ハチワレ猫ベリーさんとの気ままなくらし

元野良・ベリーさんとの暮らしの話。
過去記事にはラブ系雑のチャコ、キララとE・コッカー・アンナさんも登場。

相続の話①・・・おばちゃんのこと②

2016年11月27日 | 日記
家族の誰かが亡くなると、その時点から相続が開始する。

おっちゃんは、そんなに財産が無いし、家族関係も複雑ではないから、そんなに大変じゃなかったようだが、それなりに手続きは面倒くさかったようだ。

おばちゃんはしょっちゅう書類とにらめっこ。あっちこっちに電話し、書類を取り寄せ、郵送し、届いた書類にいろいろ記入してあっちっこっちに出かけ・・・

12月になるころ、ようやくほぼ全部終わったようだ。
・・・最近ちょっと気が抜けて、いろんなことをさぼってる?

おばちゃんは、この間のいろいろをまとめておきたい、というので今日のブログのテーマは相続手続き。

まず、家族関係を確認するために戸籍謄本を取り寄せるのだが、銀行など金融機関と不動産関係は「生まれてから死ぬまで」の戸籍、と書いてある。

日本人は結婚するときにたいてい自分たちで新しい戸籍を作る。
30年前、おばちゃんは、苗字をおっちゃんのほうにするから戸籍はおばちゃんの生まれ故郷にしたいと言い、関西のある都市に架空の住所で新戸籍を作った。
(←ちなみに、戸籍は架空の住所でも何でも良く、別に罪にはならない。
 千代田区1丁目1番地1=皇居のあるところを戸籍にしている人はとても多い)

関東に住んでいるので戸籍を取り寄せるのは結構面倒だ。
今はネットで申請用紙がダウンロードできるので便利だが、それでも費用を定額小為替で送る必要があったり、返信用封筒を入れたりしなければならず面倒くさい。

いずれにせよ戸籍謄本が必要だが、この「生まれてから死ぬまでの戸籍」って何だ?

いろいろ調べて、現在の戸籍と出生地の戸籍が要るとわかった。
さらに改正原戸籍もいるらしい。

改正原戸籍(かいせいはらこせき)とは法律(戸籍法)が改正される前の戸籍のことを指し、直近では昭和23年と平成6年に変わっている。
おっちゃんは昭和23年にはまだ生まれていなかったし、平成6年にはすでに結婚していたから、必要なのは、現戸籍・改正前原戸籍・出生地の元の戸籍の3種類だ。
  (昭和23年より前に生まれていた人が死んだら、当然昭和23年の改正前原戸籍も必要になる)

提出しなくちゃいけない数を計算し大目に請求した。
(結果的には足りなくて、再請求した・・・なぜかって?
全部洗いだしたと思っていたら、思いがけず手続きが必要なものが出てきたため!)

さて、戸籍謄本は相続人全員分が要る。
おっちゃんの相続人はおばちゃんとおねえちゃん(娘)とおにいちゃん(息子)の3人だ。

おねえちゃんは結婚して新しい戸籍を作ったから、その戸籍謄本が要る。
おばちゃんとおにいちゃんは、まだ同じ戸籍にいるので、これはおっちゃんの謄本で代用できる。

印鑑証明と実印はそれぞれのが必要なので、おにいちゃんは急遽作った。

おばちゃんは、おっちゃんの実印を自分のにしたいと思い、可能かどうか不安に思いながら役所に行ったら、窓口のおねえさんに「いいですよ」と言われほっとしたらしい。

で、おっちゃんの印鑑証明を削除する続きと、その実印を自分のほうに登録する手続きをし、証明書を取った。

それぞれの金融機関独自の書類に戸籍謄本・除籍謄本や印鑑証明をくっつけて提出できたのは10月中旬。その後2週間ほどで手続きが終わった。

不動産は家と土地があり、法務局に行ったらまず相談予約を取れと言われた。
改めて予約日に行ったら、司法書士の先生に『これこれこういう書類がいるから用意してできたらまた予約しなさい』と言われ、その時、「次回一発で手続きできるようにしなさいよ」と念押しされたそうな。
 ・・・きっと、1回では終わらない人が多いんだろうな。

