのコメントに苦しめられています。
ほかの事をしていても、どうしてもあなたのコメントが気にかかり、苦しめられるのです。
嬉しいですか?わたしがここまで苦しめられていることが。
それがあなたの望みだったのでしょうか。
わたしはこれまでずっとほぼ善意によってブログ記事を書いてきましたが、
それでも悪意の塊のコメントをもらうことに心から悲しんでいます。
虚無とあなたはとても似ていると感じます。
でもあなたが虚無でないなら、自分のことをもう少し話すべきではないでしょうか?
ブログは見せしめではありません。
コミュニケーションの為に存在しています。
わたしはブログに自分のこれまでの苦しみも悲しみも喜びもできればすべてを表現したいと想っています。
でもわたしがわかってもらいたいのは、わたしの日記(ノンフィクション)にわたしの苦しみの本質があるのではなく、わたしの書く物語(フィクション)にしかわたしの苦しみと悲しみの本質は見えてこないということです。
あなたがどれほどわたしのブログをこれまで真剣に読んでくださったのかはわかりませんが、
何度あなたのコメントを読み返しても、あんまりにも冷たいコメントであると感じて悲しくてなりません。
この記事に載せていないあなたのコメントの続きをここに載せます。
「 私は旦那に三股の浮気され
子供も取られ向こうの親もグルで
私のせいで息子が
浮気したと言われ
更に結婚する前から私の家族は
貧しいと話していたのに
向こうの親族達から蔑んで。。
私もちょうど10年前の出来事です。
私にも離婚してから
引きこもりがありましたが
あまねさんほど長くはありません。
ブログを読ませて貰うと
自分に近付く人間は不幸になるとか
亡き父親に対する愛情とか
虚無とか訳のわからん奴とか
色々と溜まってる物を
置いといて
外に出て
まず距離を決めて目標を決めて
歩いて散歩して見てください。
頭でっかちに色々考えるのではなく
冷房の掛かった部屋を出て
水分に気を付けて
この殺人的な夏の暑さを
自分の肌で感じて見て下さい。
私からは以上です。
あまねさんも もうすぐ
40歳近いですねよね。
引きこもりから
抜け出せる事を
願ってます。」
これを善意と受け留める人はいるでしょうか?
厭味を連ねた後に自分の不幸を連ね、自分は引き籠もりから抜け出たことを延べ、
挙句の果てには、わたしの最も大きな苦しみである最愛の亡き父のことを、
「置いといて」とあなたは軽々しく言い放ちました。
あなたはこれまで数々の苦しみを「置いて」、引き籠もりから抜け出せた。
でもあなたの苦しみとわたしの苦しみは似て非なるものです。
あなたは愛する夫を喪われました。
でもこれは死別ではありません。
元に戻る縁さえあるなら、戻る可能性もあります。
でもわたしにはそれが一生でき得ません。
父は死に、わたしは生きているからです。
そしてもう一つ、あなたの苦しみとわたしの苦しみに決定的な違いがあると感じます。
わたしは酷い鬱症状を患っています。
自分の場合は鬱病の症状ではありません。
非定型うつ(新型うつ)の症状とよく似ています。
かつては何日も寝たきりの日々もありましたが、ここ10年近くそのような日々は滅多にありません。
朝起きるのはほとんどの日がしんどく憂鬱ですが、それでも体を起こしてパソコンに向き合う生活を送っています。
起きて過ごせるだけで、今日も一日なんとか起きていられたと安心して眠る毎日です。
お風呂に入る気力もない為、頭の痒みが限界に来るまでは入ることも出来ません。(大体一週間に一回ほどです)
家の中はカビだらけで物が段々と増えてきてゴミ屋敷寸前の状態です。
息をしているだけで毎日が苦しいです。
一日続く身体が硬直するような緊張から逃れる為に、毎晩お酒に頼ります。
あなたはわたしがもうすぐ40歳だと言いましたが、心臓がだんだんと弱くなってきていることを感じるので(不整脈もあります)、40歳まで生きられるのかと不安な毎日です。
あなたは心配でこのようなコメントを送ってきたのではないと感じます。
心配であれば、敬意が微塵もないコメントで最後に「 私からは以上です。」などという、
自分は言いたいことを言ってわたしがどれほど傷つこうが後は何も関わりたくないかのような言葉を言わないと想うからです。
あなたはこれ以上わたしと関わる気はないということです。
これからもわたしを馬鹿にしたような冷ややかな白い目でわたしの一生懸命に書いたブログを流し読みして嘲笑い続けるおつもりでしょうか?
