世の中が変わる→人が変わる→世の中が変わる→人が変わる・・・・
なんてこと書いた。
世の中というのは人にとっての環境。
時代も環境。
江戸時代にもし私がいたら、今みたいな私じゃない。
こうしてパソコンに向かったり、手芸したり、
本を読んだり、そういう行為はしていない。
多分一日の殆どをせっせと働いていただろ。
戦後と戦前、戦後すぐと現代、10年前と今・・・
比べてみたら、ひとの行為が違うはず。
たくさんの人がいろんな行為や行動をしている。
そして、人のいろいろな行為が起こる元は人の意思。
その意思は無意識的なものも結構多い。
そのつど思ったり、考えてなんかいない。
朝もどうやって起きるか、なんて思わない。
どうやって着替えようかなんて思わない。
どうやってリビングまで歩こうか、なんて思わない。
朝起きて、顔を洗うか洗わないか、どっちにしようかなんて思わない。
当たり前のように起きる、顔を洗う、着替える、ご飯を食べる。
そんなふうに自分がなってる。
みんな潜在意識の働きで。
原始時代や戦国時代の人は朝起きて、
すぐに顔を洗っていなかったかも。
朝起きたら顔を洗うもんだ、みたいな見方はなかったと思う。
三食ご飯を食べるもんだ、食べなきゃダメみたいな、
食に対しての見方も昔はなかった。
三食ご飯を食べられるようになったのは、
人類の歴史で割と最近みたいだし。
日本じゃない、もっと貧困で苦しんでいる国なんかは、
今でも一回の食事すらまともに食べられない人は多い。
世の中変わった、というフレーズがあるけど、
こういう~するもんだ観、~こういうもん観、が
世の中を創っているのかもしれない。
そして、こういう世の中が、
そういう~するもんだ観、~こういうもん観を創っている。
リング、循環だね。
いい学校に入らないといい就職が出来ないもんだ観とか。
でも、今という時代、こういう観は結構急激に、
その立ってる土台が崩れそうになってる感じがする。
いい就職が出来たと喜んでも、イヤになってすぐやめるとかも聞くし、
いい学校に入れたとしても、就職難の時代みたいだし。
~こうするもん観、こういうもんだ観というのは固定的なので、
世の中の急な動きに付いていけない。
事実と合ってないそういう観は、
時と共に消えていくんだろうな。
なんてこと書いた。
世の中というのは人にとっての環境。
時代も環境。
江戸時代にもし私がいたら、今みたいな私じゃない。
こうしてパソコンに向かったり、手芸したり、
本を読んだり、そういう行為はしていない。
多分一日の殆どをせっせと働いていただろ。
戦後と戦前、戦後すぐと現代、10年前と今・・・
比べてみたら、ひとの行為が違うはず。
たくさんの人がいろんな行為や行動をしている。
そして、人のいろいろな行為が起こる元は人の意思。
その意思は無意識的なものも結構多い。
そのつど思ったり、考えてなんかいない。
朝もどうやって起きるか、なんて思わない。
どうやって着替えようかなんて思わない。
どうやってリビングまで歩こうか、なんて思わない。
朝起きて、顔を洗うか洗わないか、どっちにしようかなんて思わない。
当たり前のように起きる、顔を洗う、着替える、ご飯を食べる。
そんなふうに自分がなってる。
みんな潜在意識の働きで。
原始時代や戦国時代の人は朝起きて、
すぐに顔を洗っていなかったかも。
朝起きたら顔を洗うもんだ、みたいな見方はなかったと思う。
三食ご飯を食べるもんだ、食べなきゃダメみたいな、
食に対しての見方も昔はなかった。
三食ご飯を食べられるようになったのは、
人類の歴史で割と最近みたいだし。
日本じゃない、もっと貧困で苦しんでいる国なんかは、
今でも一回の食事すらまともに食べられない人は多い。
世の中変わった、というフレーズがあるけど、
こういう~するもんだ観、~こういうもん観、が
世の中を創っているのかもしれない。
そして、こういう世の中が、
そういう~するもんだ観、~こういうもん観を創っている。
リング、循環だね。
いい学校に入らないといい就職が出来ないもんだ観とか。
でも、今という時代、こういう観は結構急激に、
その立ってる土台が崩れそうになってる感じがする。
いい就職が出来たと喜んでも、イヤになってすぐやめるとかも聞くし、
いい学校に入れたとしても、就職難の時代みたいだし。
~こうするもん観、こういうもんだ観というのは固定的なので、
世の中の急な動きに付いていけない。
事実と合ってないそういう観は、
時と共に消えていくんだろうな。