リベラルくずれの繰り言

時事問題について日ごろ感じているモヤモヤを投稿していこうと思います.

歴史認識がグローバル化した世界で、ガラパゴス化する日本

2021-07-26 | 政治
東京五輪の開会式の前日になって、開閉会式のディレクターだった劇作家の小林賢太郎氏が解任された。お笑いコンビ時代の1998年(当時は25歳だった計算になる)に発売されたビデオに「ユダヤ人大量虐殺ごっこ」というせりふがあったことにネット上で批判が高まり、外国でも強い反発を呼んだ。たしかにお笑いのネタにしていいものではないが、「核攻撃で殲滅だ!」といったせりふだったら許されたのだろうか、「カミカゼ」「ヒロシマ」「フクシマ」だったらなど、いろいろ考えさせられた(アメリカでは原爆投下を正当化する声が根強いというから、「核攻撃」は許されてしまうのだろう)。
今回の問題に深入りするつもりはないのだが、識者コメント(朝日新聞2021-7-23朝日新聞2021-7-28夕刊に詳細)を読んで、改めて、日本の歴史認識の危うさを思い知った。

佐藤卓己教授は、「20世紀の国内消費用の世界観が海外で通用するわけではない。今回の騒動は日本の大衆娯楽のガラパゴス化を露呈した。」「国内的な盛り上げを重視し、世界に発信される自覚が欠けていたのではないか」と指摘する。
たしかに映像や書籍で発表される作品を見ていて、「これって海外から見たらどう映るのかな」と心配になってしまうことが多い。さすがに今回のような問題発言はないまでも、やはり国内の目だけを意識して作られた作品は議論を呼びかねないことがあり、海外への販売の際にも障害になるのではないかと思う。
だが問題は、「大衆娯楽」に限ったことではないと思う。

高橋哲哉教授は、冷戦終結後特に、南アフリカのアパルトヘイト政策や東アジアの歴史認識問題などに関して検証が進むなど「歴史問題のグローバル化」が起きているのに、日本では認識が甘いと指摘しており、やはり歴史認識全体にかかわる問題だろう。
日本は加害の歴史をなかったことにしようとする勢力が根強い。一昨年に韓国人慰安婦を象徴する「少女像」などで猛烈な「電凸」攻撃にさらされた「表現の不自由展」が今年になってもまだ攻撃の対象とされるなど(過去ブログ)、やはり異常だ。私もことさらに韓国の肩をもちたくはないのだが、やはり過去を暴力で否定しようとする動きには反対していかなければならない。

もちろん何もかも外国の言うことが正しいわけではないのだが、娯楽でも、歴史認識でも、「海外の目に耐えられる」かどうかはもっと考えたほうがいい。ヨーロッパなどでは、かつての交戦国が共同して歴史教科書を編集したりしているという。どうしても海外と認識が合わないところがあれば、冷静に話し合って史実を追及する枠組みを作れないものだろうか。

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