気にしない・気にならない
日本語で「気」という字を使う言葉遣いはすごく多いし、なかなか面白いと感じる。
ひとが何かを気にして悩んでいるときなどに、
「そんなこと気にすることないよ」とか「気にしないで」とか言うことがある。
「あのことが気になるのよ」と聞いて、
「気にならないで」という言い方はしない。
「気にすることないよ」か、「気にしないで」が自然に感じるものだ。
そういう言葉をかけてくれる気持ちは嬉しく感じるけれども、気にならない状態にはならない。
なる、ならない、は本人の状態で、それは他者が直接的にどうこう出来る範囲を超えているので、
他者に向かって言う言葉としては、「気にならないで」というのは不自然に感じるんだろうか。
他者が言うことが出来るのは「気にしないで」「気にすることないよ」止まりなんだろう。
そしてそれすらも言葉の奥にある愛には気付くけど、
言葉自体には効能があるとはいえない。
気になっている自分に声かけるとしても、
気にしないようにしよう・・とは呟くかもしれない・・・なんか空しいけど・・
気にならないようにしよう・・とはつぶやかない。
気にならなくなりたい・・・そう思うこともある・・かもしれない・・
心の状態について、言う時に、
そういう表現をするしかない、この自然感覚が面白いと感じる。
生まれた時から日本語を聞き、使って来た私たちは、
「なる」という言葉の深さを知らないうちに身に付けてしまったみたい。
日本語で「気」という字を使う言葉遣いはすごく多いし、なかなか面白いと感じる。
ひとが何かを気にして悩んでいるときなどに、
「そんなこと気にすることないよ」とか「気にしないで」とか言うことがある。
「あのことが気になるのよ」と聞いて、
「気にならないで」という言い方はしない。
「気にすることないよ」か、「気にしないで」が自然に感じるものだ。
そういう言葉をかけてくれる気持ちは嬉しく感じるけれども、気にならない状態にはならない。
なる、ならない、は本人の状態で、それは他者が直接的にどうこう出来る範囲を超えているので、
他者に向かって言う言葉としては、「気にならないで」というのは不自然に感じるんだろうか。
他者が言うことが出来るのは「気にしないで」「気にすることないよ」止まりなんだろう。
そしてそれすらも言葉の奥にある愛には気付くけど、
言葉自体には効能があるとはいえない。
気になっている自分に声かけるとしても、
気にしないようにしよう・・とは呟くかもしれない・・・なんか空しいけど・・
気にならないようにしよう・・とはつぶやかない。
気にならなくなりたい・・・そう思うこともある・・かもしれない・・
心の状態について、言う時に、
そういう表現をするしかない、この自然感覚が面白いと感じる。
生まれた時から日本語を聞き、使って来た私たちは、
「なる」という言葉の深さを知らないうちに身に付けてしまったみたい。