何日か前の毎日新聞に面白い記事があった。
攻撃的で衝動的な人よりも正直で他人を信頼する温厚な人の方に、
“不公平に対する拒否”が多く見られる、という京都大学の研究結果がある云々・・
というもの。
この結果にはちょっと違和感がある人が多いのではないかという感想も書かれてあった。
最後通牒ゲームというのを被験者にしてもらうらしい。
それは二人でやるゲームで、どんな提案でも受け入れればその分自分がお金をもらえて、
その提案を受け入れられなかったら、全然もらえないことになるというゲームで、
その実験では上に書いたナンタラカンタラ温厚な人は、
“相手が不当に多く貰うくらいなら(自分が不公平を認めるくらいなら)
自分のお金が増えなくてもいい”となるよう。
これはお金を利用した実験だけれど、
自分の益が増えることより、
不公平さがあることが許せないというような気持の方が大事という・・
正義感がなせるわざなんだろうな。
実験の際、被験者を攻撃的、衝動的、正直、温厚・・というような性向であると
なんらかの方法で一応決めてやるんだろうけど、
この記事では「不公平に対する拒否」が多いのは攻撃的な人より温厚な人という結果に
違和感を持つ人が多いだろうけど・・・という言葉があったけど、
どう考えても私は違和感はないなぁ。
攻撃的、衝動的な人というのは自分のことしか考えてないということだと思うから、
相手がどんなに不当に得をしようがそんなことはどうでもいい、
相手のことは相手のこと、と思っているんじゃないかと思う。
自分のことしか考えてない、というのはある意味(どういう意味?)、
気持ちは楽だと思う。
この前書いた荘子と恵子の「知魚楽」という問答の、
自分がわかるのは自分の気持である、ということと通じる感じがした。
わかる、のは自分のことだけ。
攻撃的で衝動的な人よりも正直で他人を信頼する温厚な人の方に、
“不公平に対する拒否”が多く見られる、という京都大学の研究結果がある云々・・
というもの。
この結果にはちょっと違和感がある人が多いのではないかという感想も書かれてあった。
最後通牒ゲームというのを被験者にしてもらうらしい。
それは二人でやるゲームで、どんな提案でも受け入れればその分自分がお金をもらえて、
その提案を受け入れられなかったら、全然もらえないことになるというゲームで、
その実験では上に書いたナンタラカンタラ温厚な人は、
“相手が不当に多く貰うくらいなら(自分が不公平を認めるくらいなら)
自分のお金が増えなくてもいい”となるよう。
これはお金を利用した実験だけれど、
自分の益が増えることより、
不公平さがあることが許せないというような気持の方が大事という・・
正義感がなせるわざなんだろうな。
実験の際、被験者を攻撃的、衝動的、正直、温厚・・というような性向であると
なんらかの方法で一応決めてやるんだろうけど、
この記事では「不公平に対する拒否」が多いのは攻撃的な人より温厚な人という結果に
違和感を持つ人が多いだろうけど・・・という言葉があったけど、
どう考えても私は違和感はないなぁ。
攻撃的、衝動的な人というのは自分のことしか考えてないということだと思うから、
相手がどんなに不当に得をしようがそんなことはどうでもいい、
相手のことは相手のこと、と思っているんじゃないかと思う。
自分のことしか考えてない、というのはある意味(どういう意味?)、
気持ちは楽だと思う。
この前書いた荘子と恵子の「知魚楽」という問答の、
自分がわかるのは自分の気持である、ということと通じる感じがした。
わかる、のは自分のことだけ。