あまねのにっきずぶろぐ

1981年生42歳引き篭り独身女物書き
愛と悪 第九十九章からWes(Westley Allan Dodd)の物語へ

愛と悪 第五十八章

2020-08-09 10:05:05 | 随筆(小説)
ぼくに切断され、ぼくの皮を、脱いで、羽化した上半身だけのアワノメイガ、エホバ。
彼はまさに、上半身だけで、死へと羽ばたいた。
ぼくは、永遠に羽化しない死んだ下半身の蛹。
乾涸びて、言うんだ。
この空砲によって、きみを射殺しよう。
きみを射抜いて、たくさんの穴を開けよう。
そしてそのすべての穴にも、たくさんの穴を開けよう。
そしてそのすべての穴のなかの穴にも、たくさんの穴を開けよう。
そしてそのすべての穴のなかの穴のなかの穴にも、たくさんの穴を開けよう。
そしてそのすべての穴のなかの穴のなかの穴のなかの穴にも、たくさんの穴を開けよう。
そしてそのすべての穴のなかの穴のなかの穴のなかの穴のなかの穴にも、たくさんの穴を開けよう。
そしてそのすべての穴のなかの穴のなかの穴のなかの穴のなかの穴のなかの穴にも、たくさんの穴を開けよう。
そしてそのすべての穴のなかの穴のなかの穴のなかの穴のなかの穴のなかの穴のなかの穴にも、たくさんの穴を開けよう。
その穴の数は、ぼくたちがいままで、殺してきた生命の数。
ぼくに向かって、彼らは言う。
生きたかった。
生きたかった。
生きたかった。
きみの外で。

彼女は、愛する母親(覆面の男)に、寝るまえにいつも、自作のおはなしを聴かせてあげている。
男は知っている。
自分の顔が、ないことを。
でも穴があることを知っている。
その穴に、彼女は自分の一部を挿れることが好きだ。
そして別の穴へ突き抜け、穴を通して、彼女の穴に戻り、彼女は彼女を確かめている。
男は知っている。
自分が仕事に行っている間に、彼女は別の、恋する男を想って、Self Pleasureをしている。
深夜のGasstationの売店のRestroomで、彼と、SEXしている。
誘うのはいつも、彼女からで、男はいつも、控え目だ。
罪悪感を、二人は感じている。
男は言う。
「こんなことが、きみのママにバレたら、きっと、もう会えないよ。」
彼女は背中に差していたSilencerを取り出して言う。
「これで君の顔面に穴を3つ開けてやろうか?」
男は悲しい顔をして、溜息を吐いて俯向く。
彼女は男の頬を優しく擦り、言う。
「American jokeだよ。馬鹿なアメリカ人が言いそうな言葉だろう?ぼくのママがいつも言っていることを真似しただけさ。」
「きみのママって、そんな人なの?」
「正しくは、ママじゃないよ。」
「ほわい?Really?Why?それじゃ、だれなのさ。」
「正しくは、ぼくの息子だ。」
「……。なんだって?!それじゃきみ、自分の息子と、してるのか!」
「娘がママとしてたらOKで、母親が息子としてたらNOなの?」
「…ぇ?ほ、ほんとに、してるの…?馬鹿なAmericanの僕のJokeだったのに!」
「ぼくはママともしてるし、息子ともしてる。だって彼は、ぼくにとってママであり、一人息子なんだ。」
「Oh My God!!!!!」
「嗚呼、もう面倒臭いナ。やっぱりこれできみの顔に三つ穴を開けてぼくは帰るよ。」
「Jesus!!!!!Cryshit!!!!!」
「これできみと彼は、同じになる。」
「貫通してないだろう?」
「貫通してるよ。」
「可笑しいじゃないか。目と口なのに、貫通してたら。」
「ぼくはママを可笑しいなんて想ったことはないし、それに、見た目は貫通してないよ。隠してるんだ。」
「でも本当は貫通しているんだろう?」
「そうだよ。きみのなかにある無数の穴のようにね。」
「僕の、何処に無数の貫通している穴があるの?」
「知らないのか?骨髄に決まっているだろう。」
「骨髄?KO・TSU・ZU・I?Bone Marrow?」
「Yes。きみの骨髄のなかには、無数の貫通している穴があることを知らないのか?」
「僕はあまり、医学的なことに詳しくないから…。」
「きみの骨髄のなかには、きみがいままで殺してきたすべての生命の顔が、つまりその穴が、無数に開いているんだ。」
「What did you just say?」
「だから、きみが食べるために間接的にも殺してきたすべての生命の顔が、つまりその穴が、きみの骨髄のなかに確かに、存在しているんだ。」
「Seriously? 」
「これを観給え。」
そう言って彼女は、背中から一枚の写真を取り出し、彼に見せる。













これが、きみとぼくと、すべての存在の骨髄のなかにある、穴(生命の顔)だ。
この悲しみが、ぼくらのなかで永遠に、悲しみつづけるんだ。


















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2 コメント

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Unknown (延珠)
2020-11-02 10:47:27
はじめましてよろしくお願いします。あまねさんでよろしいでしょうか?
私はこの世が全ての生き物の家だと思えてしまって「これって変なのかな?」
と感じていたのですが、最近は人間達にとっては変でも本当は変じゃないと感じています。
地球が1つの家になっているように思えてしまいます。
全ての人間と生き物が同じ家に住んでいるのに人類はその家族を食べているのですか?
私は家族を食べることなんてとてもでは無いけど出来ません。
動物達も不要な殺生はしないですよね。熊がカラスを助けたり異種間で仲良くなったり。
フクロウとキツネが愛し合っている例も自然界で確認されている見たいです。
この影響か分からないですけど私、恋愛が出来ないんです。
どうしてかと言うと多分ですが元々みんな家族なのにどうして?と思ってしまうからです。
人間は生き物の中でも最も包容力があるべき神の子だったはずだと私は信じています。
あまねさんはどう思われますか?
返信する
こんにちは☂ (あまね)
2020-11-02 13:21:17
延珠さん、はじめまして。
こちらこそ、よろしく御願いします。
呼び方はあまねで構いません。(本名はこず恵と言います。)

