あまねのにっきずぶろぐ

1981年生
愛と悪 第九十九章からWes(Westley Allan Dodd)の物語へ

「そういうふうにできている」

2018-08-28 07:07:20 | 日記
実家の寝る部屋でわたしはテレビを観ていた。
日本地図の上に、次々と火の塊が投下され、日本は全滅。
わたしは生々しく想像したのだった。
もし...日本に北朝鮮が本当に核爆弾を投下したら...
その瞬間のことだった。
目を瞑ったわたしの視界が一瞬で火に覆われ、わたしの右の手の甲に火の粉が落ちて燃え始めた。
わたしはそれでも目を閉じたままじっと燃え尽きる時を待って諦めようとした。
しかし、ハッとして目を開け、急いでみちたを抱きかかえて小さな籠の中に入れ、火の粉から護るため窓から離れて毛布を被った。
外は火の雨が降り注いでいた。夜なのか昼なのかもよくわからない。
姉と、そしてわたしのことを兄弟と呼んでくれた彼から連絡が来た。
何とか無事であることを確かめ合ってホッとして、火の雨が止んだ頃、わたしはベランダに出てみた。
驚いたことに二階であるはずのこのマンション部分が一階となってベランダの床の高さが地面の高さになっていた。
あの時地震も起きて、一階部分が地下に埋もれたようである...
一階はどうなっているのだろう...そこにいる人は無事だろうか。
ベランダで途方に暮れて非現実な光景を眺めていると猫が二匹寄ってきた。
そして近所の人から話を聴いた。
どうやらこの火は、核爆弾などではなく、航空機がちょうどこの辺りの上空で爆発したからだと言う。
そして同時に地震が起きた。その火災からも人々は核爆弾を落とされたのだとパニックになっている。



そんな夢を、今朝に見た。
わたしは冷静に想うのだった。
日本人は特に、いつ核爆弾を落とされるのかと怯えながら暮らしている。
その恐怖を、願望に変える必要がある。
ただ落とされないことを願うのではなく、この世界の未来がどのような世界になってほしいのか。

夢では、願望も恐怖も、一瞬で具現化する仕組みとなっている。
その想像が曖昧であるなら、曖昧な現象として現実化する。
願望と恐怖、関心の深いものが先に現実化する。
それは何故かはわからないが、『そういうふうにできている』としか言いようがない。

しかしこちらの世界では、かなりの時差を起こす。
人類の恐怖が勝つか、願望が勝つか、この世界の未来は、わたしたちの想像力と、関心次第なのである。

人は時に恐ろしく怖い悪夢を憶えている。
それも、一つのこの世界の愛なのである。
何故なら恐ろしいものを知ることで、人は強い願望を胸にいだいて生きてゆくことができるからだ。

人が終末を想像する時、それができる限りの悲惨なものであることを想像できるなら、それを絶対に回避したい(この世からその悲劇をなくしたい)という強い願望がそこには生まれる。
そして怖れること以上に、心から願う世界を、できる限り具体的に想像し続けてほしいと願う。

その世界は、きっと叶うからである。

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