去年の記事ですが、80年代UKインディー・シーンを代表する伝説のバンド、ザ・スミス(The Smiths)のヴォーカリストであるモリッシー(Morrissey)の訴えを今日は載せてみたいと想います。
非常に、わたしはモリッシーの苦しくてたまらない感情がこの声明のなかに詰まっていることが感じられて、胸が締め付けられてなりません。
「動物愛護の団体は単なる存続のために存続していてはダメだ。
英国の動物たちに課せられた地獄のような時代遅れの社会的不正に対しては行政の声が必要なんだ。
だって、当然動物たちは言葉で訴えられないし、一方で数多くの思慮深い市民たちは誰も何もできないこの問題をすごく気にかけているじゃないか。
動物愛護の活動家たちが訴えたいことは、ものすごく言う価値も聴く価値もあることなんだ。
でも、僕らは政府が市民を啓蒙するのをただ座って待っていればいいってわけじゃない。
酪農農家の偽善による災いをこれ以上続けてはならない。
その甚大な影響ときたら最悪だからね。
牧場と"と殺(屠畜)"場の動物たちは必死に生きようとしているのに、生きたまま、包丁の刃の下で身動きできずにバラバラに引き裂かれる。
どんな結果もこの状況を正当化なんてできない。
僕らはこれが起こってしまう社会に生きていて幸せとは言えない。
このように無慈悲な社会は滅亡するだけだ。
と殺(屠畜)場は現存するナチスの強制収容所のようなもので、もし君が牛乳を飲む人なら、君は虐待のシステムを容認してるってことになる。
人間のと殺(屠畜)なんて存在しないし、もしそれが存在するって信じてるなら、自分で体験してみたら?
動物連続と殺(屠畜)犯のジェイミー・オリヴァーが『キッド・ミート(仔ヤギ肉)』をあんなに情熱をつぎ込んで人間の食事に加えたのなら、彼は自分のキッド(子供)を人々に消費してくれと差し出すんじゃないか?
もしそうしないなら、それは何でだ?
なぜ動物に対してあんなに残酷になれるんだ?
どんな憎悪が彼らを駆り立てているんだ?
食肉業界は、結局のところ、地球のことも、気候変動のことも、動物のことも、人間の健康のことも思いやってない。
これは悪魔的に仕込まれた世界で一番の問題なんだ。
おまけにどんな政治的な論争でも、この問題は押さえ込まれてしまっていて、もし触れられたとしても、その重要性を強調するだけ。
と殺(屠畜)場は僕らの誰もが安全じゃないっていうことを雄弁に示してくれている。
食肉製造が気候や環境、草原、森林、湖沼、河川、海洋、大気そして宇宙に及ぼすゾッとするような影響を調査してみてほしい。
目ん玉が飛び出るさ。これ以上に大きな地球的悲劇は発明できないだろう。
動物に対する社会正義を要求なんていうレべルじゃない。
僕らはただ、人間たちに合理的に親身に考えてほしいと頼んでいるだけだから。
キツネ狩りや野鳥狩りができないことで、ザクセン=コーブルク=ゴータ家はやることがなくなるだろうけど」
英国の動物たちに課せられた地獄のような時代遅れの社会的不正に対しては行政の声が必要なんだ。
だって、当然動物たちは言葉で訴えられないし、一方で数多くの思慮深い市民たちは誰も何もできないこの問題をすごく気にかけているじゃないか。
動物愛護の活動家たちが訴えたいことは、ものすごく言う価値も聴く価値もあることなんだ。
でも、僕らは政府が市民を啓蒙するのをただ座って待っていればいいってわけじゃない。
酪農農家の偽善による災いをこれ以上続けてはならない。
その甚大な影響ときたら最悪だからね。
牧場と"と殺(屠畜)"場の動物たちは必死に生きようとしているのに、生きたまま、包丁の刃の下で身動きできずにバラバラに引き裂かれる。
どんな結果もこの状況を正当化なんてできない。
僕らはこれが起こってしまう社会に生きていて幸せとは言えない。
このように無慈悲な社会は滅亡するだけだ。
と殺(屠畜)場は現存するナチスの強制収容所のようなもので、もし君が牛乳を飲む人なら、君は虐待のシステムを容認してるってことになる。
人間のと殺(屠畜)なんて存在しないし、もしそれが存在するって信じてるなら、自分で体験してみたら?
動物連続と殺(屠畜)犯のジェイミー・オリヴァーが『キッド・ミート(仔ヤギ肉)』をあんなに情熱をつぎ込んで人間の食事に加えたのなら、彼は自分のキッド(子供)を人々に消費してくれと差し出すんじゃないか?
もしそうしないなら、それは何でだ?
なぜ動物に対してあんなに残酷になれるんだ?
どんな憎悪が彼らを駆り立てているんだ?
食肉業界は、結局のところ、地球のことも、気候変動のことも、動物のことも、人間の健康のことも思いやってない。
これは悪魔的に仕込まれた世界で一番の問題なんだ。
おまけにどんな政治的な論争でも、この問題は押さえ込まれてしまっていて、もし触れられたとしても、その重要性を強調するだけ。
と殺(屠畜)場は僕らの誰もが安全じゃないっていうことを雄弁に示してくれている。
食肉製造が気候や環境、草原、森林、湖沼、河川、海洋、大気そして宇宙に及ぼすゾッとするような影響を調査してみてほしい。
目ん玉が飛び出るさ。これ以上に大きな地球的悲劇は発明できないだろう。
動物に対する社会正義を要求なんていうレべルじゃない。
僕らはただ、人間たちに合理的に親身に考えてほしいと頼んでいるだけだから。
キツネ狩りや野鳥狩りができないことで、ザクセン=コーブルク=ゴータ家はやることがなくなるだろうけど」
わたしたちはモリッシーが言うように、動物たちが人間によって苦しめ続けられている世界では幸せになることは不可能だとわたしも感じます。
昔から動物を本当に愛しているモリッシー。
1985年にはザ・スミスの「Meat Is Murder (ミート・イズ・マーダー、肉食は殺人)」という2ndアルバムがUKチャート1位を獲得し、このアルバムを聴いてレディオヘッドのトム・ヨークもベジタリアンになったと言っていました。
当時の日本盤LPの帯には「肉喰うな!」と書かれていたそうで、わたしが買ったCDも帯には「肉喰うな!」と書かれています。
モリッシーはこのアルバムの最後の曲「Meat Is Murder」でと殺(屠畜)される牛の悲しみを感情を押さえ込んだ悲しい声で訴えかけるように歌い上げています。
その曲の2011年のLIVEの映像にPETAが映像を合わせているものを見つけました。
Morrissey - Meat is Murder [Glastonbury & PETA footage]
家畜たちの絶望的な悲しみが伝わってきます。
それでモリッシーがPETAと一緒に製作したこのビデオを観て悲しくて涙が溢れました。
'Someday' | Morrissey's New Opening Act
このようなビデオを観るなら、肉を食べるならばせめて大量生産されている肉は食べるべきではない、と想う人は多いのではないでしょうか。
モリッシーの声って本当に優しいですね。
深い悲しみのなかでずっと生きていることがわかります。
この時代で世界で一番に利益を上げ続けている畜産業に対して訴え続けるのは本当に命懸けの行為なのですが、
モリッシーのような命をも犠牲にして訴え続ける人たちをわたしは心から尊敬しています。