相続財産の分割協議書が要る、とひな形を見せてくれ、自分で作るよう指示された。
各自自筆の署名押印が要るというので、おばちゃんはひな形通りにワードで作っておねえちゃんに郵送し、送り返してもらって、四十九日の時におにいちゃんに自筆で署名してもらって完成させた。
相続人の住まいが遠方だとこういうこともあって大変なのね・・・

予約日、前回と同じ司法書士の先生がチェックして検印しOKが出た。
登記費用を払って(同じ法務局内で収入印紙を買う!)
書類を法務局の窓口に提出したら
「○日に出来上がる予定なので、電話して確認してから書類を取りに来るように」と指示された。

役所だね~~民間は向こうから連絡してくれるのにね~~。ま仕方が無いです。

で、指定日に電話したら、できているので取りに来るよう言われ「登記手続き完了書」を受け取った。
提出した書類も全部戻ってきた・・・(コピーしたものが法務局に残る)

これでまず大きな、一番大事な手続きはひとまず終わった。
他にもある。続きは次回。


写真が無いのは寂しいから
焼いたさつま揚げがユニークだったのでパチリ



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ヘアドネーション・・・おばちゃんのこと①

2016年11月21日 | 日記
先日おばちゃんは2年半伸ばしていた髪を切った。

伸ばしていたのにはわけがあるらしい。


おばちゃんは、その理由をおっちゃんには内緒にしていて、
びっくりさせようとしていたらしい。

 おばちゃんは残念がっていた。

なにしろおっちゃんはてっぺんが禿げてきていて
とても寄付できるような髪の毛じゃなかったからだ。


で、髪の毛を切る前はこんな感じ


切りやすいように縛る


で、切る


これをどうしたかって?
実はヘアドネーション=髪の毛の寄付をしたんだ。
    NPO法人 JHDAC → http://www.jhdac.org/

ずっと昔、雑誌かテレビで知っていつか寄付しようと思っていたらしい。
でもだいたい途中で挫折して
1年くらい伸びたころ「暑い」と切ってしまってた。

最低31cm要るから伸ばすのも大変だ。
だいたい1ヶ月に1cm」伸びるらしいから、
31cm伸ばすには31カ月かかる計算だ。

今回、おばちゃんは髪の毛の乾きにくい梅雨も、暑い夏も、
なんだかんだぼやきながらも切らずに我慢してた。

ベリーさんが髪の毛にじゃれてからまったり、
アンナさんの体に、落ちたおばちゃんの髪の毛がまとわりついていたり。



おばちゃんは今とっても晴れ晴れとした顔をしている。
いろんな意味で、すっきりしたんだろう・・・

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その後のチャコとアンナとベリーさん

2016年11月10日 | 日記
おっちゃんがいなくなって、まずチャコの様子がおかしくなった。


散歩から帰ってまず部屋中探し回る。いないので、悲しそうな顔になる。
そしてしょぼんと自分の場所にうずくまる。

おばちゃんがお風呂に入っているときは、扉の前でずっと待ってる。

10月の半ばごろまでそれが続いた。

そしてようやく収まった。


アンナさんは、チャコのように探す、とかは無かったけど、
9月中旬から元気がなく、ついに下旬に食べなくなったので
急いで動物病院に連れて行ったら赤血球が半分以下のど貧血になってた。

このままだと危ないと言われショック!
おっちゃんが、寂しくて連れて行こうとしているのか??

  ダメだよ~~


点滴してもらい、様子見。

2~3日あまり食べなかったが、4日目くらいから食欲が出てきた。
投薬を続けて1カ月、もとの元気なアンナさんに戻った!