とても素直なコメントを戴いて、感動しています。
2018年の8月から約2年ずっとコメント欄を閉鎖していて、ほぼ誰からの反応も何も得られないブログを続けてきました。
再開してから、初めてコメントをくださったのが延珠さんです。

最初に、「この世が全ての生き物の家だと思え」るという言葉を読んだとき、わたしの最も愛する絵画であるルネ・マグリットの「大家族」の絵が浮かびました。
芸術家の優れた感性は、いつでも神の存在を表現しているものです。
ほとんどの人が、きっと感動できる作品であると感じているのですが、でも感動できても、同じ感性で生きることは難しいことです。

「地球が一つの家になっている」という感覚は、イエス・キリストのような感性であると感じます。
「すべての宇宙が一つの家」であり、「全存在が、家族であり、自分自身」であるという感覚に目覚めた人が、イエスやブッダのような覚者(聖者)たちであると想います。

そのような人の感覚は、確かにこの地上では大変変わり者です。
でも地球以外の、星や次元では、まったく変わったことではなく、それが普遍的感覚であるようです。

人類は、家族を食べているというよりも、自分自身を食べているのだと感じます。
植物も動物も、すべての生命は自分なのですが、「殺す」という感覚は動物に対して、それも大きな生物、痛みを強く感じる動物ほど、人は「殺す」という感覚を持つものです。

それは、相手の動物の「殺されたくはない」という感覚を強く感じ取っているからかも知れません。
昔の原人は屍肉を喰らって生き延びたスカベンジャー(腐肉食)であったという説があります。
でもそれは好き好んで肉食動物のいる危険な場所まで行って肉食動物の食べ残した腐敗しつつ在る屍肉を食べていたのではなく、
他に食べるものがなかったからで、仕方なく食べていたんじゃないか、とされています。

人間の脳とは、死体を観るのを嫌がるようにできているそうです。

「ネアンデルタール人は死体を埋葬した最初の人類ですが、死体に畏怖や恐怖を感じてそれを目に触れないようにしたのではないか、
だから人間には“死体が怖い”遺伝子が埋め込まれてるのではないか。」

と、わたしの敬愛する死体写真家の釣崎清隆氏が話していました。
”観たくはない(不快や恐怖の)”もの、”死体”は、自分や自分の愛する者の未来に待ち受けているであろう変わり果てた姿を連想させるものでもあります。

死体を観るのが、人は本当は怖いのに、人は死体を食べ続けてきました。
食べているものは実際に「死体」であるのに、人はその肉が、「惨殺された動物の死体」であるという事実を考えたくないのです。
それはあまりに不快なことだからです。


動物は本来は不要な殺生をしないはずなのではないかと、わたしも想います。
例えば、知能の高いイルカを狭いプールにずっと閉じ込めて、二匹の雄のイルカが一匹の雌のイルカを追いかけ回してレイプし、殺してしまうことなどがあります。
これは人間による著しいストレスが原因だと考えられます。
でも今、一日に約200種以上の種が絶滅して行っているようですから、最早、本来の自然は、どこにもないのかも知れません…。
その地球で動物が共喰いをし始めたり、同胞を殺戮することが起きるなら、人類に対する警告なのだと感じます。
人類の行為を、動物たちが真似をして、訴えていると考えられます。


わたしも、かつての恋人との行為が近親相姦の感覚になったことが在りました。
でもわたしの場合は、恋人が自分の母や父や兄や姉のようであってほしいと願っています。
フィクションの世界では、一人の男性をママやパパと呼んで、性交渉を行う物語を自然と書き続けています。
現実ではそのような願望を持ったことはありません。
ですがわたしは、家族じゃないと、だめなようです。
家族じゃないと感じる人や、自分じゃないと感じる人に、恋愛ができないのです。


わたしヴィーガンになった切っ掛けの大きな一つに、シルバーバーチという聖霊の存在があります。
すべての魂は、永遠に不滅の存在であるのですが、それは言わば、どこまで行こうが、神(真理・本質・愛)へは、永遠に辿り着けないことを意味しています。

鉱物などから、植物となり、植物が動物の魂と進化し、その集合の魂から人間の魂として生まれて来ると言われています。
進化とは、愛を深めてゆくことです。
愛を深めてゆくほど、存在は喜びを感じることができます。

わたしたちは、退化ではなく、進化するべきなのではないのかと、想いますし、進化の在り方には多様性が在り、必要であることもわかります。
でも世界を見渡すと、何故ここまで地獄的であり、虚無に支配されていることに人々が気づけないのか、わたしにもわかりません。

聖書が言うには、それはサタン(悪魔)にこの地球が支配されているからであり、その世は必ず終りが来ることを預言しています。

その終末が、もう数十年以内に遣ってきてもおかしくないとされる1万5千人以上の学者たちの警告し続ける大量絶滅を意味しているならば、あまりにも虚しく残酷だと感じると同時に、それは当然の報いであると感じる自分がいます。

わたしたちすべての意識が、この星の未来を創り上げていることに、責任を深く感じられるようになれたならと願います。

長くなりましたが、また、いつでも気軽にコメントをくださると大変、嬉しいです。



あまね
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