ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

白鵬関のつぶやき

2014-03-23 14:20:16 | 新聞を読んで
昨日相撲の横綱白鵬関が大関の鶴竜関に負けた。

今日のスポーツ欄には小さなこんな記事があった。

白鵬関・・「かみ合わなかった。(相手を)見てしまった。

鶴竜はいつもと違う感じがした。」

おおっ!と思った。

白鵬関、自分を観察してるなと思った。

そんなこと当たり前か。

「相手を見てしまった」・・この台詞をどう受け取るか・・・

相手をよく見るのは勝負してたら当たり前のことだろうけど、

そういう“見る”とは違う“見る”をしてしまったんだろう。

見てしまった、んだから。

見なけりゃよかったのに見てしまった・・・

自分のやることだけにかまけていればよかったのに、

ひとのこと見てるとろくなことはない、

ということかなと思ったよ。

まぁ、それも勝負のうちなんだろうな。

「鶴竜はいつもと違う」・・・

いつもと違う“気”というものがびんびん伝わったのかもしれない。

相撲はとてもシンプルな勝負だから、

スポーツのいろんなルールのわからない私にもわかりやすい。

体力や技が左右する勝負ではあるけれど、

気というものが大きく作用することが

凄くわかりやすい気がして面白く見てる。

まぁ、どんな勝負でもそうなんだろうけど。






徳のジレンマ

2014-03-23 10:27:56 | 本を読んで
「菊と刀」読み終えないうちに返却しなきゃならなくなった。

第二次大戦後、アメリカ軍が占領軍として日本にやって来た。

日本に来る前、アメリカ人はすごく警戒したらしい。

軍国主義一辺倒の日本は本土決戦とか、

決して捕虜にはならないということなどで、相当抵抗が激しいのではないかと思ったのに、

殆どの日本人は占領軍に協力的で穏やかで平和的だった。

これはどういうことなのか、

アメリカ人や西洋人には本当に不可解だったという。

あまりにもあっさりと変わった。

信用できないともいえるんじゃないか。

こういう日本人の行動の規範はなんなのか???と彼は探ったんだろう。

平べったく言うと、

天皇崇拝が占領軍崇拝に変わっただけで、

天皇と占領軍・アメリカという新しいものとのどっちが正しいか、

なんていう思考は働かない・・・

どういうふうにしたら物事がスムースに運ぶかという思考をしてしまう、

そういう在りようを示してしまうというようなのが日本人・・・

こういう感じなのかと私は捉えたよ。


義理という領域、人情という領域、

忠という領域、孝という領域、

そういう“領域”というものが日本にはあると著者はいう。

「義理と人情」「忠と孝」などと言われるように、

日本人には義理と人情の狭間で迷い悶々とするというようなことがある。

それに対し、西洋では善と悪との領域しかないという。

今の日本人とこの本が出版された頃の日本人とではだいぶ違うと思うけれど、

義理という言葉はまだ健在だ。

面白いと思ったのはこれ。以下。

・・・「日本人は人間の人生を、

善なる力と悪なる力が競い合う舞台 とは見なしていないということだ。

日本人にとって、人生というドラマはバランスを取ることなのだ。

一つの「領域(上に書いた)」において取るべき行動が、

別の「領域」が要求する行動とぶつかってしまうことがある。

あることを実現しようとしてとった行動の道筋が、

別のことを実現するための行動と相容れないこともある。

そうした場合に慎重にバランスを取ることが重要なのであって、

それぞれの「領域」や行動自体は善なのだ。

誰もがその真の衝動に従うなら、誰もが善なのである。

先に引用したサー・ジョージ・サンソムの言葉を借りれば、

日本人は「悪の問題と取り組むことがない」。

日本人の見解によれば、宇宙的な視点に立たなくとも、

悪行は十分に説明できる。

・・・・(それはこういうことだ。)