わたしはあんまりにも悪質であると感じます。
あなたはあまりにも冷たく酷い人間です。
人間を人間とも想っていないように感じます。
わたしが引き籠もりから抜け出す為には父を喪った悲しみ以上の深さの喜びが必要です。
でもあなたはわたしをさらに悲しみの底へ突き落とす言葉しか述べていません。
あなたの言葉はすべて薄っぺらく、他者と真摯に向き合おうとしていません。
虚無にも同じことを言ってきましたが、それはあなた自身が、あなた自身と真摯と向き合っていないからです。
自分の嫌な面から、逃げ続けて生きているからです。
だから他者に平気で軽々しく厭味を放ちます。
他者を妬み、他者に嫉妬し、他者を蹴落とそうと傷つける言葉を投げ付けます。
それであなたはどうなるのでしょうか?
あなたはすっきりして幸福になれますか。
わたしをここまで傷つけて、あなたは笑顔で生きてゆけますか。
それともわたしと同じに苦しみ抜いて人を信用できずに独りで生きて、独りで寂しく虚しく死んで逝くのでしょうか。
あなたがそれを望むならそれで良いですが、人を巻き込むのはやめたらどうでしょうか?
それはあなたが苦しめたいのはわたしではなく、あなた自身だからです。
自分の気に入らない部分、許せない部分、甘えた部分をすべて書き連ねてみてはどうでしょうか。
他者という鏡を通して、あなたはよくわかっているはずです。
あなたがわたしに感じる気に入らない部分、腹の立つ部分、すべてがあなた自身です。
例えばわたしは肉食者に対して、未だにイライラする時があります。
それはかつて肉食をしていた自分を想い、自分にイライラしているからです。
肉食をやめて欲しいのに、まだ気付いてくれない、そこにイライラとするのです。
あなたの心理もこれとよく似たものであると想います。
自分のなかにないなら、他者のなかに苛立つものや嫌悪するものを感じることはないのです。
でもほとんどの人はそうではないと否定し、わたしは良くてあなたは悪いと言い切ります。
わたしはがんばっているが、あなたはがんばっていない。
そう想うから人を見下し、厭味を言います。
鬱症状のある人も同じです。
俺は鬱でもこれだけがんばってるのに、あなたはがんばっていない。
甘えている。もっとがんばってください。
そう言ってくる人もいます。
でもその考え自体が自分に対する甘えでなくて何なのでしょうか?
自分を庇い、他者を貶す。そんな人がほとんどです。
自分を甘やかし続けているのに他者には厳しすぎるのです。
あなたがわたしに厭味を言ったのは、わたしが自分を甘やかし続けて生きている人間だと感じたからではないでしょうか。
だからあなたは挨拶もなしに最初にわたしの苦しみはわたしの「身勝手」さからだったのだと言いました。
それがそのまま、あなた自身の姿です。
あなたのこれまでの苦しみは、自分の身勝手さが原因だったのだということを、あなたはどうしても受け容れたくないのです。
いや違う、わたしが悪かったからではない、わたしは精一杯あの人に尽くしてきたではないか。
それなのに裏切られた。あの人がすべて悪かった。
そういう気持ちが、あなたの潜在意識のなかにあるのではないでしょうか。
だからあなたはわたしに自分を投影してこう言いたいのです。
あなたはあなたの身勝手さから苦しんでいるのですね。
でもわたしは違いますよ。わたしはあなたのように身勝手ではありませんでしたが、結果、裏切られました。
わたしは正しかったのです。でもあなたは、自業自得です。
あなたも、あなたしか観ていません。
あなたしか居ない世界で、自分の鏡に向かって独り言を言っているのと同じです。
わたしに向けた厭味の言葉を、今度自分の鏡に向かって言ってみてください。
きっと居心地の悪い想いをするはずです。
自分の愚かさもすべて受け容れようと努力してください。身勝手さのない人はこの世界にはいません。
誰が誰より、身勝手であるか、そんなものを量れる秤も此の世には存在しません。
誰もが同じだけ身勝手で愚かで、至らない存在であると感じます。
人に厭味を連ねたところで、何一つ解決しないのです。
わたしは愚かな自分とずっと向き合い続けたいので、死ぬ迄ブログを遣り続けて生きたいです。
あなたもどんな自分とも向き合うことを心掛けて生きて行ってください。
それが自分を救い、他者を救う手立てになります。
でも、、あまねさん、違うんよ。
おまえはほんま…厄介な人間やな。
他に女見つけろや。
俺みたいなんに執着しててもしゃあないやろ。
何が目的やねん。はっきり言えよ。
身体か?俺の肉体が欲しいのか?