良かった・・・

で、ベリーさん。
夜おっちゃんの膝の上で丸くなって寝るのが好きだった。

今、おばちゃんの膝をアンナさんと取り合いだ。
とりあえず、アンナさんは30分くらいおばちゃんの膝の上でなでられ眠る。
でも重いので、おばちゃんにそろそろどいて~~と言われどかされる。
で、入れ替わりにベリーさんがおばちゃんの膝の上にやってきて丸くなる。

夜は、これも場所の取り合いだ。
おばちゃんの布団に3匹が入ってくるようになった。

まずアンナさんが陣取る。
チャコが続いて陣取る。
ベリーさんはなるべくチャコから離れたところに潜り込む。

でも、この日はベリーさんとチャコさんが珍しく接近して寝てた。
夜中に気づいてそっと写メったら、
アンナさんが映りきらなかった・・・

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長くて短い夏が終わった

2016年11月07日 | 日記
おっちゃんの葬儀が済んだ後、
町内会の回覧に掲載されたので、葬式を知らなかった町内の方々が何人も自宅にいらっしゃった。

振り返ると、おっちゃんもおばちゃんも人生で一番長く暮らしているのがこの場所だ。

ご近所づきあいも、特に子供たちが幼稚園~小~中学生の頃はかなり頻繁にしていたし、
おばちゃんは自治会の役員をかれこれ10年以上やっているし、
チャコとアンナの二匹のワンコの散歩をおっちゃんとかわるがわる毎日していたしで、顔見知りも多い。

ワンコの散歩はとくに夕方はおっちゃんの担当だった。
ひと月ほど前には普通に犬を連れて散歩していたのだから
みんな驚いていた。

そりゃそうだ。おばちゃんだって唖然としている。


ばたばた後片付けをしているうちに四十九日も済んだ。

先日喪中はがきを出したので、今度はその方々からお手紙や電話をいただく。

そろそろお花を替えないと、と思っていたら
思いがけない方からお花をいただき
さっそく仏前に飾った。

仏前と言っても、仏間もない小さな家だから
おばちゃんは洋風の小さい仏壇を買って、
部屋の片隅に無理やり場所をこしらえておっちゃんの場所を作った。

これは、本位牌を置く前の段階。
四十九日法要が済んだ後、この箱の中におっちゃんが無理やり入ってる。



左のチョッパーはおっちゃんの作ったコレクションボックスだ。
布の下は、おっちゃんが作った棚だ。
   (おっちゃんが工具箱とか、自分の使うものをいろいろ置いていた場所だ)





今日はこんな感じになってる。



いただいたお花を左に飾り、いただいたお線香はいろいろな種類があったので
右手前のように小分けして並べてみた。

   ちなみに下の端にちらっと見えているのは、寒くなって家の中に入ってきた観葉植物だ。
   20鉢くらいあるのでへやのあちこちに目いっぱい置いている。
     (今度からおばちゃんが手入れするらしい。大丈夫か??
       だって、おばちゃんは結構枯らすのが得意だぞ!?)


仏壇の中は、おっちゃんの好きな酒とたばこと、おっちゃんの眼鏡が入っているので
一層窮屈だ。


おっちゃんは、今頃空の上で苦笑しているに違いない。
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おっちゃんのこと③

