昔、女性解放運動というのがあって、
その運動の中にこういうことがあったのを何かで読んだことがある。
小学校のクラスの名簿で、
男の方が順番が先なのは性差別だ というもの。
性差別反対の私だったけど、これには少しびっくりした。
そう言った人には、名簿の一番先に載っているのが、性として格が上である、
という上下観があったんだろうな。
じゃあ、名簿の先に女が載っていればそれでいい
・・と言うのかと思ったよ。
その人の考えからすれば、それは男を貶める性差別だ、ということになる。
性差別だと言ったその人の中に、
男が上、女が下だという上下観がある。
自分にあるものを相手、対象に観る。
自分にあるものが見える。
自分に無いものは見えない。
それぞれの人生という現象は、
それぞれの内側が映し出されているだけのもの。
世界の現象は、そこに住む人たちの内側が映し出されているだけのこと。
こういうことはいろんな哲学者が
難しそうな言葉で言っていることだけど。
名簿の初めに男の名を載せる現象を性差別だ“として観る”と、
そう観た人にとってはその現象は大問題になる。
これも量子力学の観測問題だ。
結局、解放運動も成功したとはいえない!?
けれど、そういう運動の結果は、目に見えるかたち、現象を変えたといえるかもしれない。
かたちを変えたことで、そこから生まれる意識も変わって来ている。
目に見えるかたちは目に見えない心から生まれるけど、
心の無い形だけ(なんでそれがわかるか、わからないけど)であったとしても、
それを見聞きした人に影響を与える。
可笑しくなくても笑うと、いい影響があるというのと同じかも。
かたちから入る、というのも大有り。
結局それも量子的説明ができる?
笑うということは何かを可笑しくなくても、可笑しいものとして観る現象なので、
可笑しいことに“なる”
その運動の中にこういうことがあったのを何かで読んだことがある。
小学校のクラスの名簿で、
男の方が順番が先なのは性差別だ というもの。
性差別反対の私だったけど、これには少しびっくりした。
そう言った人には、名簿の一番先に載っているのが、性として格が上である、
という上下観があったんだろうな。
じゃあ、名簿の先に女が載っていればそれでいい
・・と言うのかと思ったよ。
その人の考えからすれば、それは男を貶める性差別だ、ということになる。
性差別だと言ったその人の中に、
男が上、女が下だという上下観がある。
自分にあるものを相手、対象に観る。
自分にあるものが見える。
自分に無いものは見えない。
それぞれの人生という現象は、
それぞれの内側が映し出されているだけのもの。
世界の現象は、そこに住む人たちの内側が映し出されているだけのこと。
こういうことはいろんな哲学者が
難しそうな言葉で言っていることだけど。
名簿の初めに男の名を載せる現象を性差別だ“として観る”と、
そう観た人にとってはその現象は大問題になる。
これも量子力学の観測問題だ。
結局、解放運動も成功したとはいえない!?
けれど、そういう運動の結果は、目に見えるかたち、現象を変えたといえるかもしれない。
かたちを変えたことで、そこから生まれる意識も変わって来ている。
目に見えるかたちは目に見えない心から生まれるけど、
心の無い形だけ(なんでそれがわかるか、わからないけど)であったとしても、
それを見聞きした人に影響を与える。
可笑しくなくても笑うと、いい影響があるというのと同じかも。
かたちから入る、というのも大有り。
結局それも量子的説明ができる?
笑うということは何かを可笑しくなくても、可笑しいものとして観る現象なので、
可笑しいことに“なる”