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あまねのにっきずぶろぐ

1981年生
愛と悪 第九十九章からWes(Westley Allan Dodd)の物語へ

Björk「Black Lake」その拘束の愛は、いまも子宮のなかに。

2017-04-25 02:44:47 | 音楽
今日(24日)は早朝に寝て夕方に起きてからずっとBjörk(ビョーク)の2015年のアルバム「Vulnicura(ヴァルニキュラ)」を聴いて、そのLiveをyoutubeで観て、それでさっきBjörkの出演した「拘束のドローイング9」という映画を観終えたところです。

静かなカタルシスに今も浸っている感じなのですが、まずはBjörkの「ヴァルニキュラ」というアルバムについて記事を書きたいと想います。







自分はBjörkは16歳の頃に好きになって4作目の「ヴェスパタイン」までのアルバムをよく聴いていました。
想い出のたくさんある大切なアーティストなのですが、それでもヴェスパタイン以降はちょっと離れてしまった感じで2004年からアルバムをろくに聴いていなくてそれが悲しいなと感じていました。

ところが今日たまたまyoutubeでBjörkの「Black Lake」っていう曲のPVを観まして、あれこんないい曲を作ってたのかと感動してこの曲の入っているアルバム聴いてたかなと想って「ヴァルニキュラ」を聴いてみたら通しでLastfmで一回聴いていました。全部の曲一回だけ聴いて「Black Lake」だけ2回再生ってなってたので、当時もこの曲は良いと想っていたようですが、すっかりその後聴けていませんでした。






アルバムについて調べてみると、「ヴァルニキュラ」はビョークの13年間連れ添ったパートナーである現代美術家のマシュー・バーニーとの別離を軸に表現した”ハートブレイクアルバム”と称していて、パートナーと別れる9ヶ月前から時系列順に辿っているという。
生まれ始めた不安-別れ-癒えというプロセスを経ていくのが素晴らしい。

1曲目「ストーンミルカー」は別れの9ヶ月前を表し、
2曲目「ライオンソング」は別れの5ヶ月前、
3曲目「ヒストリー・オブ・タッチズ」別れの3ヶ月前、
4曲目「ブラック・レイク」別れの2ヶ月後、
5曲目「ファミリー」別れの6ヶ月後、
6曲目「ノットゲット」別れの11ヶ月後を表しているようです。

自分が最も感動したのは別れて2ヵ月後に作った「Black Lake(黒い湖)」なのですが、この曲を貼りましょう。



björk: black lake





ダンサー・イン・ザ・ダークの曲に通じるようなものすごい内省的な曲で重いですがカタルシスが起きている非常に美しい曲です。


Black Lake - Björk日本語訳歌詞



私たちの愛は子宮だった
だけど私たちを繋いでいた拘束は壊れてしまった



という出だしがすごくいいですね。わたしたちの愛は一つの子宮で拘束されていた関係だったという、一人の母親の子宮のなかで手を繋ぎあっている双子の胎児のようなイメージが浮かびます。
よくも知らないのにビョークとマシュー・バーニーの愛ってものすごい深いだろうなって感じていた自分がいました。
なんでかというとビョークの音楽が悪くなって行った(良い意味では実験的な音楽になって行った)のはマシュー・バーニーと知り合ってからで、音楽性(ビョークの持ち味)をここまで変えてしまうマシュー・バーニーという男は凄い男だな、と想ったからです。
そこにある愛が深くないわけないだろうと。
だから知りもしないのに今度のビョークの愛した男は凄いんだなっていうのは解っていました。

ビョークの良いものを180度変えてしまった男と言える。
だからなんか、みんなのビョークをおまえ一人で独り占めしたのか、みたいな気持ちでいました。
まあ二人が愛し合ってるならいいけどお?という感じであたたかく見守ろうと想っていました。

そういう気持ちがあったんで、ビョークがマシューと別れてわたしの本当に感動する曲をまた作ってくれるようになった、っていうのは色んな意味で悲しいですね。
自分はどこかでビョークを連れ去ったマシューという男に嫉妬していたのかなと思えてきます。

別れたことを知る前に感動した曲なので、わたしはマシューと共鳴しているビョークを受け容れられなかったのでしょうか。

こんなに悲しく、つらい曲で我々を感動させるビョークはやっぱりマシューを本当に愛していたんだな、今も愛しているのかしら、と胸がぎゅっと切なくなります。

二人のあいだには娘が一人居て、親権問題などの泥沼な関係にあるのに、その表現はこんなにも美しい。
いや、もう最悪な泥沼だからこそ、美しい曲が出来上がったのでしょう。
そんな、気がします、ぼくは。










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