元来すべての魂は徳により、焼き上げたばかりの刀のように輝いているのだが、

とはいえ、磨くことを怠れば、曇りを帯びてしまう。

この日本人のいう「身から出た錆び」は、

刀についた錆と同じほどに悪いものである。

ひとは自分の徳性に対して、

刀に対するのと同じように手入れしなければならない。

しかし、輝き閃光を放つ魂がやはりその錆の下にあるのであり、

必要なことはそれを再び磨き上げることだけなのだ。」

・・・・・以上引用。

とても面白く読んだ。なるほどと思った。

性格の一貫性や善と悪との相克といった、

西洋人の当たり前が日本人にはない、と彼は観たようだ。

戦後の教育を受けた私たちには結構それがあるようには思うけど。

善悪の相克というのは本当にひとを苦しめるものだなと思う。

今の社会は戦前の頃の日本人の苦しみと違う苦しみを生んでいるように思う。

美醜の相克があるとすれば、

それは善悪の相克と比べて苦しみはないだろうとも思う。

けど、上に引用した刀の錆という例で表わしている日本人の見解というものは

所謂性善説に則っているのかと思う。

街中の自動販売機も性善説に則ってそこに在るものだ。

「輝き閃光を放つ魂がやはりその錆の下にあるのであり、

必要なことはそれを再び磨き上げることだけなのだ。」

こういう見解を日本人が持っているとすれば、

それはすごいことだなと思う。

錆の下には輝いているものがあるとわかっていれば、

錆を落とそうという気になる。

元々そうなっていると思っていれば、錆を落とす気になんかならない。

第一それは錆とは言わない。

錆びていると認識すればそれを落とそうという気になるもんだ。

ちくちくちくちく・・

2014-03-23 09:49:13 | 日々の暮らし・思い出
アダムちゃんの通園手提げが縫い終えた。

歩きにも行かず、ちくちくちくちく・・・

楽しかったぁ。

保育園布団入れ用手提げやらその他手提げやら

シーツやらをちくちく縫った。

ミシンもあるにはあるけど、何年か前使ったときに調子悪くなってそれきり使わない。

元々メカに弱いし、縫おうと思えば針と糸だけあれば

その場で縫える手縫いがやっぱり面倒くさくなくていい。

テレビやCDの音だけ聞いて目は針や糸や布に。

こういう時間がすごく好き。

手芸は至福の時間といってもいいな。

母も晩年は編み物をよくやっていた。

私の娘たちの小さい頃は何枚もセーターを編んでくれた。

きっと母もそうすることを楽しんでいたんだろう。

ただのメリヤス編みは編んでいても面白くないと言って、

編むのは細かな模様編みのセーターばかりだった。

母が倒れて何年かして、兄嫁さんがたくさんの輪針(編み針)や布や

編みかけのセーターなんかを送ってくれた。

兄嫁さんはそういうことをする趣味はないみたいで。

母は洋裁のプロで私の小さい頃は

下着から胴のところにシャーリングというかゴムを何本も入れた水着なんかも作ってくれた。

既製品を買うよりずっと安く上がったからというわけなんだろうけど。

中学や高校の制服も母が縫ってくれたもので、

嬉しいと思うときもあれば、皆と一緒がいいと思った時もあった。

働くようになってからも通勤用のスーツから何からみんな母が作ってくれた。

渋谷の生地屋さんに何度も一緒に行ったものだ。

あ~、あの頃の私も母も若かったなぁ。

ちょっと感傷に浸っちゃったよ。

送ってくれた母の編みかけのセーターは見るのが辛くて捨ててしまった。

編み目をほどいて別の物を編むという気にもならなかった。

それを最後まで編む気で始めたんだろうけど、

ちょっと休むつもりがそのままになってしまったのか、

やる気がなくなったのか、わからないけど、

針の端には最後の編まれた目があった。

その編みかけのセーターが人生で

最後の編み物になるなどと母は思わなかったろうか。


人はいつも何かの途中で死ぬんだろうなと思う。

当たり前のように次の時があるかと思って今を過ごすんだろうなぁ。

ちくちく作業が好きな私も最後のちくちくがあるんだろうな。

その時がいつかはわからないけど、

物でも心でも途中の物を残して別の世界に行くことになるんだろうなぁ。

でも、できれば制作中の物は残したくないと何故か思うよ。