2016年11月05日 | 日記
おっちゃんは、ずっと眠ったままだ。

緩和ケア病棟に移れるように
少しづつ麻酔薬を減らして様子を見ている。

麻酔薬の濃度が薄くなると
眉間にしわを寄せ苦しそうな表情になる。

息子が見舞いに来たときは、
麻酔の量が少なめの時で、うっすら目を開けたが
認識をしていないようだった。



おっちゃんの兄夫婦も見舞いに来た。
このときはずっと眠ったままだった。

麻酔薬とモルヒネを入れ替える措置を取っていた。



8月30日、昼に突然呼び出された。

呼吸が落ちてきている、というので急いで娘と病院に駆け付けた。



1時間も立たないうちに呼吸が止まり、心臓も止まった。


あまりにも早かったが、最後は痛みも無く
本人は苦しまずに逝けたのだろう。



おっちゃんと、おばちゃんは、1997年臓器移植法が制定され、臓器提供カードが配布されたときに
二人してすべての臓器を提供することにし、互いに署名していた。



おっちゃんは、癌だから、内臓はすべて提供不可だったが、
角膜は提供できた。

大学病院からドクターが来て眼球を摘出した。

遺体の引き渡しを受け、自宅に戻ったのは夜7時頃だった。


息子とワンコたちが出迎えた。


チャコが落ち着かない。



そしておっちゃんのそばから離れない。








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おっちゃんのこと②

2016年11月04日 | 日記
前回、おっちゃんが大腿骨を折った、という話をした。

手術はオペ室の都合で1週間後に実施され、何とか無事に終わった。

骨がもろく、ピンを入れるのに結構苦労したそうな・・・


その後少しづつ回復、リハビリも進んでいた。

骨折だけなら、3週間以内に退院できる予定だった。






実はおっちゃんが血痰をはいてCTを撮ったら
肺癌が見つかった。

それもかなり大きい。

場所も良くなくて、気管支が分岐するあたりの右側に、ぼこぼことできていた。

ドクターにいつごろからできていたと思うか、と聞いたら1年くらいではないか?と。


もともと肩~背中に痛みがあって、整形外科にしょっちゅう通ってた。
だから、
違うところに原因があるとは思わなかった。

ただ、正月ごろからの咳がなかなか収まらず、
春になっても夏になっても
咳をしていたので、
おかしいから医者に行ったほうが良いと勧めたけど
おっちゃんは、大丈夫と言い、市販の風邪薬を飲み続けていた。

去年より一段と体調が良くなかったけど、
4月、娘の嫁ぎ先に挨拶に行くついでに実家の山口にまで行った。

6~7月は、日中寝ている日が多く、でも夕方には起きてきて、たばこを吸い、夜大酒を飲んでいた。

骨折する前日血痰を吐いて、あわててかかりつけの内科に行ったら
総合病院で、CTを撮るよう勧められ予約を入れたらしい。

CTの結果を二人で聞いた。
その時はまず骨折の治療を優先すること、
精密検査の予約をして、それから癌を小さくしてから手術して取りましょうと言われた。

おっちゃんはかなり楽観視していたと思う。


おばちゃんも・・少しだけ楽観してた。

 
骨折のリハビリが順調に進み、8月20日に体調がよければ昼間一時帰宅できるというので
おっちゃんはとても楽しみにしていたが、熱が出て中止になった。
ベリーさんに会いたい、とぼやいてた。


骨折は整形外科だが、癌は呼吸器内科だ。
整形外科はもうすぐ退院できるので、1日帰宅して、改めて入院しましょう、と言われ
それを楽しみにしていた。



8月21日の夜、急遽呼び出されて病院に行くと、
咳をしたあと呼吸困難になったこと、気管挿管しないと危険、と言われた。
おっちゃんに、挿管していいの?と聞くと苦しそうにうなずいたので承諾した。


ICUに移動し、再び会った時、おっちゃんは麻酔がかかって眠ってた。

意識がある状態では挿管できず、麻酔をかけなければならなかったとのこと。

翌日再度のCT画像では癌は以前より一回り大きくなっていた。
内視鏡の検査では気管の内側にかなり出ていて、管が奥まで入らなかったらしい。
ぼこぼこといびつな癌が見えていた。

いわゆる「悪い顔」をしたやつだった。

化学療法も、放射線治療も難しいと言い、ドクターは黙ってしまった。



それは、つまり・・・!


意を決して、あとどれくらいもつのか、と聞いた。

若いドクターは、一瞬目が赤くなった。 
・・・おばちゃんは意地悪い質問でドクターを泣かせてしまったらしい・・・

ドクターは、「7~80歳の高齢者ならあと1カ月、とか言えますが・・・
若いので、心臓はまだ丈夫なので。

わからない・・・としか・・・」


わたしと娘は困ってしまった。

この状態が何カ月も続くのか?

娘は私を手伝うため、1か月近く実家に戻ってきてくれている。
私たちはどうすればいいのか・・・

安定したら緩和ケア病棟に移れる、というのでそれまで様子をみることにした。
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