おばちゃんの母親はずいぶん前に認知症になり、施設を転々としていた。
去年、若い時に感染していた結核が再発したので、専門病院に入院し治療を受けていた。
幸い治療は終わったが、四肢は拘縮し、言葉も発せず、体を触られるときに嫌がって「あ~あ~」というだけだった。
余計な延命治療は望まなかったので、体はどんどん痩せていってた。
・・・令和になって約1か月後、母は静かに旅立った。
おばちゃんの父親は20年以上前に亡くなっているが、大正~昭和~平成を生きた。
母親は、昭和と平成だけかと思っていたら、3つめの令和も生きた。(もっとも本人には令和という認識は無かったろうけど)
他人とかかわるのが嫌いな人だったから親戚づきあいもしておらず、まして友達づきあいもなかったので、おばちゃんは、おばちゃんと娘と娘婿と、息子の4人だけで見送ることにした。
おばちゃんの母親は神戸の病院にいたので、火葬は神戸市の鵯越火葬場で行った。
まあ,行ってびっくり。ものすごく広い敷地にど~んと焼き場(の建物)があり、中は円形状になっていて、炉の数がめちゃくちゃ多かった。聞いたところによると、30以上あるそうな。
で、流れ作業のように次々に焼かれていく。
人口150万人を超える大都市だけあって、規模が違う・・・すごい・・・
・・・で、時間もほぼ皆さん同じに焼いていく。骨粗鬆症だったから、残った骨の量が少なかった。骨盤や頭蓋骨もかなり少なかった。合掌。
それにしても・・・おっちゃんが亡くなってから、義母、義父、実母と4年連続身内の葬儀が続き、葬儀疲れしてます・・・
来月納骨のため、また関西に行かねば・・・どたばたです・・・
帰宅する日の朝、神戸の港まで散歩した。
潮風のにおいがした。