遣るかっ。ばかっ。
ヤスくんに嫉妬するな。
もう海に流されたらどうですかね?
冗談ですけどね。
目的を言えや。
おまえとは絶対死んでも一夜を共にしないから。
しかし一晩Barで付き合ってやることくらいは遣ってやろうじゃないか。
逢いに来い。
話をつける。
俺はチェーンソー持ってボタニカルなワンピース着て駅で待ってるから。
すぐわかる。
明日来い。
そして台風に流されろ。
俺は全く悲しくない。
何故ならおまえが流されたところで俺は知ることが出来ないから。
人を騙して遊んでる奴は来世地獄逝きだ。
覚悟してろよ。
糞がっ。
今日も皿洗ってるとき、おまえの言い分に酷く腹が立ったよ。
ぼくがどれほど亡き最愛のお父さんを愛していて、どれほど苦しんで悲しんできたか、おまえにはやっぱり全く伝わってないんだなってことがわかったからね。
おまえはもうかなり、鬼畜の部類に入る人間だとぼくは想ってる。
そうじゃなきゃ、「置いといて」なんて、言えるはずがないからね。
人間の苦しみや悲しみをおまえはなんとも想えない人間なんじゃないかな。
ぼくをここまで苦しめといて、「優しさ」とか言ってるからねおまえは。
発狂してると想うよ、マジにね。
でもそんな発狂びとのおまえに、閉鎖病棟に入れる空きはないよね。
だから日頃の仕事の鬱憤を、誰彼構わずムカついた人間に匿名で厭味ぶちまけてるんじゃないの?
おまえが教えた自分の過去も本名も、本当は嘘なんじゃないの?
ぼくは最早、おまえのすべてを信じることが出来ないよ。
ここまで人を欺いて騙し続けてるおまえを、どうやったら信用できるのだろう?
教えて欲しい。
厭味を並べて立てて人の大きな苦しみも「身勝手」だと言ったおまえのどこを優しさだと想えばいいのかな?
廃人になったどうかな?
なったら、きっと、人の深い苦しみをそんな風にあしらうことはできないと想う。
廃人は相当苦しいからね。
おまえは所詮、愚痴を言っても働けてる人間だよね。
働けてる人間に、働けない人間の苦しみはわからないんじゃないかな。
だから働けない人間を見下し続けるんだ。
地獄に堕ちればどうかな?
ぼくみたいに、もうまったく、働く意欲すら失うほどの地獄に堕ち続けたらどうだろう?
ぼくはこれからもずっと、おまえが廃人になり、地獄に堕ち続けられることを祈り続けるよ。
そこにしか鬼畜で発狂したおまえの救いはないと感じるからね。
おまえに真の幸在れだよ。
今のおまえじゃ、どう足掻いても虚無のままだ。
多分おまえは、人を真剣に愛したことがないんだと想う。
だからこんな下らないことして人を傷つけて楽しんでる。
おまえは全くぼくに心を開いていない。
そんなおまえが「優しさ」だとか言ってアドバイスする資格なんてない。
おまえのアドバイスすべてが虚無だ。
おまえの言葉すべてが虚無だ。
おまえのすべてが虚構。
おまえは一体、どこにいるんだ?
自分で解るか?
ぼくが教えてあげるよ。
おまえなんてどこにも存在しない。
おまえは、死体以下じゃないか?
おまえとは偉い違いだね?
悔しかったら自分の顔写真くらい、ぼくのところに送ってきたらどうかな?
パソコンだと左側にメール送れるところがあるから、そこから送って来い。
そうやって人を信用させることが出来て、初めてアドバイスの一つ言えるってもんだろ。
いつまでもカスみたいなことばっかりしてんな。
いい大人が。
謝っても謝っても謝ってもおまえは何遍も同じことしてるけど、一体なんの為に謝ってんの?
自分が嫌にならへんの?そんなクソみたいなことずっと遣ってて。
おまえのこと考えると死にたくなるよ。
おまえは人を死にたくさせる言葉しか俺に言って来れないのか?
まあ時間が解決することだよな。
おまえみたいな人間は地獄に堕ちる。
人を苦しめて人の命も動物の命もなんとも想わず人を苦しめて笑ってるようなおまえみたいな人間はな。
俺は絶対におまえを赦さない。
俺がおまえのせいで死んで、みちたも死んだら、絶対に地獄の果てまで、おまえを追い詰め、呪い殺す。
俺は絶対におまえを底無し地獄に突き落とす。
そしたら漸くおまえは虚無ではなくなるんじゃないか。