義父の事をある意味「憎まれっ子世にはばかる」なのかと書いたけど、
義父はどう見ても世の中の人に憎まれてはいない。
ただ、亡くなった義母には相当憎まれていたよう。
こんな穏やかないい人に対してなんでそんなに邪険にするんだろう?????
・・と私は思っていた。
近い関係の義母からはそう思われていた・・ということで、
こういう諺を思い出したんだけど、その諺の意味はもっと別のことなのだろう。
義母はひとに気を使わせるタイプの人間だったかと思う。
義母はひと・相手に非常に気を使っていたから、そういうことになったし、
義父はひとに気を使わないから、ひとも彼には気を使わないで接することが出来る。
そう、彼はひとに気を使わせないタイプ。
それは自分が悪く思われるんじゃないか、という不安がないからだろうと思う。
幼少時、ひとからそれほど批判非難されて育ってないのかもしれない。
元々の資質もあるだろう。
つい、念のために言うけど、「気を使う」と「気を遣う」は異なるよ。
義父は気を遣うけど、気は使わない。
気を使う・・のは自分が悪く思われないため、だし、
気を遣う・・のは相手にとっていいように、という思いで、
それは自分がどうこう思われるのではないかという不安はないもの。
誰であってもそのひとの傍に居て気楽に感じるのは、
そのひとが自分に気を使ってないから。
気遣い、心遣いは嬉しく感じるものだけど、
気を使われるのは居心地があまりよくないものだ。
けど、気を使ったことで衝突が避けられることもこの世にはあると思う。
義母は自分の夫には気を使うことはなかったので、
真っ向から衝突したのかなと思う。
夫婦という関係は本当に微妙に面白いもんだ。
人間が幸福になるための観察・考えるに面白いいろんな材料が転がっている。
全くの他人である夫婦が本当に仲がいいというのは凄いことだと思う。
それも正反対といえるような夫婦だったら。
北朝鮮とアメリカが仲がいい、というほどのことだと思う。
義父はどう見ても世の中の人に憎まれてはいない。
ただ、亡くなった義母には相当憎まれていたよう。
こんな穏やかないい人に対してなんでそんなに邪険にするんだろう?????
・・と私は思っていた。
近い関係の義母からはそう思われていた・・ということで、
こういう諺を思い出したんだけど、その諺の意味はもっと別のことなのだろう。
義母はひとに気を使わせるタイプの人間だったかと思う。
義母はひと・相手に非常に気を使っていたから、そういうことになったし、
義父はひとに気を使わないから、ひとも彼には気を使わないで接することが出来る。
そう、彼はひとに気を使わせないタイプ。
それは自分が悪く思われるんじゃないか、という不安がないからだろうと思う。
幼少時、ひとからそれほど批判非難されて育ってないのかもしれない。
元々の資質もあるだろう。
つい、念のために言うけど、「気を使う」と「気を遣う」は異なるよ。
義父は気を遣うけど、気は使わない。
気を使う・・のは自分が悪く思われないため、だし、
気を遣う・・のは相手にとっていいように、という思いで、
それは自分がどうこう思われるのではないかという不安はないもの。
誰であってもそのひとの傍に居て気楽に感じるのは、
そのひとが自分に気を使ってないから。
気遣い、心遣いは嬉しく感じるものだけど、
気を使われるのは居心地があまりよくないものだ。
けど、気を使ったことで衝突が避けられることもこの世にはあると思う。
義母は自分の夫には気を使うことはなかったので、
真っ向から衝突したのかなと思う。
夫婦という関係は本当に微妙に面白いもんだ。
人間が幸福になるための観察・考えるに面白いいろんな材料が転がっている。
全くの他人である夫婦が本当に仲がいいというのは凄いことだと思う。
それも正反対といえるような夫婦だったら。
北朝鮮とアメリカが仲がいい、というほどのことだと思う。